「よし、カイト…………もう大丈夫だ」
「……………はい」
がくぽとカイトが走りに走って、飛び込んだのは自分たちが暮らすマンションのエントランスだ。
But Not On...
二人は日課である、散歩の最中だった。
初めから雲行きは怪しかったのだが、雨の降り出しもいい加減、唐突だった。
近場を歩くだけだ。傘の持ち合わせはない。
コンビニなどがある場所でもなく、がくぽとカイトは慌ててマンションへと走り戻った。
距離は短いものの、起動してからこちら、カイトは走ったことなどない。馴れない動作に、疲れきってしまった。
へたりこまないものの、エントランスに入ったところで半ば呆然と、立ち尽くす。
「濡れたな」
「…………はい…………ぁ」
膝に手をつき、疲れと戦うので精いっぱいの奥さんに対し、旦那様のほうは平然としたものだった。
いつもと変わらない声音で言うと、袖から大判のタオルハンカチを取り出す。へたりこむのを懸命に堪えるカイトの頭から体から、水気を拭き取っていった。
「………なんでも持っていらっしゃるんですね」
「ははっ」
戸惑うようなカイトの言いに、がくぽは声を立てて笑った。疲れきった奥さんを慰撫するように、殊更にやさしく辿る。
「『なんでも』は、ないぞ。現に、傘はなかったろう?」
「そうですが………」
大人しく拭かれながら、カイトは複雑な思いで旦那様を眺める。
実のところ、カイトの濡れ加減は大したことがない。
降られてから走っている間も、がくぽが羽織りを頭上に広げて庇ってくれたからだ。
庇われなかったがくぽのほうが、余程。
「……っ」
走ったことによる疲れとはまた違う疲れを感じながら、カイトは自分の体を見回した。
傘も持っていないが、ハンカチの持ち合わせもない。いや、自分の体ひとつしか――
「よし、良かろう…………ん?」
「ください」
「…………ああ」
簡単に水気を払い終わったがくぽが頷いたところで、カイトはその手に手を添えた。
意図を察して渡してくれたがくぽの体を、今度はカイトがハンカチで辿る。
いつもきれいに着こなす着物も、光の滝のように流れる美しい髪も、なにもかもが自分よりも遥かに濡れて、無残だ。
「カイト、あとはもう、家に帰って………んっ?」
「ん…………っ」
丹念に体を辿る奥さんに苦笑しながら促したがくぽのくちびるは、その相手によって塞がれた。
触れ合ったくちびるから舌が伸びて、熱を込めて求められる。
「んん………ん、ふ…………」
「………ん」
もどかしく鼻を鳴らされて、訳がわからないものの、がくぽは大人しく応じた。
腕を回して奥さんを抱きしめてやり、宥めるように背中を撫でる。
「…………どうした」
ややしてくちびるが離れ、がくぽは小さく笑いながら訊いた。
胸に凭れたカイトは、力強く抱いてくれる腕の中、静かに瞳を閉じる。
「旦那様に、惚れ直しました……………」