B.Y.L.M.
ACT2-scene4
腹の内に噴きだすものを感じた。同時にカイトの感覚が持っていかれ、視界が白く弾ける。
「んっ、く、ぁあ……っ」
「ふ、ぅ……っ」
カイトは男性器からの射精に因らない絶頂を味わわされ、激しく痙攣する。初めてのことではない。おそらくかなり意図的に、がくぽはそう、カイトの体を仕込んだ。
その望みや狙うところは未だ不明だし、この絶頂感が与える快楽の強さと毒性の、性質の悪さはそうそう馴れるものではない。
しかし――
「ぅ、く……っ」
きりりと奥歯を食いしばって、カイトは寝具を掴み、名残りに震える体を引き上げた。同時に足にも懸命の力を入れ、寝台を蹴る。快楽漬けにされて萎えた足はほとんど役に立たないが、なにもしないよりはましだ――あくまでも、気分的なものがということだが。
ひどく緩慢であり、あえかな動きでもあったが、なんとか目的は果たせた。息も荒く、動きを止めていたがくぽを辛うじて、奥所から抜き去る。
「かいっ……っ!」
カイトの動きに、がくぽがはっと、瞳を見張った。咄嗟に顔だけが、カイトを追う。
カイトはまだ、動けないはずだった。
少なくともこれまで、男性器に因らない絶頂を与えられた場合、カイトはがくぽが多少、息つくまで痙攣し、その後も強すぎる感覚に翻弄され、まともに動けなかった。
動く理由がなかったというのも、ある。
動かなければいけない、この感覚を乗り越えなければいけないような、理由も目的もなかった。
今は違う。
今、この瞬間――カイトがまるで動けないと習慣から考え、さすがに油断しきっている少年の隙をつき、ことを起こすには。
「ふっ……ぅっ」
快楽の名残りは強い。腕も震えるし、未だ体幹も定まらず、足腰などまるで立たない。くちびるから漏れるのは堪える呼気だが、どうにも喘ぐに近いと、カイトが自分で思う。
そういったふうであり、自由に動けるだとか、思うままに動くといったことからは、程遠い状況ではあった。
それでもカイトは油断をついたことと、『主である』という、もとよりの関係性で束の間、少年に勝り、その体を寝台に転がすことにまで成功した。
寝台に打ち倒して乗り上がり、押さえ、血のにじむ背を見ることに。
がくぽが羽織っていた上着は、白地だった。ことに、ほかの色が映える。
ましてや血の色ともなれば、あまりに鮮やかに、痛々しく――
予想はしていても、目にした瞬間の衝撃は強い。カイトの力が咄嗟に緩み、動きも鈍った。
爛れた生活に溺れこんでいようとも、がくぽのもとは騎士だ。それも異例の幼さで叙勲されるような。
「ぅ、く……っ!」
「ぁっ」
がくぽはカイトが覚えたあえかなためらいを逃さず、逆転された形勢を崩し、押さえこみから逃れた。だけでなく、カイトの肩を掴むと寝台に転がし直す。
うつぶせに押し倒すと、カイトの背に膝を置きまでしてきつく、組み伏せた。
乱暴な所作だった。ほとんど、騎士として磨き抜かれた戦闘本能だけで動いているからだ。自らを打ち倒すものがいたなら、なんとしてでも引き剥がし、地に組み伏せよという。
そこに、相手が誰かという判断は働いていない。本能というのはそういうことだからだ。
けれどあくまでも、騎士としての戦闘本能だ。
騎士としての、だ。
雄として、無頼として、戦闘狂としてのではなく、騎士としての。主を戴き掲げて、戦うもの――
そしてがくぽは誰の騎士であるかということだ。
カイトだ。
他の誰でもなく、カイトの――カイトを主と仰ぎ、妻とした今ですら、その関係性から抜けだせていない、いわば根っからの。
「っの、愚かものっっ!!」
「っっ」
体が転がされても、こころまで下ることはなく、カイトは腹の奥底からの大喝を放った。少年の、一度は『敵』と捉えて裂けた眦が引きつり、押さえる手が緩む。
つまり、カイトは王太子だった――王太子だ。
いずれどこかへ嫁し、寵を得ることを目的に、愛らしさと甘やかさを躾けられた姫ではない。一朝事あらば、将として軍を率いることも想定のもと、徹底して帝王学を仕込まれた。
気質が穏やかで鷹揚であり、激することが滅多にないため誤解されがちではあるが、相手を竦ませる程度の威迫をまとうことは、実は容易い。否、普段が穏やかで鷹揚であればこそ、落差から威迫はより強く、相手に映る。
相手が怯んだと見ても容赦することはなく、カイトは押さえこまれて不自由な首を捻り、幼い夫をきつく睨み上げた。
「無礼者が、控えろ、神威がくぽっ!」
「っ!」
肩を掴んでいた手を、背を押さえていた膝を、反射の動きでぱっと浮かし、だけでなく、花色の瞳を極限まで見張ったがくぽは、よろけるように下がった。
寝台からすとんと、落ちるようにして床に降りると、跪き、騎士としての最高礼まで取る。
滑稽な姿ではある。
がくぽだけではない、カイトもだ。
ふたりとも、今の今まで『夫婦』として淫欲に身を任せ、互いの身を貪っていたのだ。
そもそもここしばらく、まともに衣服を身に着けていないカイトは今も全裸であり、しかも拭っていない体液がそこかしこにまといついているという有り様だ。
がくぽだとて、同様だ。縋りつかれて脱げなかったのは上着だけの話で、下半身は剥きだしのまま、こちらもこちらで、体液をあちこちとこびりつかせた姿だ。
とてもではないがひとに見られたいざまではないと、思考の片隅で呆れつつ、カイトは小さく息を吐いた。
多かれ少なかれ、夫婦喧嘩というのはそういうものだ。
ひとから見れば滑稽な、けれど本人たちは無念なほど、真っ向真剣であるという。
そう、情けなさにいたたまれない自分をなだめ、誤魔化したカイトは、苦労しながらなんとか、身を起こした。
寝台の傍ら、跪く幼い夫を見る。堪えきれず、肩が震えている。朱の染みた、肩だ。
――さすがにカイトも、この罪悪感のほうはそうやすやすとなだめられもしなければ、誤魔化せそうにもなかった。
滅多になく声を荒げ、手酷く撥ねつけはしたものの、カイトはほんとうに怒ったわけではない。ただ、力や体技で劣る自分が相手に勝るためには、主導権を握るにはどうすればよいか、考えたうえで取っただけの策だ。
非常に冷静に判断したうえでの行動だが、効果は思ったよりもあった。まさかこうまで力なく、打ちひしがれて怯え、震えられるなど――
冷静であった分だけ、罪悪感が強い。
今度からはきちんと憤激に駆られたうえで怒鳴ることにしようと、多少の惑乱した思考を過らせつつ、カイトはもう一度、小さく息を吐いた。
やってしまったものは、仕方がない。それにこれは、ようやく掴めた機会だ。逃せば今度こそほんとうに、次がないかもしれない。
もうこれ以上、時を引き延ばすことはできないのだ。カイトの様態にしろ、がくぽの容体にしろ――
だからカイトは、口を開いた。冷然と、言葉を放つ。
「来なさい、神威がくぽ」
「……っ」
凍る声音での主からの命に、幼い騎士はぶるりと震えた。かちかちと、歯を鳴らすほどに怯え、わずかに上げる顔は、美貌も無惨だ。
いったいなにをそこまで自分程度に怯えるのかと、カイトは面食らった。
今の状況がある。あからさまに表とはしないが、どうしても不審が勝ってつい、まじまじと少年を見てしまう。
この相手は、幼いとはいえ歴とした騎士であり、力にしろ体技にしろ、カイトに勝って劣ることはない。
なによりも、大軍を以ても敵うこと能わずと評された南王をひとりで斃したという、過ぎ越した実力の持ち主だ。
人智を超えるという意味で『魔』の冠を与えられた南王に比べれば、カイトなど、ただびとだ。
王太子という高位にあっても、ただびとはただびとだ。ただびとに過ぎない。対峙して恐れるほどのものではないはずだ。
けれど少年は震える。これまで見たこともないほどに怯えて、歯の根も合わず。
怯えるあまり、身動きも取れなくなっている姿に罪悪感は募る一方だが、カイトはこういったものの相手にも馴れていた。伊達の王太子稼業ではない。
だから容赦もすることなく厳然と、打ち据える声で続けた。
「立て!」
「っ!」
びくりと跳ねたがくぽが、ほとんど反射のみの動きで立ち上がる。
カイトは隙を与えない。矢継ぎ早に命令を重ねた。
「来なさい、こちらに。寝台に上がって、背を向け――見せなさい、私に、おまえの負うものを」
「………っ」
逡巡を振りきれない、ぎこちない動きで、けれど抵抗もしきれず、がくぽはのろのろと、カイトに命じられた通りに動いた。つまり、寝台の中央に座すカイトが動かずとも仔細に見られるよう、自分のほうから乗り上がって近づき、そのうえで背を向けて、座る――
上着を自ら肌蹴ることはできなかったが、がくぽはカイトが伸ばした手を避けることも、阻むこともしなかった。
自分で意図してやったこととはいえ、朱に染まる上着を剥くことは、カイトにもそれなりの覚悟が要った。だとしても止めることなく手を掛け、少年の肌をあらわとする。
「っ?!」
――予測はしていたが予想だにしなかったものを目にして、カイトは絶句した。先までの勢いが、威厳が、霧散する。
「なん、だ、………これ、は」
しばらくしてようやく出た声も掠れ、しかも舌がもつれた。
戦慄しながらも目を離すことができず、今度、震えるのはカイトのほうだった。
あらわにした、少年の背。
表面、顔貌と遜色なく、うつくしい背だった。肌の色はぬめるように白く、肌理の細かさたるや、まさに少女も顔負けのものだ。
けれど少女とは決定的に違って、その背は日々の鍛錬によって引き締まり、見た目からして硬い。筋肉の隆起が、こうして項垂れながら座っていてすら、わかるようなものだ。
だからと無骨に過ぎるほど隆起しているでもなし、均整は取れていても成長途上の少年らしい、薄みではある。
なにはともあれその、うつくしい背の、ちょうど肩甲骨のあたり――
そう、まるで肉と骨とを諸共に削ぎ落したかのような傷が、二本。
乾かぬ肉の色も瑞々しく、中途で断たれた骨の継ぎ目も明らかに、浮かぶ血の色も鮮やかにあった。
そんなはずはないというのにだ。
がくぽがあの、幽閉されていた塔にカイトを迎えにきて、実際どの程度の日にちが経ったか、正確なところはわからない。
だが、虚ろに流した日々の記憶を必死に手繰り、諸々すべてを勘案しても、もはや十日近くにはなるはずだ。
その十日ほど前にがくぽと対したとき、カイトはすでに、血の臭いを嗅いだ。怪我をしているのかと訊いたら、がくぽは咄嗟に、背を庇う様子を見せた。
だからあの日、あのときにはすでに、がくぽの背には傷があったのだ。
さらに逆戻して考えれば、がくぽは南王と戦い、おそらく休みもせずにその足で、カイトの元へ辿りついた。どこで戦い、どの段階でこの傷を負ったにせよ、ろくな手当てもしないまま――
傷――傷といってはあまりに軽々しく響く。幅こそ狭く、たとえば親指の幅と同程度だが、カイトの手の、中指から手首に至るまでほどの長さがあるうえ、骨まで覗く。大傷と言えるだろう。しかもそれが並んで、二本もあるのだ。
なによりもこの大傷、おぞましい切断面はカイトの目の前で、すべてが瑞々しく、生々しい色を晒していた。
カイトが掻き毟ったから、血の色が鮮やかに浮いているのではない。むしろ掻き毟った痕跡のほうがなく、けれどひたすら瑞々しく、生々しい。
まるで今、まさにここで切断したばかりのごとく――
だから、そんなはずはないのだ。
がくぽはすでに十日も前には、この傷を負っていた。そのはずだ。
もしも今だとして、直前になにがあったかといえば、カイトとふたりきり、淫行に耽っていただけだ。
カイトは確かにがくぽの背に手を回し、爪を立てはしたが、肉をこうまで削ぎ取るほどではない。骨を継ぎ目から掻き取るほどでは、決して。
そんな力も技も持たないが、そもそもカイトがしがみついたあのとき、すでに傷は存在していた。
隠されたまま、いっこうに明かしてもらえないそれを暴くためにわざわざ、夢中を装って傷に爪をめりこませまでしたのだから、間違いない――
「………っ」
カイトはぎゅっと眉をひそめ、くちびるを噛みしめとして、こみ上げる嘔吐感に耐えた。
いつまでも受け身のままではいけない。この、なにかに追いつめられ、思いつめた挙句に暴走する少年を止めるためには、道を正すためには、きっかけを得たならなりふり構わず、掴み取らなければ。
そう思えばこそ、惨たらしい仕打ちとわかっていても、傷に爪を抉りこませるようなことまでした。
だが、その傷が、ここまで手酷いものであり、尋常ならざるものだったとは――
そんなものに、さらに苦痛を与えるべく、爪を抉りこませたなど。
「……が、くぽ、っ」
呑みこんでものみこんでもこみ上げる吐き気を懸命に堪えつつ、なんだこれはと声を上げたカイトに、項垂れていた幼い夫はさらに小さく、身を丸めた。
わずかな沈黙ののち、けれどこうまでとなれば隠し立ての続けようもないと、観念したのだろう。ぼそりと、吐き出した。ようやくにして。
「呪い、を、――受けました」