曲がりくねった道
第1部-第5話
「んー、がくぽっ……衣装。くしゃくしゃ。なっちゃう、から……」
「……ああ。そうか。ぼんやりしたな」
物思いに沈んだせいで、体の制御が疎かになった。
――というのが、いかにも理屈に合わない、おかしな言い訳であることは、がくぽにもわかっている。
物思いに沈んで体の制御が疎かになる。
までは、いい。
しかし疎かになった結果、なぜカイトを腕の中にきつく抱えこむのか。抱えこむだけでなく、背を撫で後ろ首をくすぐり耳朶をくちびるに含みと、まるで恋人同士の抱擁のような――
失態に気がついても、それでがくぽが慌ててカイトを突き放すようなことはない。それでは『自白』しているも同じだからだ。
なによりも、カイトが『傷つく』。
これ以上、傷つけたくない。痛みを与えたくない。悲しみを抱かせたくない。
だからがくぽは最大限に体の制動をかけ、逆に不自然なほど時間をかけてカイトを解放する。
名残惜しいと、まるで考えているようだ。
離したくないと、抱きしめたままでいたいと、思われているようだ。
――そう誤解されても、いいと。
ほとんど決死の思いで時間をかけ、カイトをやわらかに放すと、がくぽは細い両肩を軽く叩いた。何事もなかったかのような顔で、口を開く。
「見せてみろ。直してやるゆえ」
「んー」
自分で皺つくほど抱きすくめておきながら、がくぽの言いようは大上段に構えて反省の色が薄い。
幸いにというか、不幸にしてというか、そういったことを指摘する、指摘できるカイトではない。
従順な様子で背筋を正してがくぽの前に立つと、弾むような足取りでステップを踏み、勢いよく一回転してみせた。
ターンの軽やかさと華麗さは、旧型であれ、さすがは芸能特化型ロイドというものだが――
「はいっ」
「…………………否。その勢いで、『はい』と言われてもな……」
「ぇ?」
諦念含みの声でつぶやかれ、カイトは瞳を瞬かせた。意味がわからず戸惑う表情に、がくぽはあえかな苦笑を浮かべる。
がくぽが衣装の皺や撚れを直してやるから見せろと言って、カイトがしてみせたのがステップ踏んでの一回転だ。
一瞬でまた、カイトとがくぽは正面から見合った。
確かにロイドの動体視力は人間のそれより優れている面もあるが、だとしても回る独楽のごとき勢いの一回転で、つぶさに衣装の乱れを見てとれるほどではない。
ましてや直してやる隙など、まったくない。
「まずは後ろを向け。――大人にしておれよ」
「ん?んー……」
苦笑しながら手を伸ばしたがくぽに、カイトはまだわからない風情で不思議そうに首を傾げている。だからと拒むわけでもなく、がくぽの手が二の腕を掴んで後ろを向かせるのに、大人しく従った。
言動の尊大さともあれ、カイトの世話を焼くがくぽの様子は丁寧で、甲斐甲斐しいものだった。衣装の撚れを直し、皺を伸ばす。中心を整えると、再び撚れと皺を取る――
「よし、いいぞ。今度は前だ」
「んっ!」
肩を叩いて促されたカイトは、踵を鳴らすとステップを踏み、勢いよく振り返った。がくぽと再び正面から向き合うと、両腕を広げて満面の笑みを浮かべる。
ドラかシンバルか、なにか華やかな決め技の音がカイトの背後から響き渡った。
――ように聞こえたという、雰囲気の話だが。
「はいっ!」
「………よしよし」
仕上げに、今度こそとばかりに促され、がくぽは苦笑しながらカイトの頭を撫でた。
いつもはねこのようにやわらかなカイトの髪だが、今は仕事前だ。整髪料で固めている。
正直、がくぽの手の感触は良くなかったが、撫でられるカイトの反応は常と変わらなかった。
それこそねこのように――
目を細め、鳴らすのどが聞こえるような表情で、カイトはがくぽの手を受け入れた。成人男性でありながら幼子扱いされたことにも、文句のひとつも思い浮かぶ様子はない。
「もう少々、大人にな」
「んっ!」
苦笑含みのがくぽの言いようを、おそらくカイトは『終わるまでは大人しくしていろ』という程度の意味に取ったはずだ。間違いというわけではない。そういう意味も含んでいた。それだけでもないということだ。
気を取り直すと、がくぽはまた手を伸ばした。
後ろも前もとカイトの衣装の撚りを直し、皺を伸ばしとして、最後の仕上げでネクタイを締め直してやる。
これで終わりだ。
ネクタイから手を離せば、この時間は終わる。終わって、カイトは仕事へ行き――
「………っ」
だからどうだという話だ。
自分の思考の向きに、がくぽはくちびるを引き結んだ。
そもそもがくぽとカイトは同居、同じ家で寝起きしている。仕事が終わればカイトが帰る家には、当然がくぽがいる。
今日のがくぽはオフ、休みだから、仕事時間のずれで会うに会えないということもない。カイトが泊まりがけの仕事で、長らく留守にするというわけでもない。
つい先日、カイトは新曲用の動画を撮った。が、編集の過程でどうしても追加したいシーンが出てきたとかで、その追加のワンシーンだかを撮ってくるだけだ。
新作動画すべてなら一日がかりともなるだろうが、追加シーンだけだ。かかる時間など知れている。
しかもこれからカイトが『出勤』するのは、同じマンション内の撮影用スタジオだ。
その気になればすぐにも会いに行ける距離で場所だし、待っていたところでどのみち夜には会える。
同じ食卓を囲みもするし、今日の仕事の様子を団欒の肴にすることも可能だろう。
だとしても、たかが数時間、たかが半日の別離が堪え難い。堪えられない。
「……っ」
奥歯を軋らせ、がくぽは募る衝動をかみ殺した。
たかが半日、たかが数時間――たかが同居人で、たかが友人だ。『たかが』だ。
たかが知れる、その関係でこの独占欲は、この焦燥感は、度を越している。
度を越しているとわかるが、止められない。止め難く、がくぽのこころを染めて堕とす。
「がくぽ?」
「否、………」
不思議そうな声を落とされて、がくぽは掠れる声を返した。
声を発したことで閉ざされかけていた視界が開き、止まっていた思考も動き出す。
がくぽはなんとかネクタイを整え終えると、扉をノックするように軽く、カイトの胸を叩いて笑った。
「ほら。これでまた、オトコマエだ」