「あ…………」

小さな声が上がって、がくぽは後ろを振り返った。声を上げたカイトは湯殿に満ちる蒸気の熱に、白い肌をうっすらと朱に染めている。

わずかに瞳を細めてから、がくぽは温度を確かめていた手を湯船から抜いて、カイトに正対した。

「どうした」

「えと、あの………」

「………カイト?」

のべるてぃ・

イクサの渦中から、神威家の屋敷へとカイトを連れ帰って、数週間。

がくぽはこの日、初めてカイトと風呂を共にした。

行く行くは妻にすると言った以上、今から仕込みを、――などと考えたわけでは、もちろんない。

単に、幼い子供であるカイトは風呂に入るのに、大人の介助が必要だったというだけだ。

離れへと押しこめたカイトの側仕えは、共に連れて来ためのと、メイコ一人だ。他のものは、一切近づけていない。

男であることを偽って、『姫』として連れ帰ったのだ。

打ち負かした敵棟梁の嫡男が、カイト――ばれれば、いかになんでも庇いようがなく、そのうえがくぽの身まで危うくなる。

そういうわけで、離れにいるのはもともとのカイトのめのと、騙すも騙さないもない彼女一人だけだ。カイトの普段の世話からなにから、離れの一切を、一人で取り仕切るのだが。

風呂に入るには、薪番が要る。

若いながらに優秀かつ有能なめおとであることは確かだが、メイコが薪番をしつつ、同時にカイトを風呂に入れることは、不可能だ。

彼女は屋敷に来てしばらくの間、土間に置いたたらいに沸かした湯を汲んで、カイトを洗っていた。

そのさまを偶然目にしたがくぽが、ようやく問題に気がついて、自分が協力することを申し出たのだ。

とはいえ武芸や史学、兵法は完璧に入念に叩きこまれたものの、小さな子供の面倒など見つけない。

最初は薪番をしようかと思ったがくぽだが、棟梁の跡取り息子だ。

棟梁の跡取り息子が、下男仕事――

離れには人を近づけないようにしているが、万が一にも見られると、面倒な騒ぎになることは間違いない。

メイコのほうも了承して、彼女が薪番をし、がくぽがカイトの介助として、共に風呂に入ることになった。

そうやって役割分担も決まり、風呂に入るからと言い聞かせて着物を脱がせてみれば、カイトの骨組みは本当に華奢だった。

小さな子供とはいえ、筋肉の付きが甘い。がくぽはこの年にはすでに鍛錬の日々を送っていたから、子供とはいえ、もう少しがっしりとしていた。

太っているというのではなく、幼い子供らしくたゆんとやわらかい肌は触り心地がよく、女を思わせる。

その小さな体をもじもじさせつつ、カイトが見ている場所が――

「………カイト。そなた、どこを見て――」

「えと、あの………がくぽさまのと、カイト、の………『形』、ちがうの、………どうしてですか?」

「……………」

落ちた問いに、がくぽは頭痛を覚えて額を押さえた。

カイトがもじもじしつつ見比べているのは、自分とがくぽの――男の、『象徴』だ。

すでに成人を迎えて女を知っているがくぽと、まだ剥けることもなく皮に包まれたまま、用を足す以外に触れられることもない、カイトのもの。

確かに同じ男とはいえ、形も色も違う。

違うが。

「…………そなた、父親のものを見たことはないのか」

思わずこぼしてから、がくぽはひどくまずい顔になった。

――もちろん、棟梁である父親の首級が挙げられたことは知っているだろうが、その首級を挙げた相手のことは、知らないはずだ。

いや、知る知らないに関わらず、まだ父親を弑されたばかりの子供に、敵方であった自分がその存在を思い出させるようなことを言うとは、なんたる迂闊。

気まずさを隠しきれずにくちびるを噛んだがくぽだが、当の幼子のほうは、そこまで思い及ばせないようだった。

相変わらず、困惑した表情でがくぽのものを眺めながら、ちょこりと首を傾げる。

「父さまとお風呂に入ったこと、ありませんもん………メイコとしか、入ったこと、ないです」

「だろうな……」

訊くまでもなかった。

がくぽだとて、父親と風呂に入ったことなどない。交流がありそうで、意外にさっぱり断絶しているのが、棟梁と息子というものだ。

「あの………」

どう言い聞かせたものだろうと悩むがくぽに、カイトはおずおずと自分のものを掴む。

「………カイトのとがくぽさまのが、違うのって………カイトが、『姫』になるから、ですか………?」

「っ」

カイトの問いの核心がわかって、がくぽは息を呑んだ。

単なる幼い好奇心だけで、発された問いではない――そこには新しい生活と、余儀なくされた自分の『選択』への、言葉にし尽せない不安がある。

配慮が足らないにも程があると、がくぽは自分を戒めつつ、不安そうに自分のものを弄ぶカイトの手を取った。

「ぁ……っ」

「案ずるな」

びくりと震えた小さな体を抱き上げ、がくぽはこつんと、額を合わせた。

近過ぎて見えなくなった瞳を、それでも見つめる。

「大人と子供の違いに過ぎん。俺とて、昔はそなたと同じだった。成長とともに、そこも変わる。それだけだ」

「………おとな………こども………」

「おいおい教えてやる。行く行くな、そなたにも、必要となろうから」

「………」

告げて、がくぽは一度、瞳を閉じた。

大きくなる――なれば、カイトのその場所も変化するが、体すべてが変わる。

骨組みも、肉付きも。

いつまで『姫』で押し通せるものか、まったくわからない。父親は、いかにも武将然とした立派な体躯と、堂々とした面構えの男だった。

母親は、京から来た姫だというだけあって、武家の女とはまったく違う、たおやかぶりだったが――

「………」

思い返らせた記憶に瞬間的にくちびるを噛んでから、がくぽは瞳を開くと、額を離した。

無邪気に見つめるカイトへ、首を振る。

「行く行くだ。今はまだ、教えたとて体が追いつかん。自然と変わるものゆえ、そのときな」

「………はい」

幼子は素直に頷くと、がくぽの首に腕を回し、きゅうっとしがみついた。

***

「くふっ」

「…………なんだ」

唐突にこぼれた笑いに、がくぽは胡乱な表情となった。

湯船に浸からせたカイトを見ると、さらに眉をひそめる。

「………どこを見ている」

もじもじと隠すのもおかしいが、娶ったばかりの妻が、あまりに無邪気な顔で夫の逸物を眺めている、というのも――

「いいえ……」

洗い場に座り、隠しもしないが、動けもしなくなった年上の夫に、カイトはほんわりと瞳を細める。

一度は浮かせた体を湯の中に戻すと、視線をがくぽの顔へと移動させた。

「カイトはおっきくなりましたけど、やっぱりがくぽさまと、色も形も違うまんまだなーと思って」

「………なに…………ああ、いや………」

視線が、あからさまに語っていたのだ。

どこを見ていて、なんの話をしているか、わかる。

「………そう大きく、違うこともあるまい。個人差の範囲だろう」

答えたがくぽに、カイトはくふくふと楽しそうに笑う。

「違いますよぉ………がくぽさまのが、すっごくおっきくて、太くて、逞しいです………」

「………」

瞬間的に立ち上がりかけたが堪え、がくぽは笑うカイトから顔を逸らした。

「武将なのだから……」

言いかけた言葉が、途中で消える。

――武将なのだから、見劣りするようなものは持てないだろう、と。

それでは、幼かったカイトの、当時の不安を肯定することになってしまう。

ならば自分のものががくぽと違うのは、自分が『姫』となったからなのかと――

運がいいのか悪いのか、カイトは言い残された言葉を問い返すことはしなかった。

くふくふ、愉しそうに笑っている。

すでにカイトは、風呂に入るのに介添えが必要な年ではない。実際、十四歳でがくぽと思いすれ違ってからは、いっしょに風呂に入ることはなくなり、一人きりで入っていた。

こうして共風呂が復活したのはなにより、がくぽがカイトへの想いを打ち明け、正式に妻として娶ってからだ。

――夫婦は共風呂に入るもの、という決まりは、一切ないが。

がくぽのやることに疑問を持たないのが、カイトだ。単純に、仕事が忙しくてあまり共にいられないがくぽさまと、いっしょに居られる時間が増えると、それだけを歓んでいる。

湯温は快適だが、芯からあたたまれ、というのが、過保護さの拭えない年上の夫の厳命だ。

カイトはうっすらと上気した肌で、無邪気にがくぽを見つめる。

「それで、すっごく、…………いやらしい、色です」

「………」

こぼされた言葉に、がくぽはくちびるを引き結ぶ。ごくりと唾液を飲み、カイトへと顔を向けた。

がくぽの反応を気にすることなく、カイトはほわほわと笑う。

「がくぽさまのを見ると、カイト、すっごく、いやらしい気持ちになってしまうんです。カイトのと比べると逞しくて、色が黒っぽくて………」

「カイト」

言葉を途中で遮り、がくぽはひどく真面目な顔で、迎えたばかりの幼い妻を見つめた。

「体は温まったか?」

訊かれて、カイトは笑いながら、それでも頬をぷくんと膨らませてみせた。

あまりにも幼い頃から面倒を見てきたせいか、妻として迎えてからも時折、子供のように扱うことがあるのが、カイトの夫だ。もう大人だと、いくら言っても改まらない。

頬を膨らませるという、まるきり子供じみたしぐさのまま、カイトは湯船から片手を挙げて伸ばした。

「十二分に、あったまりましたよぉ。カイトはもう、のぼせてしまいそうです。がくぽさまったら、ほんとに……」

過保護でいらっしゃるから、と腐そうとしたカイトは、きょとんと瞳を見張った。

その顔が、上へと向く。

立ち上がって湯船の傍に来たがくぽは、湯の中へと手を差し入れると、カイトを抱き上げた。

ほとんど反射で、抱きやすいように体を動かして湯船から出たカイトは、きょとんとしたまま、至近距離のがくぽを見つめる。

「確かに、温まったな」

「はい」

こくんと頷いたカイトを抱いて、がくぽは洗い場に腰を下ろす。

膝の上に乗せられて、カイトはびくりと体を強張らせた。

「え?」

――ついさっきまで褒め称えていたものが、力を漲らせだしている。

慌ててがくぽを見ると、珍しくも笑みを刷いてカイトを見つめていた。

その瞳の中に、隠しもしない欲望が覗いている。

「………がくぽさま」

蕩けそうになって縋りつくカイトの額に、がくぽはくちびるを寄せた。

「………これだけ温まれば、良かろう。少しばかり、湯冷めることを、しようか」