それは、餌儀の言いだしたことがきっかけだった。
うちのおとーとは、たまにからまわりです。
「がくぽ、おまえね………少しばかり、カイトに甘え過ぎじゃないかえ?いっくら弟ったってね、限度ってもんがあるよ。おまえだって男なんだしさ。たまにはおにぃちゃんを甘やかすくらいの度量を見せなきゃ、そのうち面倒になって捨てられるよ」
滔々と言われて、美麗極まりないがくぽの顔が壮絶に引きつった。
「に、にぃさまはそんなことしない!!がくぽのこと、捨てたりなんかしないぃいい~っ!!」
すでに泣きが入りつつ叫んだがくぽに、餌儀はふん、と鼻を鳴らす。
「だけどたまにいっしょに出掛けたりして、おまえが余所行きのきりっとした顔なんかしてると、カイトはうっとり見惚れているじゃないかえ。つまりカイトは、きりっとしてるおまえが嫌いじゃない。いやむしろ、好きなんだよ!」
「す、好き………!!」
衝撃を受けるがくぽに、餌儀はしたり顔で頷いた。
「たまにはおまえがきりっとして、カイトのことを甘やかしてご覧な。きっと惚れ直すよ?」
――なにを言ってくれてるのかなと、頭を抱えたのは傍らで話を聞いていた、カイトだ。
そう、餌儀とがくぽは、話題にしている当のカイトがいるリビングで、本人を目の前にして話していたのだ。それも声を潜めるということもなく、ごく普通に。
思うに、そういう「悪巧み」というものは、本人のいないところでこそっとやって――
「……………」
確かに外に出て、余所行きのきりっとした顔をしているがくぽを見るのは好きだ。いつもは甘ったれて緩んでいる美貌が、妙に男臭くなって、遺憾なくその威力を発揮しているから、ついときめいてしまう。
それは否定しない――しないが。
「兄様!!」
「ぁああ………っ!!」
きっらきらに顔を輝かせ、がくぽはソファに座るカイトの前に正座した。カイトはさらに頭を抱えて、呻く。
輝く表情の弟かわいい。かわいい弟。ぎゅうしてちゅうしたい。
そう、このかわいさにも、きちんとときめく。カイトは弟に関して、節操がない。
しかしかわいいが、このうえなくときめくが、話題の流れからして、がくぽの言いだすことはひとつだ。
「今日はがくぽが兄様を甘やかして差し上げます!どーんと甘えてください!!」
「やっぱりぃ………っ」
予想に違わぬ展開に、カイトは項垂れた。
恨めしげな視線を餌儀に投げる。――人間でありながら、造形美の極致を追求して造られたがくぽに勝るとも劣らぬ美貌の持ち主が、餌儀だ。
にっこりと笑い返されたが、この場合、美貌はパワーそのものだ。かわいらしく手まで振られて、「がんば☆」とやられてしまうと、威力に呑まれてしまって、もうカイトには反論の言葉が思いつけない。
仕方なく、カイトはもうひとつのパワー溢れる美貌、弟へと顔を戻した。
きっらきらぴっかぴかの、目がちかちかしそうなほどに眩い笑顔だ――この顔で「おねだり」などされたら、二つ返事で、なんでも聞いてしまうだろう。
いつものカイトなら、そうだ。
しかし今日のカイトはあくまでも、微妙な表情だった。がくぽが日頃、どんな我が儘や甘えを吐こうとも、うれしそうに笑っているのが常だというのに。
「兄様っ」
「………って、言うけど」
急かされて、カイトは重い口を開いた。
眉をひそめ、本気の困惑顔で、首を傾げる。
「……………『甘える』って………………………………………………………………どうやって?」
「にぃさま………?!」
冗談ではなく、誤魔化しでもなく、本気で発された問いだった。
がくぽは花色の瞳を見張って兄を見つめ、餌儀のほうはあからさまに顔をしかめて、傍らに座っていた夷冴沙を睨んだ。
「いちや」
「うむ………いくらなんでも、いちも反省した」
おとーと至上主義の夷冴沙は、がくぽに殊更甘い。だが、だからといって兄であるカイトには厳しいということではない。
彼は彼なりにマスターとして、カイトを甘やかそうとした。
しかし結果的にはカイトの「おにぃちゃん力」が磨きに磨き上げられただけだった――小動物な見た目を裏切らない、夷冴沙の「頼もしさ」ぶりだ。
項垂れた夷冴沙に肩を竦めると、餌儀は両手でメガホンをつくった。
「がくぽや、ここが男の見せ所だよ!めげずにがんがんお行き!!」
「餌義さん……っ!」
発破をかける餌儀に、カイトは再び頭を抱える。
案の定、気を取り直したがくぽは一度は崩れた姿勢を改めると、きりっとした表情になって、カイトへと身を乗り出した。
「兄様、なんでもいいんですよ!ぎゅってしてほしいとか、いっぱいなでなでしてほしいとか……」
「そう言われても……………………………………………!」
かわいい弟からの要望なので、カイトも一応は考えてみる。
しかし「弟」に、「なでなで」だの「よしよし」だのされるのは、こう――屈辱感のほうが、勝る。
がくぽのことはかわいいし大好きだけれど、その気持ちにまったく嘘はないのだけれど、それとこれとは別だ。
兄である自分にそういうことをする弟は赦せないし、腹が立つ。
「兄様………っ」
「う……っ」
きらきらを通り越して、うるうるとなりつつある瞳に見つめられ、カイトは盛大に引きつった。
なにが苦手と言って、弟に泣かれることほど、苦手なこともない。
とはいえしかし。
「…………し、強いて、言うなら…………」
考えに考えこんだ末に、ようやくカイトは、苦しい声を絞り出した。
「………おまえのこと、抱きしめて、よしよしって、してあげたい、かな………」
「にぃいいさまぁ…………っ」
それは甘えていない。まったく、甘えていない。むしろいつも通り、がくぽを甘やかそうとしている。
がっくり項垂れて床に手をついたがくぽに、カイトは手を伸ばした。沈む頭をふわふわと撫でて、苦笑する。
「ね、がくぽ……おにぃちゃんのワガママ、聞いて?おまえがほんとは頼り甲斐があって、自分ひとりでなんでも出来て、おにぃちゃんの助けなんて全然いらないんだとしても………」
「兄様」
はっと顔を上げ、なにか言おうとしたがくぽのくちびるに人差し指を当て、カイトは微笑んだ。
他家の「がくぽ」を見るだに、おそらく自分の弟にしても、本来なら兄に甘やかしてもらう必要はないのではないかと、薄々思っている。
そうでなくとも、新型と、旧型だ。性能はどちらが上かといえば間違いなく「がくぽ」で、旧型である自分に頼ってなにかしてもらうより、己で片づけたほうが早い案件だとて、あるはずだ。
そういうことは、すべてわかってはいるのだが。
「お願い。おにぃちゃんに、甘えて?おにぃちゃんに、がくぽのこと、いっぱい甘やかさせて………」
吐き出される声は、熱っぽく、甘い。
凝然とカイトを見ていたがくぽは、ややして満面の笑みとなった。
困ったような笑顔で見下ろしてくるカイトの腰に、ぎゅうっと抱きつく。
「はい、兄様!!がくぽも兄様に甘やかされるの、大好きです!!いっぱい甘えますからっ!!」
「ぁは」
「………なんたるお約束な結論だえ………!」
力いっぱい言い切るがくぽにカイトは笑い、餌儀は頭を抱えてため息をついた。その頭を夷冴沙が撫で、彼は餌儀にぎろりと睨まれて、ちょっとばかり反省した顔になった。