B.Y.L.M.

ACT3-scene2

忘れていたわけではない。が、失念していたのは確かだ。

気難しい年頃をすでに抜けて青年と成っているがくぽは、口数が多いだけではない。

減らず口や無駄口でもカイトを振り回すことは振り回すが、とにかく笑う。明るく、放埓に、まさに『昼』に相応しく。

豪快であり、もしもこれで笑われているのが自分でさえなければ、気持ちのよい笑い方をする男だと、好ましくも思っただろう。

しかして笑われているのは自分、カイト自身だ。とてもではないが気持ちよいとも、好ましいとも思えない。

「ゎ、らぅ、な………っ」

「いえいえ、いいではありませんか……新婚の夫婦らしい、熱い話ですよ他人であれば『ごちそうさま』とでも言って、舌を出すことでしょうが、当人たれば滾るものなのですね。ええ、朝から私は滾りました。ありがとうございます」

「滾ら、なくて、ぃい……っ!!」

カイトはぷるぷるわなわなと震えながらつぶやくので、精いっぱいだ。とてもではないが、顔を上げられない。

きっとがくぽは例の、幼子にでも向けるような、微笑ましいといった表情をしているだろう。

そう思えばなおのこと、いたたまれない。だから、カイトの年齢であり、がくぽの年齢だ。

「………ん?」

ふと過った考えに、カイトはくちびるを引き結んだ。

つまり、がくぽの年齢だ。結局、どう考えればいいのだろうか。

夜と昼とで成長が合わず、夜が遅く昼が早いと言っていた。

単純な見た目だけの話であれば、昼の、早く成長を遂げたという相手はカイトと同じほど、二十代の青年に見える。

対して夜だ。騎士団に所属していた際の経歴上の年齢では、今年十四、夏の盛りには十五となる。

あの経歴のほとんどが、今やまるで信用ならないものだとしても、とりあえず見た目は経歴通りの少年で、未だ少女と見紛うような、成長途上の容姿だった。

どちらが彼のほんとうの年齢なのか、否、年齢――生まれてからの年数と容姿の成長は、そもそもどちらかは釣り合っているのか、どちらも合っていないのか。

急に過った考えに気を取られ黙りこんだカイトだが、そこまでの経緯だ。

自分が大笑したことで気分を害しきったと読んだがくぽが、なだめる声に変わった。

「少々、過ぎ越しましたかね……。ああ、そうか、忘れていたな。ほらカイト様、いいものを差し上げましょうから」

「だからおまえはっ……っ」

根本的なところが理解できないまま機嫌を取り結ぼうなど、片腹痛いというものだ。

そうまで子供扱いされるいわれはないと、未だ赤みの残る顔を上げて睨みつけたカイトだが、余裕に溢れ過ぎた青年の夫は案の定、まるで堪えてくれなかった。

「♪」

挙句、ご機嫌にうたなどうたって――

いいものを上げると言ったがくぽが口を開いて飛びだしてきたものに、カイトは束の間、壮絶な恨みがましさを覚えた。

だが違う。これは正確には、うたではない。うたに聞こえる韻律の言葉だ。

がくぽが――南方人が、呪術を用いる際に唱える。

「♪-♪」

うたいながら、がくぽは片手にまとめていた花の束を両手に持ち、開いた。開かれたことですぐさま落ちるはずの花は、しかし一度宙に浮かび、カイトの頭上でくるりと回ってから、ほろほろと降り落ちてきた。

「ぁ……」

不思議な光景だ。ことに、こういった術式が一般的ではなかった西方育ちのカイトにとっては珍しく、ついつい見入ってしまう。

そんなふうに夢中になってはそれこそ子供のようであるし、これで機嫌まで直したりした日には、否定しようもなく子供だ。

そうとは思うが、見入って目を離せない。

がくぽのうた――言葉に合わせ、花は浮かび、舞い、降る。色も形もさまざまなら、香りもそれぞれ、まるで種類の違う花だが、組み合わせて不快になるようなものはない。

ああそうだ、こういった花合わせが、この夫は得意であったなと――

見入って目を離せないまま、カイトの頭にふわりと過ったのが、前日までの記憶だ。

朝――、未だ呪いを背負い、少年まま変わることのなかった夫も、それでも日課は日課として堅実にこなしていた。

おそらくは鍛錬を行い、花の手入れをし、摘み取ってきたそれを、うたいながらカイトに降らせる。

うたは響けど、静かな時間だった。静かで落ち着いて、どこか哀しい。

横たわる自分に降りかかるそれを見ているのが、ただがくぽのうたう声を聴いているのが、好きだった。

ほんのわずか、束の間のことではあったが、希望として縋るに十分な。

「ん、……」

こくんと、我知らず、カイトの咽喉が鳴った。こくんと鳴らすに合わせて、なにかを飲みこむ。

飲みこんだ、ような。

「どうです。少しは気分が良くなりましたでしょう」

「は………」

最後の一輪が降り終え、うたが止んでのがくぽの第一声に、カイトは怒りより呆れの勝る瞳を向けた。

ほんとうに悪びれない男だ。まるで罪悪の欠片もなく、しらしらと言う。

最愛のと呼ぶ妻にして、傾倒する主から向けられるには多少、厳しい視線を受けたはずのがくぽだが、やはりこの程度では堪えてくれない。にこにこと邪気もない笑顔で、カイトを見返した。

「やはり空腹だと、苛立ちやすくもなりますしね……まあ、今のあなたにとってはこの程度、たかが小腹を満たすかどうかくらいの効力しかないでしょうが」

「ぁ…?!」

――違うと、ここに至ってカイトは悟った。

そう、違う。悪びれる悪びれない以前の話だ。

もっとも重要と思われる、わざわざ言葉にされない前提条件、いわば暗黙の了解とでもいうべき部分ですでに、齟齬が起きている。

噛み合わないままここまできて、ためにカイトは、がくぽのやりようや言いようが今をもってもほとんど理解不能で、結果、苛立つ。

くり返そう。

カイトと空腹感とは、無縁だ。ことここに至っても未だ、カイトは空腹らしき空腹を覚えない。

けれど異様なまでにしつこく、がくぽはカイトが空腹だと主張する。餓えていると。

がくぽは相変わらずにこにこと、邪気もない好青年の素振りで笑って、小首を傾げてみせる。

「それでも多少は、ましでしょう?」

――念を押されて、カイトはやはりと確信した。

よくやるように、からかわれているのではない。本気で加減を案じられているし、ためにことさら、過ぎるほどに子供扱いされるのだ。

そしてこの『子供扱い』というのも、だから、正確ではない。

がくぽはカイトについて、なにかを心底から、真剣に案じた結果、過剰なまでに庇護欲を増大させた。

挙句のやりようが、事情を知らないカイトからすれば、そうと受け取れるだけだ。そうと言い表すのがもっとも近いと。

最前、日の入りを境に別離となるときだ。がくぽは言った。次に見えたときには、きっとすべてをつまびらかに説こうと。

幸いにして、カイトは『朝』に起きられた。日の出からそれほど時間も立たず、日の入りまで長い『昼』の時間を確保できたのだ。

ならば、訊くときだ。

「がくぽ」

硬質な表情と、厳格な声音と。

カイトがまとう雰囲気の変化はあからさまで、敏い相手にはそれだけで望むものがわかっただろう。

がくぽはふっと眉を跳ね上げてから、諦めたように笑った。

「もちろん、二度も三度も誓言を違える気はありません。ましてやあなたとの間に交わしたものなら、なおのこと――昨日の轍は踏みますまいよ」

立ったまま胸に拳を当て、軽く会釈する略式の騎士の礼をし、がくぽは肩を竦めた。

「とはいえまずは、お召し替えを。いつまでも寝間着のままでは、締まらないというものです。それから――そうですね。寝台ではなく、椅子に移りましょう。同じ座って話をするでも、ずいぶん気分が違います。なにより話の内容です。改めて説き明かすに、相応しい場というものがありましょう」

「それは、……まあ」

減らず口の多い夫だと評しはすれど、今の言い分にことに反論があるわけでもない。否、至極まっとうな言い分であると思う。

だからカイトも素直に同意したのだが、やはり夫は、なにあれ夫だった。思うようにいかない。どうしてもカイトの常識外のところに生きている。

言ってみれば、カイトには与り知らぬ理由により、現在のがくぽは庇護欲の増大から過保護を加速させている。

そうと判じたのだが、直後にカイトは自らの推測に強い疑念を抱かざるを得なくなった。

もしかしてこれは、単に相手の趣味なのではないかと。

お召し替えをと言って、カイトのための日常着を持ってきたところまでは、いい。

しかしがくぽはそのまま、カイトの実際の着替えにまで手を出してきた。

確かに王族や貴族の一部には、助け手がないと着替えひとつ、満足にできないような手合いもいる。

が、王太子として尊ばれながらも、人一倍の厳しさを持って育てられたカイトは、そうまで日常に助け手を必要としなかった。着替えももちろん、ひとりでこなせる。

どうしても助け手を入れるのは、国賓を相手にするときなどの正装や、つくりや飾りが複雑極まる夜会服のときくらいだ。

ただし、考え方はもうひとつある。がくぽが持ってきたものは南方の気候に合わせた南方の衣装で、ために、西方出身のカイトには着つけ方がわからないだろうと――

「そうまで複雑でもないだろう?!」

「まあまあまあまあまあ」

「誤魔化し方は手を抜き始めたくせに……っ」

「はっはっはっはっはっ」

「抜き過ぎだそれとこれと、足して半分……っ」

――そもそも昼の夫は、カイトを年下に見ている節がある。なにかで過剰に案じた挙句、過保護をこじらせての扱いであるかもしれないが、併せて、年下とも見られている。そういう雰囲気が芬々とある。

そんな扱いをされるような年ではないと、つい叫びたくなるのも、そのせいだ。が、こうとなってカイトは確信し、同時に絶望的な気分に見舞われ、眩暈を覚えた。

『そんな扱いをされるような年ではない』の、『ではない年齢』が実際、いくつなのかということだ。

昨日は漠然と、年下扱いだと感じただけだ。

今は違う。

もしかしてこの夫にはカイトが、手取り足取りすべての面倒を見てやらなければならない幼子に見えているのかもしれないと――

『年下』という程度ではなく、少年ということでもなく、幼子扱いかと、そこまで疑いが及んだ。

そしてその疑いを否定する根拠が、概ね見当たらない。カイトの姿形はすでにもう、きちんと成人を済ませていると、そうとしか見えないはずであるのに、そういう相手を構わず幼子扱いする趣味なのかと――

挙句の、仕上げだ。

着替えの攻防から、最終的に思い至った疑惑とでカイトはすっかり疲れ果て、抵抗の意思も弱くなっていた。

それをいいことに――否、別に『いいこと』としたわけではないだろうが、この夫、カイトの頭にまで花飾りを差したのだ。

「がくぽ……」

「少々……ただいま、微調整を………」

「がくぽ……!」

なにをしてくれているのかと訴えたカイトだが、組み合わせた花の配置を弄ることに夢中のがくぽの応えは、上の空だった。

微調整などいらない。もっと言うなら、花飾りそのものが。

がくぽはいい。おそらく南方とはそういう習俗なのだろうし、馴染んでいる彼には違和感もない、当然の身支度のひとつなのだろう。

しかしカイトだ。未だ自らがなにものか判然としきらないにしろ、とにかく西方、哥の国で生まれ、哥の国で育った。南方に来てからはひと月にも満たず、しかもずっと閨に篭もりきりで過ごして、問題はその習俗に馴染む馴染まない以前だ。

くり返しになるが、哥の習俗を常識と育ったカイトにとって、男が花飾りをするのは異様だ。

だから、がくぽはいい――習俗の違う地方の出身なのだし、なによりおそろしく似合って、うつくしい。

それでもそこはかとなく過る違和感は単に、生国の習俗との違いから抱く程度のものであって、似合いもしないものをやっているからということに由来するわけではない。

もしも夫にこれを止めてほしい理由を上げるとするなら、自分がまるで、うぶな娘にでもなったかのような意味不明な動悸が激しくなり、治まり難いからという――

三度くり返そう。

がくぽはいい。

しかしカイトはだめだ。

少なくともカイトから見たときに、カイト自身が花飾りをして似合うとは、とても思えない。

ちぐはぐで、異様だ。

そしてこの場合の『異様』とは、がくぽのときのような、いい意味合いに転化するものではない。あくまでも不評、否定だ。

「がくぽ」

「よくお似合いですよ。やはりあなただと、淡い色合いのみの組み合わせでも映えると思った私の見立ては、間違っていませんでした。実際これで、印象がぼけることなく映えるものというのは、なかなか少数なのですが……さすがです。あなたもですが、私の慧眼ぶりも」

「がくぽ……!」

口が減らないにもほどがある。

そうではないと、どう説明したものか言葉に詰まり、カイトはひたすら疲れきって眉間を押さえた。

言ってもがくぽとて、一度は哥の国出身のふりをして過ごしたのだ。月日は一年を超え、その習俗の違いなら、ある程度は理解しているはずだ。

だというのにどうしてこういうところで、通じ難くなってしまうのか。

自分の満足がいくように着つけ終わったがくぽといえば、項垂れるカイトに構うことはなかった。むしろ、抵抗の意思もなくして悄然と大人しいならこれ幸いとばかり、脇に手が入れられる。

当然と疑いもなく抱き上げられ、昨日、浴室に向かったのと同じような格好にされて、カイトは恨めしい視線をがくぽに向けた。

「その翼、仕舞えたなならば仕舞ったうえで、おぶれば……」

ほとんど八つ当たりだ。もうこれ以上、おまえの好きにだけさせて堪るかという。

もちろん、まるで思う通りにいかない夫は、このカイトの八つ当たりも華麗に押し流した。

「そうはおっしゃいますがね、カイト様。これだけ大きなものをああも小さく折り畳むというのは、相応に骨が折れる作業なのですよ。実際、失敗すると、ほんとうに折れますしね――湯舟に浸かるだの、水に潜るだのといった、より以上か同等の苦労が見えるわけでもなければ、あまりやりたい作業ではありません。ああもちろん、あなたがどうしてもと望まれるなら別です、我が最愛の妻にして花」

「く…っ」

ことに反論の出る内容ではなかった。もっともだ。

呪術にしろなんにしろ、便利ではあっても完璧ではないし、扱うには相応の力もいると聞く。がくぽは実に気軽に使っているようにも見えるが、やはり状況を考えて用いていることだろう。

さほどにそういった術と親しみのないカイトには、がくぽの言うことを常識外の主張と断じられなかった。

それでもまだ文句があるとすれば、ひとつ、夢もへったくれもないという――人外の血を引く手合いが昔語りにしか存在しない哥の国のただびとが抱く、『翼あるもの』に対する漠然とした、憧れめいたものを、日常に落として微塵と砕いてくれるなと。

当然、そんな文句を口に出せるわけもない。

そして言うなら、あくまでも八つ当たりだ。どうしてもと望むものではない。

諦めたカイトはがくぽの首に腕を回し、そっと寄り添った。小さなため息は殺しきれないから、むしろ狙って、耳に吹きかけてやる。

「ふふっ!」

くすぐったいと笑って首を竦めながらも、がくぽが揺らぐことはない。カイトを取り落としそうになることもなければ、足の運びが鈍ることすらない。

その均衡を保つのに一役買っているのも、背に負う大きな翼のようだ。やはり犬やらねこやらの、尻尾に似ているのか。

そうやってカイトは運ばれ、寝台から数歩のところにある長椅子で下ろされた。

すぐに踵を返すと、がくぽは飾り棚から茶器の一式を取り出し、傍らの小卓へと運ぶ。手早く用意を整えると、まずはカイトに杯を差し出した。

が、カイトといえば、すぐには受け取れなかった。頭に差された花飾りがどうにも落ち着かず、気もそぞろだったからだ。

「いけませんよ」

「ぁ…」

ちょうどカイトが花飾りに触れたところで、がくぽは鋭く制止してきた。まるきり、幼子を叱る大人の風情だ。

言い方に難あれ、そこに文句をつけることはなく、カイトは手を止めてがくぽに目をやった。

「がくぽ」

「あなたにとって、それがひどく落ち着かない風習であることは、理解しています。けれど餓えが満たされきっていない今、取ってはいけません。少しばかり、長い話となることが予測されますからね……私からの補給が止まる以上、それがあなたの命綱です。閨に溺れこむ時間を取らず、きちんと通して今日中に話を聞きたいのであれば、大人にしていてください」

「………」

言いようだ。だからどうしてそう、幼子扱いなのかと――

表面的なところを取れば、それが一番に出る文句だ。それもそれで、いつかは改めてもらう必要が多大にある。

が、今ではない。

カイトは瞳を瞬かせてがくぽの言葉を咀嚼し、呑みこみ、手を膝に戻して握りしめた。

わずかののち、開いたくちびるが問いを放つ。

「がくぽ。『花』とは、なんだ」

――昨日もした問いを、今もまたくり返したカイトに、がくぽはあえかに微笑んだ。

昨日はまとまっていなかった考えも、この一晩でまとめたものだろうか。迷いやためらいを感じさせることなく、くちびるはすぐと開いた。うたうに似た調子で、答えが返される。

「『花』とは、『力』です」