B.Y.L.M.

ACT1-scene11

それにしても限度がある。

明るくなった部屋で重い瞼を開き、カイトがまず考えたのは、そんなことだ。

日が沈みきらない時間帯から始めて、周囲が暗く、照明が必要となってもなお、がくぽはカイトを求め、飽かず貪った――

と、思う。

なにしろ、あまりにも長く求められ続け、カイトは途中から記憶がない。ほとんど意識を飛ばしていたが、それでも構わず、がくぽはカイトを離さなかった。

確かに、好きにしていいとは言ったし、少年がゆえの情熱とでも言ってしまえばそれまでだ。

しかしどうも、一般論で片づく段階をはるかに超えているような気がする。

自分があの年頃のときはどうだったかと、考えるともなく考えて、カイトは怠い体を少しでも楽にする姿勢を探し、億劫に身じろぎした。

気がつく。

「っ……、っ」

息を飲み、カイトは身を強張らせた。

しばらくそうして固まってから、そっと息を戻す。

限度がある――いくらなんでも、限界が。

「ぅ、くっ……っ」

億劫な身に鞭打つ気分でなんとか起き上がり、カイトは小さく息をついた。確かめたくもないことを確かめる前に、周囲を見る。

すでにいくつかの窓が開かれ、風を通しているが、そのためだけでもなく、室内は全体に明るかった。他の部屋と同じく、庭に面していると思われる壁の一面がほぼ、窓なのだが、そこに鎧戸を落とすのではなく、透明硝子を嵌めているからだ。

これほど大きな透明硝子を使った窓など贅沢の極みだし、おかげで閉じていようとも外と変わりないほどの光が入るというのも、言葉にし難いほどの贅沢だ。これならきっと、日が暮れるまで照明を点けずに書類仕事ができるに違いない。

室内と言えばとにかく暗いものという常識に生きてきたカイトとしては、まるで外に置かれているかのような心地にもなるが、そう悪い気がするというものでもない。

その窓から見上げた空は、やはり明るかった。明るいが、昼日中の明るさとは微妙に色合いが違う。

どうやら疲労のあまりに寝過ごすということもなく、未だ堂々、朝と言える時間、日が昇った頃合いには起きられたものらしい。昇りさしでも日の光はすでに眩いが、まだ空気に涼やかさがある。

ただしあくまでも『涼やかさ』という程度で、たとえば息が白くなるほどに冷えこむということではない。薄物一枚であっても、十分に過ごせる程度だ。

空気が未だ熱されていないせいか、昨日の昼間には嗅覚が麻痺するほどだと思った、花や果実の甘い香りもそこまで強くはない。

まるでなくなるということはないが、いわば慎みと淑やかさがある。寝に入った子供に似ているかもしれない。そこに存在は感じるが、起きているときほどの賑やかしさはない――

「は………」

しばらく空を眺めたものの、状況が変わるわけではない。

カイトは諦めて、寝台の自分に意識を戻した。

三人は楽に横になれると測った寝台に今、いるのはカイトひとりきりだ。

わずかに恨みがましい目を送った傍らに、横になっていた形跡はあるから、ずっとひとりきりにされていたわけでもないのだろう。いったいいつ寝て、どれくらい寝たものかは不明だが――

少なくとも夜半までカイトはがくぽに貫かれ、吐精され続けていたような気がしている。もはや呑みこみきれないそれが、がくぽの動きに合わせ、卑猥な音とともに漏れだし、――

「………逃げるにしても、方向性がある」

ある意味、『新妻らしい』思いの馳せ方とは言えるかもしれないが、状況というものがある。

つい詳細に思い出してしまった『初夜』から思考を離し、カイトは用心深く、自分の体を確かめた。

全体に、怠い。

しかし、汗に唾液に精液にと、朝の清涼な空気のなかでは思い返すのもいたたまれない類のものに塗れて落ちたはずの体は、汚れもなくきれいなものだ。まるで水を浴びたあとのように、さっぱりとしている。

おそらくこれは、がくぽのしわざだ。長く続く求めに耐えきれず、カイトが意識を飛ばしたあと、ひとりで後始末をしたのだろう。

なにからなにまでといういたたまれない気持ちと、あれほどしたのだから仕様がない、始末をつけるのは当然のことだと開き直る気持ちの双方が、カイトの内にほぼ等価である。

とにかく体は、こざっぱりときれいなものだ。

しかも汚れを拭い取られただけではない。カイトには新しい寝間着が着せかけられていた。

相変わらず、身幅を取った馴染みのない形式ではあり、おそらくこれも、その気になれば脱がすに容易かろうとは想像がつくが、それはともかくだ。

意識のない人間相手の着せ替えは非常に苦労するはずなのだが、案の定でそこのところに手を抜くような性質ではないらしい。

カイトが少年の苦心途中に目を覚ました記憶もないから、器用にやったのだろうと推測できる。

そういった意味で、だから不快感はない。

しかし怠さだ。これは取りきれていない。

特に下半身だ。腰が重い。腰から下が痺れているようで、足にもうまく力が伝わらず、起き上がるにもほとんど腕の力頼りだった。

これでは今日は、まともに歩けまいと――

「………どのみちこの始末では、歩けまいが」

寝具のなかにあってもわかるそれの感触に疎む視線を投げ、カイトは忌々しく吐きだした。

いい裏切りぶりだ。がくぽ――カイトの『夫』となった、なにかをひどく思いつめて追いつめられた、あの少年。

嫌なため息を吐きだしつつ、カイトは自分の体、下半身を未だ覆っていた寝具を、ゆっくりと剥いだ。

力なく投げだされた、投げだしておくしかない、力の入らない足。

その左足――足首に、嵌められた枷と、繋いで伸びる鎖。

「……っっ」

カイトはこみ上げるものを堪え、奥歯を軋らせた。

覚悟していても実際目にすると、咄嗟に湧いてくるのは激しい怒りで、憤りだ。よくもこんなものに繋いでくれたものだと、激昂せずにはおれない。

妻だと呼び求めながら、これでは虜囚だ。自分が昨夜に受けたものが夫からの情愛ではなく、無法者からの凌辱に化ける。

言っても下層のつみびとを繋ぐような、無骨一辺倒の枷ではない。貴族など上流階級を繋ぐ用の、多少の装飾が施されたものだ。

そうとはいえ、主たる材質自体は下層用と変わらぬ鋼で、重く硬い。迂闊な動き方をすれば、やわい肌はすぐに傷つき、腫れ上がるだろう。

それを防ぐためか、足首にはまず保護材として、やわらかな布がぐるりと巻かれていた。その上から枷が嵌められている。

思いやりはある――もちろん、そんな思いやりはいらない。むしろいらない。

「っく、………っ」

そうでなくとも重怠い足へ手を辿らせつつ、カイトは煮えくり返る腸を抱え、ひたすら歯を軋らせる。

ここにきて、やってくれたものだと思う。

自棄を起こしたとはいえ、油断しきっていた自分が悪いといえば悪いが、それにしてもだ。

もやつく腹の、こみ上げるものをどうしようかと苦心していたカイトは、ふと耳に届いた音に顔を上げた。同時に、部屋の扉が開く。

咄嗟に身を強張らせたカイトだが、その必要はなかった。入ってきたのは、がくぽだ。

成り立てで、そして初夜が明けたばかりの朝早くから、やらかしてくれた幼い夫。

「……っ」

「っ!」

言葉にもならず、壮絶に恨みがましい目だけを向けたカイトに、すぐさま気がついたがくぽが、扉口でぴたりと止まった。

かたかたと――

小さく鳴るのは、がくぽが手に持った盆の上、食器が小刻みに当たるそれだ。

なぜ小刻みに当たるかといえば、運び主であるがくぽが震えるからだ。怯えて。

本来的に、赦し難い。

とてもではないが、限度を超えた所業だ。ひと言謝れば済むという段階も、軽く超えている。

その思いはくすぶっていたものの、最終的にカイトはがくぽを赦した。

恨みがましく見たカイトに返した、がくぽの表情だ。

悪いことだと、わかっていた。

妻と呼び成した相手を寝台に、枷と鎖で繋ぐようなことは、してはいけない、悪いことだと。

よかったと、思ってしまったのだ。

もしこれがこの家の――がくぽの、ひいては一族の流儀であって違和感もないというなら、先の苦労は計り知れない。

カイトは自分の不満がどこにあってどういうものなのか、あまりにも当然のことわりであり過ぎて説明も困難であるほどのことを、説明するところから始めなければならないのだ。

しかも経験から言うなら、ことこの手の話題で意思疎通を図るのは、非常に難易度の高いことだった。誰を相手にしたとしてもだ。そして相手は、なにかをひどく思いつめて追いつめられた少年だ。

一度の会話で済む気もしなければ、永遠に会話が成り立たない可能性すらある。

だががくぽは、『やってはいけないことをやった』と、はっきり反応した。

となれば少なくとも、自分が嫁いだ先の家の流儀として、『妻とは鎖に繋ぐものである』ということはないのだ。

これは少年の独断であり、『妻を鎖に繋ぐようなことはしてはいけない』前提があるうえでの、暴挙だ。

そうとなれば罪悪感を刺激するだけでいいから、話は早い。

あとは、少年がどうしてこんなことをするに至ったのか、今後同じことをくり返させないためにはどうすればいいのかを探るだけだ。当初想定したいくつかの事態のうち、最悪は免れている。

もうひとつ言うなら、どうしてこんなことをするに至ったのか、その理由はほとんどわかっていた。

きっと、怯えたのだ――カイトが逃げるのではないか、と。

生まれたときから王太子の定めを負い、そのために、そう生きてきた。

そのカイトが、突然に同性の、年下の少年騎士に『妻』として娶られ、寝台に組み敷かれた。カイトは名目だけの妻ではなく、実際に用を為す『妻』なのだ。

それが、うすらぼんやりとした想定ではなく現実として、身に沁みこまされた。

昨夜一度で終わることではない。これはこれから、カイトが生きている限りは、あるいはがくぽがカイトを妻として求める限りは、ずっと続くことだ。

カイトは生涯をこの、年下の男の『妻』として過ごすことになる。

少しでも誇りや矜持があれば、赦し難い境遇の変遷だろう。

逃げだしたいと思い、逃げようと画策しても、まるでおかしくはない。

否、自分が目を離したほんの少しの隙に、逃げだしているかもしれない――

なにかを思いつめて追いつめられている少年は、その危惧を払拭できなかった。若くして騎士に叙勲されるほどの武勇を持ちながら、その恐怖に打ち勝つことができなかった。

そして『悪』に手を染めた。

ほとんど怒りが鎮まった状態で、しかしカイトは未だ表情を解くことはなく、震えながら扉口に立ち尽くし、断罪を待つ少年へ手を伸べた。

「がくぽ」

「っ!」

がちゃりと、ひと際大きく食器が鳴る。

落とされたらことだなと思いつつも、カイトは感情を浮かべることなく、伸べた手を軽く振った。

「来なさい、神威――神威がくぽ。ここに」

「……っっ」

カイトはわざわざ、名をすべて呼んでやった。

これは親が、子供相手によくやることだ。日常の些細な感情の行き違いで怒るのではなく、子供がほんとうにやってはいけないことをやったと、そう叱るとき――

親子だけにも因らない。騎士団内でも同じだ。ことに目下のものが騎士としてあるまじき振る舞いに至ったとき、目上たるものは、いつもの愛称や略称で相手を呼ぶことをしない。いきなり大声で怒鳴りつけ、殴り飛ばすような真似もだ。

ただ、名を呼ぶ。厳密にして厳格な、家格を伴った名のすべてを。

雷に打たれたように向けられた少年の顔に束の間、反抗心が過ったのを、カイトは見た。

この、見た目こそ少女のようにうつくしい少年は無愛想を極め、しかも主であるカイトすら睨みつけるような手合いだ。

剣の腕こそ認められて騎士に叙勲されたはものの、日々の生活の態度で、先輩の騎士たちからこういった形で訓戒を落とされることは多かっただろう。

それがすべて正しかったか否かは置いても、難しい年頃の少年にとってはひたすら、鬱屈する時間であったはずだ。

その思い出がカイトの振る舞いによって過り、束の間の反抗心となって現れた。

けれど相手は同輩や先輩ではなくカイトだから、あくまでも『束の間』。

思いを馳せて微笑ましいと感じてしまうから、カイトはやはり、怒ったままでいられない。

どうにも自分はこの少年に、あまりにも傾倒している。いくら不安定に揺らぎ、自棄を極めていたにしろ――

その理由を深く考えることは今は避け、カイトは逡巡する少年をじっと見つめ続けた。

「神威がくぽ」

ただ、呼ぶ。家格も含めた名のすべてを。

もう一度だけ、盆を大きく揺らしてから、がくぽは目を伏せた。どちらかといえば、自分で悪いことをしたとはわかっているものの開き直り、挙句拗ねた子供の表情に近いものをして、カイトの傍にまでくる。

カイトはもはやなにも言わずがくぽと見合い、枷の嵌められた自らの足に手を添え、軽く突きだした。カイトが自由に動けるぎりぎりの範囲まで鎖を引き、しかしぴんと張るようなことはしない。

「…っ」

多少の余裕を持たせて差しだされた足から、がくぽは一度、目を逸らした。

が、長くはない。カイトが二度目の促しをするより先に、思いきった。

まずは自分が持っていた盆を寝台脇、頭の側にある小卓に置く。わずかに移動してカイトの足元まで行くと、差しだされた足を捧げ持った。

相変わらず、無闇とカイトを尊重する態度だ。ほんとうに尊重するなら枷など嵌めないで欲しいと思うが、これは仕方がない。おいおい、いくしかない。

捧げ持つ手を基点にがくぽはカイトの足首まで辿り、嵌めた枷を撫でた。

かちり、と。

開錠の音が響いて、足首が軽くなった。

外した枷は、寝台脇に無造作に投げられる。

あとで片づけてくれるだろうかと、カイトは枷の行方にちらりと視線を投げ、すぐには無理だろうと思いきり、目を離した。

カイトが鎖に繋がれた理由が理由だ。はっきりと訊いたわけではないが、おそらく正しいと思われる。

おいおいだから、がくぽがなにかの用でそばを離れるときにはしばらく、なにかしらの枷に鎖されることを覚悟しておいたほうが無難だろう。

なにが『無難』かという話もあるが、少なくとも目覚めて途端に激昂するようなことは、一日の始まりとしてあまり、芳しくない。

がくぽは目を伏せたまま、肌を保護するための布も巻き取った。あらわになった足首をじっと見て、そこに万が一にも傷や、痕がついていないかを確かめる。

大切にしてくれている――大切にしようと、してくれてはいるのだ。ただ、思いつめて追いつめられたなにかがたまに、堪えようもなく暴走する。

それはそれで年頃の少年らしい制御の利かなさであり、カイトにも経験はあったし、まだ理解の及ぶ範囲のことだ。ただしもちろん、だからと誰かを枷で鎖すようなまねは、カイトはしたことがないが。

そもそも秘密の多い『夫』だった。

それはすでに破綻を前提にしていると、カイトが昨日に警告した通り、どうにもこの夫婦生活は一筋縄ではいかない気配が濃い。

それも概ね、がくぽがその幼い胸にしまいこみ、ひた隠そうとするものゆえに。

入念な点検ののち、満足いく結果が得られたらしいがくぽは最後に、捧げ持ったカイトの足の甲に額を当て、離した。

その行為は、下手をすれば隷属の誓いを意味する。騎士どころか従者ですらなく、奴隷の誓いだ。

今回は地に伏せての行為ではなく、あくまでも寝台に上がり、捧げ持っての行為だからまだ、夫婦生活の営みの一環と、誤魔化すことも可能だが――

どちらかといえば隷属の誓いに軍配が上がりそうな気配の少年に、行為について問うことは避け、カイトはようやく自由を取り戻した足を寝台に置き、軽く撫でた。

自由を取り戻したとはいえ、これでたとえば、逃げられるようになったというわけではない。相変わらず腰は痛いし、下半身の感覚がどうにも鈍く、歩くどころかまともに立つことさえできる気がしない。

用足しをどうするべきかということを思考の端に過らせつつ、カイトは寝台から下りたがくぽを目で追った。

「がくぽ」

「朝食を、持ってきました。消化に良いもので、揃えています。多少なりと、口に……腹に、入れてください」

「………」

少年の、こちらの問いを塞ぐ行為はもはや常態化していて、やはり一夜明けても変わらなかった。それこそ体を繋げたところで、まるで得るところがないというような――

ため息をかみ殺し、カイトは瞳を伏せた。

体の疲れもあるし、なによりも精神的な疲労が響いているのだろう。昨日、最後の食事をしてからずいぶんと経つはずだが、空腹感はない。むしろもう、なにも口に入れたくない。

こういったこころの向きになったとき、カイトはどうすれば良いか、よくわかっていた。

よくわかっていたが、それは王太子として、役職にあったときの話だ。どうでも持ち直す必要があって、そこに価値も見出したからこそ、できた。

今は違う。

迷いが大きい。ほんのわずか、簡単なことでも挫けやすくなっている。

なぜといって、もはやそこまでして自分を永らえさせる、その価値が見出せない――