「あ、がくぽ、ちょぉどいいとこにハサミ取ってー」

「ん?」

リビングに入ったとたんにおねだりされて、がくぽは一瞬、戸惑いに歩みを止めた。

思い出スクラップ

お気に入りの場所である窓辺の陽だまりに座ったカイトが、陽の加減だけでなくきらきら輝く笑顔でがくぽを見ている。

「鋏、か?」

「うんそう!」

問い返すと、元気に頷く。

がくぽは踵を返し、サイドボードの引き出しのひとつ、文房具を放りこんである場所を探った。

「普通の紙切り鋏で良いのか」

「うん、いいよ」

基本的に文房具を雑多に放りこんであるだけの場所なのだが、時折家族のだれかが、思い出したように整理する。

運良くも今日はだれかが整理したあとらしく、引き出しの中を漁らなくても目的のものはすぐに見つかった。

運が悪いときは、そもそもひっくり返したあとに、目的のものが別の場所にあることもある。

ハサミを取り出すと、がくぽは窓辺へ行った。

ふかふかのクッションにへちゃんと座ったカイトの前には、雑誌が広げられている。

「切り抜きか?」

見当をつけて訊いたがくぽに、カイトは無邪気に微笑んだ。

「うん!」

「切り抜きなら、カッターのほうが良くはないか鋏では綺麗に切り取れなかろう」

「カッターじゃ、下まで全部切れちゃうよ?」

首を傾げたがくぽに、カイトは心底びっくりしたように言う。

ある意味予想どおりと言えば予想どおりな答えに、がくぽは眉間に溝を刻んだ。

「カイト殿、世の中にはカッターマットなるものがあるのだ」

きびきびと言い、ハサミを持ったままサイドボードへと戻る。

元の場所へとハサミをしまうと、代わりにカッターとカッターマット、それに定規を取り出した。

「でも、うまく使えないんだよー。なんかよれちゃうし、曲がるし」

背中を追いかけてきた不満声に、がくぽは肩を竦めた。

「やり方というものがある。俺がやって見せるゆえ、覚えろ」

「んむー」

道具を揃えてカイトの傍に座ると、がくぽは雑誌を取った。

「カッターの刃自体は、整えられて切れ味が悪いものではないのだ。角度や力加減さえ覚えれば、使い心地は悪くないはずだ」

「それが覚えられないんだってばー」

珍しくも、カイトはぐずぐず言っている。

構わず、がくぽは広げられた雑誌をざっと見た。

「どの記事だ?」

「ん、これ!」

「…っ」

ぐずってはいても素直なカイトが指差した記事を見て、がくぽは固まった。

瞬間的に極度の緊張状態まで叩き落され、それから、高速で想定を組み立て直す。

「…………マスターに頼まれた仕事か」

「違うよ。俺が個人的にやってるの。この雑誌もちゃんと、俺のおこづかいで買ってきました!」

「…」

カイトの答えに、がくぽはますます緊張して黙りこんだ。

カイトが指差した記事は、がくぽのものだった。

それも、『がくぽ』のだ。

扱いこそ大きくはないものの、がくぽがこなした仕事に関する論評で、ざっと見た限りは高評価と言える。

マスターは自分のロイドに関する記事を集めているが、いかんせん自分に時間がない。そのために、どの記事かを書いた付箋を貼った雑誌の束を渡されて、「お暇なときにお願いします」と切り抜きを頼まれることがある。

だから、自分に関する記事の切り抜きも別に珍しくはない。

珍しくはないが――

「みんなの集めてるんだよ。俺、忘れちゃうから」

「……ああ……………」

続けられた言葉に、安堵と落胆がないまぜになった。

答えにそれ以外のなにがある、とは思いつつも、勝手な願望を抱いてしまうのがこころの厄介なところだ。

落胆はあっても納得して、がくぽは記事の下にカッターマットを敷いた。定規を当ててカッターを引こうとして、ふと気がつく。

がくぽの扱いこそ大きくはないものの、ボーカロイド関連の特集記事だ。

ページをめくって裏を確認すると、まだ記事が続いている。

今回は家族のものはないようだが――

「全員分集めているのだな?」

「うん。めーちゃんもミクも、リンちゃんもレンくんも、がくぽも、それからマスターも、みんな!」

「表と裏で記事が重なったら、どうしておるのだ?」

マスターの場合、自分のロイドが載った雑誌は、出版社から数冊まとめて送られてくる。扱いを確認する意味もあるし、それも大事なプロモーション道具となるからだ。

だから、表と裏で記事が重なったものについては、二冊に付箋が付いている。

がくぽの問いに、カイトは自分の脇に積んだ雑誌の束から、二冊取り出した。

同じ表紙だ。

「だいじょうぶそういうときのために、おんなじ雑誌を三冊買ってるから!」

「貴殿の愛情度合いはよくわかった…………ん待て、三冊?」

胸を張ってのお答えに反射で返してから、がくぽは首を傾げた。計算が合わない。

表用と裏用なら、二冊でいいはずだ。一冊多い。

顔をしかめるがくぽに、カイトは雑誌を掲げたまま、なんでもないことのように言った。

「裏表の切り抜き用に二冊、保存用に一冊で、三冊だよ」

「なんのマニアだ……………」

あっさり出された答えに、がくぽは項垂れた。

基本的に、無駄遣いにはうるさいがくぽだ。

メイコのことを締まり屋だと評するが、なんのことはない。

がくぽも締まり屋なのだ。

ただ今回の場合、カイトの行動はあくまでも、家族を愛するがゆえだ。

家族を愛するなとカイトに言うのはどう考えても違うし、愛してはいても自重しろと説教するのもなにかが違う。

家族への深い愛情があってこそカイトは輝いているのだし、しあわせだと笑いもするのだ。

口にはしなくても、がくぽの葛藤がわかるのだろう。

カイトはいつものおっとりしたものとは違う、はんなりとした儚い笑みを浮かべて、膝に乗せた同じ表紙の雑誌を撫でた。

「俺、忘れちゃうからね。これくらいしても、まだ足らないよ。だってこれには確かにみんなのことが載ってるけど、あくまでお仕事のことだけだし……………たぶん、ほんとには、ちっとも意味がないんだ」

「カイト殿」

意味がないことなどない。

そうやって愛されているのだと端々で知らされて、いやな気がするわけがないのだから。

驚いて顔を上げたがくぽに、カイトは痛みに歪む顔を向けた。

「でも、これしか出来ないんだ…………」

震える声は、泣く寸前のようにも聞こえた。

力ない自分が恨めしいと、悔しいと、悶え苦しんでいるかのように見えた。

「切り抜きは、どれほど集まった」

以前入ったカイトの部屋の本棚には、ずらりとスクラップブックが並んでいた。すべての棚に、スクラップブックだけが。

なにを集めたものか訊いたことはないが、今、答えが見えた。

だから訊く前から答えはわかっていて、それでも敢えて、がくぽは訊いた。

戸惑いながら、カイトは首を傾げて考える。

「ん………んと、……………いっぱい三つより上は『いっぱい』だから、いっぱい!」

三つ以上になると数を数えるのを放り出すのはカイトの癖だ。

初期型のロイドに付けられた、通称『あほの子機能』こと、簡略機能を使うのを躊躇わないのだ。

メモリ容量が大きくなかった初期型ロイドの、さまざまな負荷軽減のために考え出された簡略機能は、つまり、情報分析や集積をうまく放り出す言い訳集だ。

使うとどこまでもあほの子になるので、滅多には使われない。

それを多用するカイトは、それだけメモリを空けておきたいと願っているということでもあり。

「そうだな。俺が見た限りでも、『いっぱい』だった」

「……んぁ」

笑ってそう応じたがくぽに、カイトはきょとんと瞳を見張る。

簡略機能を使うと、人前では使うなよと釘を刺すのががくぽなのに。

瞳を瞬かせるカイトに、がくぽは雑誌を見た。

爪の先まで手抜かりなく造形美を尽くされた繊細な指先が、丁寧に記事をなぞる。

「たとえ忘れられても、カイト殿の部屋に答えがある。あれを見てすら、愛されていないなどと不平をこぼすような、情けない性根のものは家族内におらぬ」

つぶやいてから、瞳を瞬かせるカイトへと視線を戻した。

「そうであろう?」

「…」

カイトは瞳を瞬かせる。そうやっても、結局、払いきれない涙がぼろりとこぼれた。

「ん…………うん。うん…………」

大声で泣きじゃくることもなく、カイトはわずかに涙をこぼして、また笑顔になった。

「うん。知ってるんだ…………知ってるけど、やっぱり、だれかに言われたいんだ。だいじょうぶだよって。えへ、俺って甘えただね」

「構わぬ」

さらりと答えて、がくぽは再びカッターを構えた。記事に定規を当て、そこに手を添わせる。

「俺も甘えるし、お互い様というものだ」

狙いを定めながらの言葉に、カイトの声がひっくり返った。

「ふゃがくぽが、甘える??」

「甘えているだろう」

「ふゃや???」

情けない声を上げるカイトに、がくぽはわずかに呆れた視線を送った。

「貴殿は鷹揚だ。まことな」

「それはがくぽじゃないかなあ………」

お互いにおかしなことを譲らずに張り合い、しばし見つめ合う。

先に目を逸らすのはどうしてもがくぽで、俯くとまた手先を睨みつけた。

カイトの瞳はどこまでも無垢で、無邪気で、疚しい気持ちを見透かされそうな危惧がある。

無垢で無邪気ということは、疚しい気持ちを理解出来ないということでもあるから、たとえ見透かしても、なんのことだかわからないと首を捻るだろう。

それでも、手に取って眺められたくないこころはある。

紙が撚れないように当てた手に注意しながら、カッターを走らせる。

「ん、がくぽ…………」

「っと、これ!」

カッターを走らせているところに無思慮に手が伸びて来て、がくぽは慌てて刃を止める。

説教モードに入りそうな気配に構わず、カイトは定規に添わせたがくぽの手を取った。

ひょいと持ち上げると、自分の手と手のひらを合わせる。

「カイト殿?」

撥ねつけることも出来ずにされるがままのがくぽに、カイトは合わせた手を見て頷いた。

「やっぱり、おっきい」

「なに?」

「がくぽの手。俺より、おっきいね」

「…」

そんなことのために刃物の前に手を出したのかと叱りたいし、――言いたいことが、山ほどある。

山ほどあっても一言も声にならず、がくぽはただ、合わさった手のひらに感じるカイトの手の感触に意識を奪われた。

ぴんと伸びていたカイトの指が徐々に丸くなっていき、がくぽの手を握るような形になる。

「…………忘れたくないなあ……………」

カイトのつぶやきは小さ過ぎて、それでもがくぽの耳にはっきりと残った。