「お辛そうでした」
カイトは、あっさりとそう言った。
「カイトたちを見つめるがくぽさまのお目が、『辛い』とおっしゃっておいででした。イクサの世の習いとはいえ、武の心得もない女子供を手に掛けるのは、厭だと」
でぃおにそしぁ・あめしすてぃ-06-
イクサともなれば、略奪も横行する。
がくぽの父は派手な略奪や、奉公娘たちへの凌辱行為は厳しく禁じたうえで罰したが、少々の金品を取って来るくらいのことには、目を瞑った。
――とはいえ、がくぽが『持って来た』のは『姫』で、つまりは人間。しかも敵方の棟梁に連なる相手だ。
「子でも孕ませる気か」
呆れを含んだ声音で訊いた父親に、がくぽはカイトを腕に抱いたまま、頷いた。
「行く行くは」
「………」
がくぽの首に縋りついてこちらを見つめるカイトを、父親はしばらく眺めていた。
それから、まっすぐと自分を見つめる嫡男を。
「…………男の目に成って来たな」
その一言で、父親はがくぽの『略奪』を認めて受け入れた。
――おそらく、その場凌ぎの底の浅い考えなど、読まれていた。
それでも父親は、がくぽを赦したのだ。
カイトはめのととともにがくぽの住む屋敷に連れて行かれ、離れの座敷を与えられた。
行く行くは子を孕ませる、つまりは妻と成すつもりで連れて来た、という名目の割に、カイトに付けられた側仕えは共に連れためのとひとりで、『姫』の扱いとしては底辺を極めた。
そのうえがくぽは、カイトに近づこうとするものを、徹底的に排除した。
離れの座敷に置いたカイトが外に出掛けることも禁じたなら、近習や将、下働き、ありとあらゆる種類の人間が、どういった用件であっても、カイトのいる離れに近づくことを禁じたのだ。
「………いくら敵方とはいえ、妻と成す名目で連れて来たものを、この扱いでは」
苦言や忠言を呈する者もいたが、普段は諫言を鷹揚に訊くがくぽも、このことに関してだけは、一切譲らなかった。
そうやって軟禁状態においたものの、それ以上の不便を強いたわけではない。
がくぽは使えるだけの金をカイトに注ぎこみ、着るもの食べるものに不自由させることは、決してなかった。
そのうち、領内の意見は落ち着いた。
若殿は幼姫に傾倒し、悋気のあまりに人を排しているのだろうと。
カイトの扱い以外では、がくぽが優秀な棟梁息子のままであったことも、意見が落ち着く要因となった。
しかも使えるだけの金は使うが、それはあくまでも自分の『小遣い』で赦される範囲だ。
蔵の金を持ち出すまでではない。
そのうえ暇が出来てカイトと共に過ごした後の数日は、がくぽの優秀さはさらに際立った。頭の切れもいつも以上なら、体の動きもいい。
まあ、目を瞑ろう、と――
二年ほどもすると、そうして周囲は落ち着いた。
そこに来てようやく、がくぽはカイトに訊いたのだ。
なぜあのとき、唐突に命乞いをしたのかと。
自分の命乞いをしたわけではないが、あのときもし、カイトがなにも言い出さずに竦んでいただけなら、そのうちがくぽは思い切って、めのととふたり、首を飛ばしていただろう。
カイトが口を開いて、そして『姫』となることも受け入れて、今がある。
『姫』として飾られたカイトは、濡れ縁の陽だまりに座るがくぽの膝に乗せられてあやされ、わずかに照れ臭そうにしながらも、その小さな体をそっと凭せ掛けていた。
そして、答えた。あっさりと。
「お辛そうでした」と。
「だからといって、カイトの命まで拾えというのは、無理でしょう?ですが、メイコの命だけなら、拾っていただけるのではないかと思いました」
「………俺に情けを掛けたか」
やわらかな頬を指先で揉み、そのふんわりとしていてなめらかな感触を楽しみながら、がくぽは吐き出す。
不機嫌にも見える顔だが、カイトが怯むことはなかった。
「お優しい方だと、思ったのです。それに、冷静な方だと。血に塗れていらしても、我を失っていらっしゃらなかった。きちんと話が通じると思えばこそ、お声掛けいたしました」
甘い声で言うカイトの頬を、がくぽはわずかに力を込めてつねり上げた。
「賢しい」
「んんーっ」
罵っても、カイトは笑っている。頬をつねられながら、すりりとがくぽの胸に顔をすり寄せた。
告げた初めこそ身を硬くしたカイトだが、以降、自分の扱いについて文句を言うこともなければ、特段の抵抗を見せることもない。
実に無邪気にがくぽに懐き、こうして甘える。
最初は媚びているのかとも思ったが、違う。
カイトの瞳は澄んだまま濁りを知らず、純粋な慕う色を映して、がくぽを見つめる。
「『姫』なのだから、もう少しう、愚かに振る舞え」
こぼしたがくぽに懐いたまま、カイトは頬を弄ぶ指に触れる。
「そのお言葉、母さまがお聴きになったら、半日ほど正座でお説教ですよ」
「なに?」
訝しく訊き返したがくぽに、カイトは煌めく瞳を向けてうれしそうに笑った。
「父さまが母さまを貰った当初、同じことをおっしゃったのだそうです。『おまえは賢しい。姫なら姫らしう、もう少し愚かに振る舞って、男を立てよ』と」
「………」
がくぽは凝然と瞳を見開いて、カイトを見つめた。
瞳を逸らしたカイトは、手入れの行き届いた、美しい庭を眺める。
庭師がいるときには、カイトは外に出られない。そしてがくぽがカイトと会っているときには、誰一人として離れに近づくことを、赦されない。
万が一にもカイトが『姫』ではなく、男であると暴かれないために。
イクサで出会い、たまさか拾っただけの命――
面倒しかないはずなのに、がくぽはこうして手を掛け時を掛けして、カイトに十分に気を配ってくれる。
それは、過分としか言いようのないほどに。
カイトの小さな手が、きゅ、とがくぽの着物を握りしめる。かんざしで飾られた頭を、すり、とがくぽに寄せた。
「そうしたら、母さまは………『なんたる度量の狭い男か、それでもヌシは棟梁か。愚を申す女しか御せぬような頭で、幾人の民の命を、あたら散らす気じゃ。賢しい女でも美事に御しきる姿を見てこそ、将も民もヌシを男と認め、心から命を預けてくれようものを、反対に愚かであれとは、なんと情けない性根か』と。………そういうことを、半日かけて、父さまにお説教なさったって」
言って、カイトは瞳を閉じる。がくぽの着物を掴む手に、さらに力を込めた。
「………カイト」
「はい」
常にやわらかいとは言い難いがくぽの声が、いつにも増して固くなって、カイトを呼ぶ。
今まで抱いていてくれた腕が離れて、カイトは両手でがくぽにしがみついた。
離れない、と強固に示す姿勢に、がくぽはカイトを膝から下ろすことはしなかった。
ただ、庭を眺める。
「…………そなたの父の首級を挙げたは、我だ」
「…………」
「傍らに、単衣姿の女人がおった。我が棟梁の首級を挙げたを見て、刀で咽喉を突いて死んだ」
「………」
カイトは瞳をきつく閉じ、くちびるを噛みしめた。それでも小さな体がぶるぶると震えるのを、隠せもしなければ止められもしない。
「………………我はそなたの仇だ」
「っ」
ぐす、とカイトが洟を啜る。
堪えきれずに嗚咽がこぼれて、涙が溢れた――ことが、がくぽにもわかった。カイトはがくぽに擦りつき、胸に顔を埋めたまま泣いている。
仇だと言ったのに、がくぽに。
「………カイト」
「意気地ないと、お責めになりますか」
「カイト」
嗚咽に引きつりながら、カイトはがくぽの胸に埋まったまま訊いた。
「女の振りをしてまで、永らえたカイトは意気地がないと、――いえ、女の母さまだって父さまに殉じたのに、こうまでして永らえているカイトは、浅ましいと…………っ」
「カイト!」
叫んで、ようやくがくぽはカイトの体に触れた。
しがみつくのをもぎ離して、泣き濡れる顔を覗きこむ。
「そなたは」
「父さまを殺されたことは、悲しい。母さままでお隠れになったことは、もっと悲しい。でも、でも………っ」
カイトは手を伸ばし、もぎ離されたがくぽの着物を掴んだ。精いっぱいに、引き寄せる。
遥かに年上で、武将として立つがくぽの力と、『姫』である前に幼子であるカイトの力は、雲泥の差だ。
引き寄せようにも、引き寄せられない。
それでもカイトは懸命に着物を引っ張って、がくぽの胸を求めた。
「………カイトはあの日、がくぽさまのお傍で生きると、決めました。たとえなにあれ、がくぽさまのお傍に生きるのだと……………だから、そのことを責められるのが、いちばん、かなしい…………」
「………それが父母の仇とわかってもか」
がくぽは瞳を伏せて訊く。
カイトはまた、音を立てて洟を啜った。
「…………カイトは、がくぽさまをひと目見たそのときに、わかったのです………お優しい方なのだと。父さまも母さまもお隠れになったとしても、カイトはおいそれとは後を追うわけには参りませんでした。お家の再興には、嫡男であるカイトまで、負けイクサに殉じるわけには参りません。どんな恥を晒しても、生き抜くことだと」
「……」
ぴくりと揺れたがくぽに、カイトは着物から手を離した。小さな手で、ぼろぼろとこぼれる大粒の涙を拭う。
「けれど、がくぽさまを見た瞬間に、決めました。この方のご意志に従おうと。………カイトの首級でも、挙げねばならぬなら、差し上げようと。殺したくないとおっしゃるなら、メイコだけでも救っていただこうと」
「……」
暗く翳る瞳を向けたがくぽをしっかりと見返して、カイトは告げた。
「………姫として生きよと言うなら、生きようと」
しばらく見合ってから、がくぽはカイトを胸の中に戻す。小さな体を、折れよとばかりにきつく抱きしめた。
「……いたいです、がくぽさま………」
しゃくり上げながら、カイトはつぶやく。がくぽは抱く腕にさらに力を込めて、胸に埋まるカイトの頭に顔を寄せた。
髪に顔を埋めれば、甘い香りがする。
多少、香を使っていると言っていたが、それとも違う――抱きしめると、カイトからはいつでも甘い香りがした。
陽だまりで嗅ぐ花の香に似て、それより甘く、体の芯が痺れるような。
この香りを嗅ぐと、棟梁息子として甘えも遊びも赦されずに厳しく育てられ、凍え固まった心がやわらかく解けて、癒される心地がした。
仇と恨まれ罵られる日を恐れながら、カイトを手放すことが出来なかった――恨まれ憎まれても、手放すことなど、出来ようはずもない。
もはやこの幼子なくして、がくぽはひとり立つことも覚束ない状態だった。
小さな体を膝に抱いてあやし、笑みを見て、甘い声で名を呼ばれ、やわらかな手で縋りつかれ――その喩えようもない心地よさと安寧は、がくぽの人生になかったものだ。
カイトはがくぽの後見がなければ、生きられない。
だがそれ以上に、がくぽがカイトに傾倒し、依存し、傍にいなければ息も覚束なかった。自分の状態が危険だということはわかっていても、もう、どうしようもない。
気がついたときには、すでに手遅れだった。
甘い香を胸に吸いこみ、吐き出して、がくぽはささやいた。
「そなたは『姫』だ、カイト………『女』だ。お家再興の旗印には、なれぬ。我の『姫』として、生きるが定めだ」
吹きこまれた言葉に、カイトはがくぽに擦りつき、頷いた。
「はい。…………カイトは、女………『姫』です。がくぽさまにお仕えする、『姫』です………」