アイスの中でなにが好きかと問われれば、ダッツだと即答する。
むしろもう、アイスという括りの中にいっしょには入れられない。
ダッツは別格だ。
バニラのおいしさは言うまでもなく、クッキーもチョコも、なんでもおいしい。
ダッツはイコールで至福と繋がっている。
いくつ食べても飽きないし、幻滅するということがない。
言うなれば、奇跡の体現。
ダッツはアイスの頂点を極めている。
――のだけど。
はんぶんこの二倍
「おばちゃん、これちょうだい」
近所の駄菓子屋のアイスクーラーの中を覗きこみ、カイトは昔懐かしい棒アイスを取り出す。
いくつなのか、もはや自分でも年を忘れたと笑う駄菓子屋の主人である老婆は、カイトの手にしたアイスを見て、頷いた。
「五十円でいいよ」
「えーっと」
アイスクーラーには、黄ばんで剥がれかけの貼り紙で、「アイス全品100円」の文字がある。
だが、カイトが覚えている限り、この店でアイスが百円だったことはない。
そのときの老婆の気分で、八十円にも五十円にもなる。
おこづかいの限られた子供ならうれしい特典なのだが、カイトはこれでいてきちんと稼ぎがある。寂れたこの店の稼ぎのほうが心配なので、そうも値切られてしまうと、さすがに諸手を挙げては歓べない。
一瞬口ごもってから、カイトは財布から五十円玉を取り出し、老婆に渡す。ついでに手を伸ばして、小さくしなびた彼女の肩を抱き寄せた。
ぺたりと、頬と頬をくっつける。
「いつもありがと、おばちゃん」
「ひゃあひゃあ」
カイトにとって感謝のハグは当然の習慣だが、古い日本人である老婆には馴染みがない。
ロイドとはわかっていても、見た目のいい若い男の子に抱きつかれて、若やいだ悲鳴を上げた。
「また来とくれ」
「うん。またね」
手を振って別れ、カイトはアイスを手に家路を急いだ。
ダッツは別格だ。
アイスの王様、いや、皇帝と言ってもいい。
あの味に勝るものはないと思うし、ダッツで世界が埋め尽くされたらいいなとも夢想する。
ダッツのアイスクリーム車とか普及したら、絶対に世界は平和になるとすら信じている。
けれど。
「めーちゃん」
「あら、お帰り、カイト」
家に着いてリビングに行くと、メイコがひとり、いつものひとり掛けソファに座ってファッション誌を繰っていた。
どうやら家にはメイコだけしかいないらしく、大好きなおにぃちゃんのご帰宅に飛んでくる弟妹の姿はない。
そして、飛んでくることはないものの、必ず顔を覗きに来るがくぽの気配もない。
マスターはもしかしたらいるかもしれないが、顔を出さないということは寝潰れているということで、そういうときはそっとしておいたほうがいい。
「めーちゃん、はんぶんこ」
「あら」
カイトは買ってきた袋アイスを開けると、棒が二本ついたそれを半分に割り、一方をメイコに渡した。
ひとつのアイスに棒が二本ついたそれは、真ん中できれいに割れるようになっていて、ひとりでも食べられるし、ふたりで分けっこすることもできるようになっている。
ダッツのアイスに敵うものはない。
それは常に確信を持って断言するし、即答もする。
けれど、このアイスを見ると――どうしてか、手が伸びる。
ことアイスに関しては「分け合う」という発想のないカイトだけれど、このアイスだけは、だれかと分け合って食べたい。
だれか、とても大切なひとと。
このアイスのパッケージを初めて見た日のことは、覚えている。
初めて見たのに、びっくりするくらい、「懐かしい」という気持ちになって。
そのときにはもう、ダッツ信奉者として自我が確立されていたにも関わらず、ダッツには見向きもしないで、アイスクーラーからそれだけを取り出して、マスターの元に持って行った。
レジ待ちをしていたマスターは、カイトがひとつだけ手に持ったそれを見て、愉しそうに笑った。
「それでいいんですか?」
いい、と頷くカイトに、マスターは目を細めた。
「なるほど。ロイドとは奥深いものですね。――そうですね、私は奇跡を信じてもいい気になりましたよ」
マスターの言葉の意味はわからないけれど。
帰る道々、半分こして食べた、そのときの言い知れぬ幸福感は、未だに薄れることがない。
三人掛けのソファに座って、半分になったアイスにかじりついたカイトの隣に、雑誌を畳んだメイコが移動してきた。
普段、自分からアイスにかじりつくことのない彼女だが、嫌いなわけではない。
軽快に食べ進めながら、カイトを覗きこむ。
「で?」
「ふにゅ?」
唐突な言葉に、カイトはアイスから顔を上げてメイコを見返す。
「なんか、話したいことがあるんじゃないの?」
「…ああ、うん」
なんでわかったんだろう、と思いながら、カイトはアイスをかじる。
話したいことはあるが、アイスはきちんと食べ進めないと溶けてなくなってしまう。
「あのね…………。めーちゃん、『夢』って見る?夜寝てるときに見る、あの……」
「…」
「あのね…」
突拍子もない言葉に、メイコは無言で手を伸ばし、カイトの額に触れた。
熱を計るしぐさを、からかうのではなく、ごくまじめにされて、さすがにカイトも項垂れる。
「違うったら…。別に、具合悪くっておかしなこと言い出してるわけじゃないよ…」
「ああ、自分でおかしいことを言ってる自覚はあるわけね」
ロイドが夢を見ないことは、言うまでもない当たりまえのことだ。そこに旧型と新型の違いなどない。
あっという間にアイスを片づけて、カイトは未練がましく棒をかじりながら、言葉を探した。
「だから…夢、っていうか……。なんていうか…」
「なんの夢を見るの?」
ロイドが夢を見ないことを百も承知で、カイトのことを異常扱いしておいて、メイコの問いは矛盾している。
けれどそういうメイコだから、突拍子もない思考回路のカイトも話しやすいのだ。
カイトは棒をかじりながら、小さく唸った。
「覚えてない」
「は?」
「だから、なに見たか、覚えてない」
「…」
胡乱な顔になるメイコに、カイトは自分でも首を捻る。
「覚えてないんだけど………なんか、見たような感じだけ、残ってるの。こう、もやっと。なんか、見たなって。全然はっきりしないんだけど………なんか、見たんだけどな、なんだろうなって」
「…」
言葉にすればするほど、感覚が怪しくなる気がする。
黙りこんで、「もやもや」というジェスチュアをするだけになったカイトに、メイコは自分もアイスのなくなった棒をかじりながら、天井を仰ぐ。
「そんなこと言っても、なんか、ないの?あのひとが出てたっぽいな、とか。あの場所っぽいな、とか」
「あ、がくぽ」
「ほえ?」
帰ってきたのかと思ってリビングの入り口を振り返ったメイコに、カイトは違うと手と首を振る。
「がくぽ見たと思う」
「…あー……」
なんとも言えない顔になって、メイコは再び天井を仰いだ。
カイトはメイコの様子に構わず、記憶を探る。
探るといっても、本来、経験したことならすべて、ログにきれいに仕舞われているから、取り出すことは簡単なはずなのだ。捨ててしまったものは、こうももやもやと跡形を残さない。
「がくぽ、が…いたと、思うんだよね。なんか、話してて……」
ぼんやりした記憶は、経験がないもので、妙に苛立つ。
思い出したいのだ。
あそこに、彼がいて。
彼が、自分に、なにか、言った。
彼が、自分に、触れた――ような、気がする。
いつもとは違う、感触で。
いつもとは違う、トーンで。
なにか――とても、大切な。
「これでいて、欲求不満とか溜めてんのかしらね、あんた」
「ふえ?」
メイコのつぶやきが拾えずに、カイトはきょとんとした顔を晒す。
メイコは肩を竦め、カイトの頭を乱暴に撫でた。
「早く自覚しなさい」
「自覚?なにを?」
「その夢、しあわせ?」
「え?」
カイトの問いには答えず、メイコが明るい声で訊く。
カイトは瞳を瞬かせて考え、頷いた。
「うん。――なんか、もやもやするけど」
「それは思い出せないからでしょう?そうじゃなくて、雰囲気よ。雰囲気。しあわせなの?」
「うん」
今度ははっきり頷いたカイトに、メイコは笑う。やさしく、母親のように。
覚えている。
カイトが起動して、初めて会ったときも、そうやって、やさしく笑ってくれた。
やさしく笑って、抱きしめてくれた。
自分が世界に歓迎されているのだと、無邪気に信じられた。
あのしあわせな感情を覚えている。
忘れないと決めた。
「じゃあ、それでいいじゃない?」
「…いい、の?」
窺うように訊いたカイトに、メイコはあっさり頷く。
「いいわよ。不幸せな夢を見てるんだったらどうにかしたほうがいいけど、しあわせな夢だったら、いいじゃない。あとは、そうね」
ちらりと視線を上にやって考え、メイコは笑った。
「どうしてそんな夢を見るのか、ちょっと考えたらいいわ。どうして、夢の中にがくぽが出てきて、どうしてその夢がしあわせなのか。胸に手を当てて、考えてご覧なさい」
「考えて…」
考えるのは苦手だ。
ひとの機微に疎いが、自分の機微にも疎い。それはとりもなおさず、考えるのが苦手で、深く考えないからだ。
けれど、メイコがそう言うのなら、考えたほうがいいということだ。
メイコはカイトのことをよくわかっていて、滅多なことでは、考えなさいなどとは言わないのだから。
「ん。かんがえる」
「そうね」
頷いたカイトの口から、メイコは軽いしぐさで棒を引き出す。
立ち上がると、自分の分も含めてゴミ箱に放りこみ、いつも通りにひとり掛けソファへと戻った。
束の間の空漠にカイトは瞳を細め、しかしすぐに大きく見張られる。
「あ、がくぽ、帰ってきた!」
「はいはい」
チャイムも鳴っていない、リビングからでは鍵の開く音も聞こえない。
それでもそんなふうに叫んで飛び出していくカイトに、メイコはおざなりに手を振る。
「…答えなんて、考えるまでもないわよねえ…」
夢を見ないロイド。
それが、夢を見たと言い出して。
そして、その夢に出てきたひとが、その夢がしあわせに満ちていたというなら。
答えなど、知れている。
「…」
メイコは天井を睨み、考えた。
そう、答えなど、知れている。
カイトも、自分も。
けれど、下す決断はきっと違うのだろうと、それも、薄ぼんやりとわかった。