サマーウォーズ
朝、いつものように身支度を整えてダイニングに顔を出したがくぽは、自分がなにかに違和感を感じたことに首を傾げた。
だが、その違和感の正体に気がつくより先に、絶叫が轟く。
「うそぉおおおおお!!がくぽ夏服じゃないぃいいいいい!!!」
「?!」
起き抜けから絶叫など聞きたくない。
びくりと身を竦ませたがくぽは、花色の瞳を見張って絶叫の主、滅多なことではそんな声など上げないカイトを見た。
違和感の正体見たり。
「なんで?!なんで夏服じゃないの?!俺は夏服なのに!!」
そう。
カイトが衣替えしていた。
いつもの長いコートは裾丈はそのままに袖なしになり、首元がすっきり開いたデザインになっている。いつも巻いているマフラーは影形もなくなり、ほっそりと骨ばった首が外気に晒されている。
なんとなく予想していたが、剥きだされた二の腕はずいぶん細い。
ふつう、ロイドのサイズぴたりとつくられるはずのコートがだぼついているところから怪しいとは思っていたが、全体的にずいぶんと華奢につくられているらしい。
生地が薄く、露出の多い恰好になると、いつもよりさらに小柄で頼りなく見えるようだ。
困惑と動揺を隠すこともできないまま、がくぽは瞳を揺らしてカイトを見つめる。
そのカイトは、滅多にないことに、癇癪を起こしているようだった。
「ひどいよマスター!俺のマフラーは取り上げておいて、がくぽのスーツはそのまんまってどういうこと?!俺が衣替えするんだったら、がくぽだってするべきでしょう?!」
大声で喚きながら、のんびりと昆布茶を啜っているマスターに噛みつく。
噛みつかれたマスターは、きりっとまじめな顔でカイトを見た。
「デザインが気に入りませんでした」
きぱっと言う。
おとこまえな態度だが、そんな一言で駄々をこねる子が納得するかといえば、
「それは仕方ないね!」
「いやもっと粘れ、カイト殿……」
あっさり落ち着いてしまったカイトに、がくぽは小さくツッコむ。
おそらくカイトがもっと粘ってマスターを負かすと、がくぽにとって不利益なことが起こると思われるのだが、それにしても。
聞き分けが良過ぎる長男に日々気を揉むがくぽは、朝から渋面を晒しながら自分用に緑茶を淹れ出した。
「だって、デザインって重要だよ。納得のいかない格好したがくぽなんて見たくないもん」
「…」
てってって、と傍に寄ってきて真剣に言い諭すカイトに、がくぽは軽く天井を睨む。わずかに言葉を口の中で転がしてから、いつもより紅い頬でがくぽを睨み上げてくるカイトを見下ろした。
襟の隙間から、浮き上がる鎖骨が覗いている。
「それを言うなら、カイト殿はどうなのだ。夏服に納得しておらぬようではないか」
「それはね!」
カイトの瞳が、うるるん、と潤む。
「デザイン云々じゃないの。冷却材の問題なの!」
「冷却材…」
くり返したがくぽに、カイトは袖なしになっただけでなく、いつもよりさらに薄く軽くなったコートをつまむ。
「これにも一応、冷却材が入ってるのはわかってるんだけど……露出が多いでしょ?だから、いつもと変わらない機能でも、いつもよりあっつい気がして……。こんなすかすかした生地じゃ、頼りなくてしょうがないし」
「まあ…そうだな」
ロイドの体には有機素材も使われているが、未だに圧倒的に機械部品が多い。それらの稼働による過熱を逃がすために、ロイドの服には大抵冷却材が組みこまれていた。
がくぽの服にしても、首まですっぽりと覆ってしまって見た目には暑苦しいが、実態は逆だ。
脱ぐと暑いのだ。
カイトの服にしたって、首に巻いているマフラーにしたって、同じだ。
着ているから暑いのではなく、脱ぐから暑いのだ。
「なに軟弱なこと言ってるのよ、カイト!あたしやミクなんかを見なさい。あんたよりずっと薄着でも、ちっとも文句なんか言ってないでしょ!」
迎え酒中だったメイコから、叱咤が飛ぶ。
カイトの瞳に浮かぶ涙が一層盛り上がり、無意識に伸びた手が縋るようにがくぽの着物の袷を掴んだ。
カイトの気持ちは十全にわかる気がして、がくぽは手をやるとカイトの肩を軽く抱き寄せた。
「四六時中露出しているコスチュームの貴殿らと、俺たちとでは排熱機能が違う。熱の感じ方が違っても、仕方ないであろう」
「あら」
いつもならカイトを叱る側のくせに、庇う側に回ったがくぽを、メイコはおもしろそうに見る。
だが、彼女が悪魔の一言を放つより先に、カイトががくぽに抱きついた。
「がくぽつめたい」
「は?!」
庇われておいてなんたる発言か、と思いきや。
「ひんやりしてる~。きもちいいぃいい……」
「カイト殿……」
それほど外に冷気を漏らしているわけがないのだが、触るとひんやりしているのは確かだ。
がくぽにしがみついて頬をすり寄せるカイトは夢うつつの表情で、ぽつりとつぶやいた。
「ああ、今年もナツいアツが来ました……」
「すでに錯乱しておるのか、カイト殿……」
わずかな抵抗も、カイトの哀れ過ぎる一言で打ち砕かれた。
がくぽは小さく肩を落とすと、べったりと懐ききっているカイトの体に手を回し、さらさらとした青い髪を撫でてやる。
「ぁああああ、にぃちゃんんんん~っ」
バナナジュースを飲んでいたレンが、悔しそうに歯噛みする。
「俺だって俺だって、冷たいのにぃいいい~っ」
「そんなの言ったら、リンだって冷たいわよぉ」
「ボクだって冷たいんですけどぉ」
歯噛みする弟に対して、妹たちは盛大なにやにや笑いで、べたつく兄たちを見ている。
「まあ、マスター以外は冷たいわよね。ロイドだもの」
「あ、はいはい。マスターはこころが冷たいともっぱら評判です」
「なにを張り合ってんのよ、あんたは!」
素知らぬ顔でまとめようとしたメイコに、構って欲しいマスターが割りこむ。
思惑通り、メイコから後頭部に張り手を入れられ、でへへ、とだらしなく崩れた顔を見せた。
「カイト、あんたもいい加減覚悟を決めて」
マスターに張り手を入れた勢いで振り返ったメイコは、困惑顔のがくぽと、さすがに唖然とした顔の弟妹たちを見て口を噤んだ。
わずかな沈黙ののち、そろそろとカイトを指差す。
「…ね、ねちゃった、の?」
「……ああ」
この騒がしい中で、しかも立ったまま寝るとはあまりにあまりな奇態だ。
だが確かに、がくぽに回した腕だけはしっかりと、カイトは健やかなお顔で安眠遊ばしていた。
カイトがずり落ちることがないよう、がくぽはその体をしっかりと支えている。とはいえ、それにしても。
「…へえ、カイトさん……」
マスターが感心したようにつぶやく。
「がくぽさんの胸で寝ちゃうんですねえ」
「…それもそうだけど、朝起きたとこで、いきなりまた、しかも立ったまま寝はじめることへのツッコミをもっと……」
疲れたようにつぶやくメイコに、マスターは軽く視線を流す。
「まあ…」
なにか小さくつぶやき、それからにまりと邪悪に笑う。
「とりあえず、一度寝ちゃったカイトさんはそうそう起こせませんよ。がくぽさん、お手数ですが、そのままカイトさんをお布団に運んであげてください」
「構わぬが……仕事は大丈夫なのか」
「叩き起こしますとも♪起きぬなら水攻めでも氷攻めでも♪」
「……確かに氷の女だとも、マスター」
明るく無邪気に鬼発言をするマスターに冷たく請け合い、がくぽはしっかりと胴に絡みつくカイトの腕を取る。
強張ったようになって動かないその腕にしばらく思案顔になったあと、短い髪の合間に覗く耳朶にくちびるを寄せる。
「カイト殿」
囁く声は、やわらかでやさしく甘い。
「引き離しはせぬ。貴殿の望むだけ、傍にいてやろうから」
囁きとともに、カイトの腕から力が抜けて体がずり落ちる。がくぽはその体を軽々と抱え上げ、胸の中に仕舞いこんだ。
暑がっていたカイトができるだけ冷えるようにと、その体のすべてを覆うように大事に大事に。
「…ねえ、一度寝たら、外の音って聞こえないわよね?」
「それは私よりメイコさんのほうがわかるんじゃないの?」
ものすごく胡乱げな顔で、ダイニングから出ていくがくぽの背を見送ったメイコのつぶやきに、マスターは明るく笑う。
「それでも聞こえる声があるなら、それってどんな声か、メイコさんのほうがよく知ってるでしょ?」
「?」
きょとんとするメイコに、マスターはただ笑っていた。