B.Y.L.M.
ACT2-scene16
予測するまでもない、当然、放たれるべき問いだった。
わかっていただろうが即答はできず、がくぽは押し黙る。
カイトからしても、この反応は予測の範囲だ。今となってもまだ押し黙るかと、苛立つことはない。青年の彼自身、頭を抱えていた。いったいどうして、こうまで言葉が詰まるのかと――
蘇る記憶に、微妙な微笑ましさを抱くだけだ。
なんにせよ、いずれ必ずせねばならない問いならば、初めに潰しておくに限る。こじらせてから対処するほど、面倒なことはない。
――今はまだ、こじらせていないのかと問われれば、それもそれで答えに窮するところではあるのだが。
それでも少なくとも、まだ話し合いをしようとは、思う。思う余地はある。ならばするだけだ。
だから押し黙られても挫けず、カイトはじっと、がくぽを見つめた。
「体質だと言ったが」
「そうです」
不承不承の感はあったが、促してやるとがくぽはようやく、口を開いた。顎を押さえられているから逸らすことはできないが、瞳は翳ってうつむき、カイトから逃げる。
「夜と昼とで、成長が合いません。夜のほうが遅く、昼のほうが早い。ために日ごと毎日、日の出と日の入りを境に、夜の姿と昼の姿に変じる」
「………っ」
面妖なと頭を抱えたいのを、カイトは王太子として鍛えた外交用の根性で堪えた。
騎士らしい、簡潔明瞭な説明だ。曖昧なこともなく、事実を事実として伝える。簡素で素っ気なく、情緒はないが余計な飾りもなく、疑う余地もないから、信用が――
懸命に自分へと言い聞かせたカイトだが、最終的に無駄だった。
言っていることがほとんど、まるで理解できない。
『夜と昼とで成長が合わない』?
いったいどうやって、どうして、同じ体の成長が、夜と昼とで乖離するのか。それは南方人にとって普通なのか、しかしそんな話はついぞ、聞いた覚えがない。
『南方人のことごとく、夜と昼とで姿の違いけり』などという、あまりに人間離れした話は。
だからこそカイトもこれまで、なにあれ南方もまた、西方と同じくひとが主たる国なのであろうと考えていたのだ。
誤魔化しきれるほどの戸惑いでもなく、また、誤魔化すことに利点もない。だからカイトは素直に戸惑いを表した。たとえ目を逸らしていても、がくぽにも伝わっただろう。
が、くり返すが今は、気難しい年頃の、口数の極端に減った少年だ。
カイトの戸惑いを拾うことはなく、拾えるほどの余裕もなく、言葉を継いだ。
「先までは――あれの呪いに、時を止められていた。ために、夜であろうが昼であろうが、変わらずいましたが、……呪いは解けた。これから先、日の出と日の入りを境に、『夜』と『昼』で、あなたの夫は年齢が違う」
「…っ」
『呪い』の言葉に、がくぽの顎を掴むカイトの指は、ぴくりと震えた。
今は白く、きれいな指だ。爪の形も整えられ、健康的で艶やかな色をしている。
この指で、爪で、傷を抉った。
今まさに削ったばかりのごとく、乾くこともなく生々しくあった傷を、――
指先を赤黒く汚したものを、その感触を覚えている。たとえ洗われ、欠片の名残りもなくなったとしてもだ。
幸いだとすれば、今のがくぽはなにかの後ろめたさから、カイトを見ていなかった。顔を背けられないまでも、視線は逸らし、逃がしていたのだ。
もしこれで、少年がきっぱりとした覚悟を固め、カイトを正視していたなら――
束の間、取り繕いようもなく浮かべてしまった悔悟の表情をもし見られていたなら、忠義が過ぎて傾倒気味のこの騎士が、どれほど面倒な有り様となることか。
――だからこれは、幸いだ。
もう一度、自分に言い聞かせ、カイトは反射で引きかけた指を戻し、がくぽの顎から頬を伝い、撫でた。
「背を」
「っ」
短くこぼれされた要求に、がくぽがはっと、顔を戻す。
逃げることなくその視線を受け、カイトはもう一度、くちびるを開いた。ことさらに、ゆっくりはっきり、告げる。
「見せなさい、背を。――見せてくれ」
「………っ」
命令が、嘆願に――
懸命に堪えても言葉尻が震え、カイトのくちびるは自嘲の笑みに歪んだ。
少年の顔がくしゃりと歪み、頬が赤く染まる。羞恥ではない。憤激だ。なにに由来するかといえば、主に案じられる、自らの失態ぶりにだ。
先にも言ったことがある。傷を悟られるなど、騎士の名折れだと。
――尊重した挙句、あれほど惨たらしい傷を、十日余りも放置することとなった。カイトが思いきって、暴挙に及ばねばならない羽目にも陥った。
指に宿った記憶は、あまりに生々しく、痛い。
恨みは尽きせない。
笑みは自嘲であり、なによりも自戒だ。同じ過ちは犯さないし、犯させない。
「がくぽ」
やわらかに名を呼んで促すと、少年はさらに頬を染めた。くちびるが引き結ばれ、――しかし結局、言い返すことも逃げることもなかった。
なぜなら呪いは解け、今はもう、後ろ暗いものを負っていないからだ。隠す必要のあるものなどない以上、疑われたところですぐに、議論の余地もない潔白を証明できる。
なによりこの場合の証明は、『見せる』ことだ。苦手な言葉を尽くす必要もなく、ただ、願われた通りに見せるだけでいい。
「っ……、っ」
勢い余って多少、乱暴な所作ではあったが、立ち上がったがくぽはためらいもなく、上着を落とした。くるりと回ってカイトに背を向けると、上着の代わりに隠し覆うような長い髪もまとめ、前へと流す。
露わにされたのは、白磁のごとき、なめらかでうつくしい肌であり、均整のとれた背だ。
そこに、瑕疵のひとつもない。
青年期には負っていた翼もないが、――いずれ傷があったという、わずかな名残りさえも、まるで。
憤然とした気配を立ち昇らせる夫の背を、カイトは丁寧に眺めた。
未だ成長途上の少年とはいえ、正規の騎士だ。たるみもなく、引き締まって、まっすぐ伸びた背は気持ちがよい。
もとより、腹などと比べても贅肉のつきにくいのが背というものではあるが、それでも不摂生は現れるものだ。一部の、甘やかされるに任せた貴族の子弟など、服の上からですら、背の醜いことがわかる。
もしくは、たとえ若いとしても自信のなさが表れて、まるで意気を失った老人のように丸く。
がくぽの背は、そういった醜さも、自信のなさも窺えない。漲っているとまでは言い難いが、これから成長していこうという、健全さが見える。
ふっと息をつき、カイトは手を伸ばした。脇腹に、指が触れる。がくぽが反射でびくりと震えたのは、思いもよらず触れられたせいか、単なる反射であるのか――
どちらでもいい。
今、このときだけは、幼い夫の健全さが、ただうれしい。
健やかであってくれることが。
知らずくちびるを綻ばせ、カイトは静かに、赦しと謝罪を告げた。
「――ありがとう」
「っ、ぁ、い、ぇっ………っ」
数があるとはいえ、揺らぐろうそくの明かりはやはり、不安定だ。それでも、ぬめるように白い肌が羞恥を刷き、みるみるうちに赤く染まっていくさまはよくわかった。
そういえば、――夫が快復したなら、ろうそくの数を減らしてもらおうと思っていたのだったと、カイトはぼんやり考えた。
煌々と、部屋中の明かりが灯っている。それでも昼の明るさには及ばないが、決して暗いなどとは言えない。生まれたときからの王宮暮らしの身でも、贅沢だと言いきれるほど、ひどく明るい。
そもそも、いくら王宮であったとしてもこれほどの明かりを灯すのは、よほどの上客を迎え、その歓待に尽くすようなときぐらいのものだ。
そしてここは王宮ではなく、上客のあったわけでもない。
いるのはカイトとがくぽ、この屋敷の主である夫婦ふたりだけであり、夫婦が過ごすだけの日常の夜に、これほどの明かりは必要ない。日常と考えれば、あまりに贅沢だ。明る過ぎる。
そう、過ぎるほどに明るいはずだ。
まだカイトはがくぽに明かりを減らすよう、頼んでいないし――余裕もない少年期である夫は、明かりが多いことになど、思いも及ばせられていないだろう。
たとえ不安定なろうそくの明かりでも、数は力だ。明るい。明るいはず――
「………カイトさま」
「ぁ……」
いつの間に振り返ったものか、がくぽが間近に顔を覗きこんでいて、カイトは瞳を瞬かせた。
眩む。
明るいはずの部屋なのに、明るさが取りきれない。なにかが沈んでいくような心地があり、うまく視界が利かない。
ただひとつ、はっきり見えるのは、自分を覗きこむ夫だ。夫の、露わにされた白い、ぬめるように艶やかな肌。
「……ぁ、……」
疲れて、眠いのかもしれない。あの惨たらしい傷が、ほんとうに完全に無くなっていることを確かめられて、安堵したこともあるだろう。
いい加減、いろいろなことが重なった日であったし――
目が眩み、思考が回る。
目が離せないのは夫で、夫の露わにされた肌、立ち昇るように見える、雄のなにかだ。
こくりと咽喉を鳴らしたカイトに、案じるように覗きこんでいたがくぽのくちびるが、あえかに綻んだ。手が伸びて、カイトに触れる。後頭部を押さえられて、カイトはぴくりと震えた。
構わず寄ってきたがくぽが、カイトの首元に鼻を埋める。すんと、嗅がれる音がして、カイトは目を閉じた。
ここ最近ですっかり慣れた、雄の気配が強くなった。同時に、自分の体がそわりと蠢き、気配を強めた雄を欲して疼いたのを、はっきりと知覚する。
確かに男相手には淫奔だと散々思い知らされたが、それにしてもいったいどうして、なにをきっかけにこうも唐突に陥ったのか。
自制ももはや利かないほど、時と場所、状況も選べないほど、この身は過ぎて淫欲に溺れるのか。
「が、くぽ」
「咲き染めの身で、あれほどの力を使われたのです。しばらくは餓えに苦しみましょう」
震える声でなんとか呼んだカイトに、少年の返した声はひどく落ち着いて、やわらかだった。やろうと思えばそうも振る舞えるのではないかと、これは逃避の思考だ。
潤む瞳で懸命に見つめるカイトを、がくぽはひどく器用な動きで寝台に転がした。
もとよりカイトから、抵抗の意思は失われている。否、カイトこそ、この幼い夫を欲している。体は従順という以上に、夫のやることに協力的だった。
素直に寝台に転がった体に伸し掛かり、がくぽは笑う。面影があると、カイトはぼんやり霞む思考に過らせた。
青年だ。
同一人物なのだから、面影もなにもないといえばないが、今の笑い方は、あの、ひとを好き勝手に弄び、振り回して悪びれもしないそのひとと、よく重なった。
それで、今さらといえば今さらではあるのだが、カイトは確かにこの少年があの青年に成長するのだと、長じたならああなるのだと、確信が持てた。今はこうして言葉に詰まり気味でも、いずれはあの、減らず口の。
――どうぞ、ご存分に喰らいなさい。あなたに貪られるなら、それは私の本望というものです。好きなだけ、飽食の限りを尽くして……
浴室で抱かれた。大人と成った雄を捻じこまれ、腹に精を吐きだされ溜められながら、耳に吹きこまれた。
「が、くぽ」
「ご案じ召されるな」
すでに痛むほど疼く下腹に足をもぞつかせ、カイトは潤む声で呼ぶ。その伸ばす手を受け止めたがくぽは、震える指にくちびるを当てた。刺激にぴくりと跳ねたそれを含み、舌を絡ませ、――
「ぁ、……っぁんん、んぅ、っ」
たかがそれだけでも堪えきれず悶えるカイトを、尽きせず愛おしく眺め、年若の夫は恭しく頭を垂れた。
「どうぞ、我が身、力を存分に喰らい、御身の餓えを満たされよ。あなたに貪り尽くされるなら、それはまさに、俺の本望というもの……望まれるなら望まれるだけ、いくらでも与えましょうから――飽食の限りを尽くされよ、我が生涯の伴侶にして、最愛の『花』」