第3話-【オトナノカイダン】
なんのことはない。ちんぴらもとい、カイトのマスター:八桂月の乱入により、快楽に震えるあえかな声は掻き消されたのである。
「ダレがナニを誘ってるだぁ、ぁあ゛?!」
「っだっ!!」
ごいんと、わりと容赦のない音が響き、頭に拳骨を落とされたがくぽは苦鳴を上げた。束の間ぎゅっと瞼を閉じて痛みを呑みこみ、すぐさま背後――乱暴を働いた相手を振り返る。
押し倒されるカイトと、押し倒すがくぽの背後に立っていた――仁王立ちしていたのはちんぴらもとい八桂月、カイトのマスターだ。
立ち方や、先の発言からもわかる。
おかんむり、ブチギレ、激おこたん、表現さまざまあれ、つまりは怒り心頭の激怒な憤怒である。
八桂月は額にぷきりと青筋を浮かべ、がくぽに一度は落とした拳をさらに準備とばかり揉みこみ、ばきばきべきべきと音高く、関節を鳴らした。
「こンの発情イロ紫ヤロウが……よッくも俺のかわいいカイトに手ぇ出してくれぁがったなーあ、ぁあ゛っ?」
そもそも、あまり土台のよろしくない三白眼な八桂月である。
普段であっても、迂闊に見てしまった幼子が震えあがったり、おもらしをしたり、泣き出すことがあるような、脅迫的なご面相の男だ。今のように本当に不機嫌となるともはや、救いようもなくちんぴら、ないしはその所属すべき組織の人間にしか見えないわけだが、彼自身と彼の実家も含め、正確にはそういった絡みはない。
絡みはない、今はないが、確かに八桂月には、やんちゃだった時代もありました――
なぜ敬語かというと大した理由はないわけだが、しかし彼の人生の歩みは、大方の予想を外れない。
ご面相のせいで内面、ないしは言動関係なく、アレコレから絡まれることが多い少年八桂月だった。そして八桂月自身、そういった風潮にことに逆らうような性質でもなかったため、ご丁寧に売られたアレコレはすべて買い、だけでなく倍々にして売り返し、それによって生まれる噂が一人歩きの結果、本人を超えて伝説級に膨らみ――
言っても、今の彼はきれいに足を洗った。すべて清算済み、いわばカコバナ、だから『そんなやんちゃな時代もありました☆』なのだ。
就いた職業も、某団体系組織が経営する、いわゆるフロント企業などではなく、ごくまっとう堅気でクリーンなものだが、つまり人生を百八十度転換するに至ったきっかけ、動機だ。
KAITO――カイトだ。
八桂月はカイトに出会い、一目惚れした。それはもう、少女漫画ばりに、運命的にりんごーーーんと、鐘が響き渡る音を聴いたのだ。
――と、とても真顔で語る。
で、こんなおっとりほんわりした子の『マスター』が、こんなヤの字ばりでは不釣り合い以前にあまりにかわいそう過ぎる、もはやそれだけで虐待甚だしいと一念発起、すべてのしがらみをきれいさっぱり、断ち切ったのである。
そうとはいえこじらせももはや、断ち切るに容易い段階ではなかったのだが、八桂月は力づくで押し切った。
そう、押し切りきったのだ。カイトのために、カイトの『マスター』となるために。
それが八桂月であり、カイトのマスターであり、だからカイトのマスターの八桂月は、カイトへの愛情ぶりが尋常ではない。
幼子がもはや、腹を決めていたとしてもおもらししながら大泣きするようなご面相の八桂月は、完全に過去の闇に戻っていた。
「挙句、言うに事欠いて、誘ってるだぁ……?指ぃツめる覚悟ぁ、デキてンだろうな、がくの字!!」
「そっちこそ、誰が発情色だ!紫ったら、日本古来伝統の最高貴色だぞ?!しかも指ツメとか、いきなりゲンコツを落とす態度といい、ハチミツはヤの字か?!」
が、がくぽはまるで臆することなく怒鳴り返す。次の攻撃に備えて退避姿勢は取りつつも、押し倒していたカイトを懲りずに抱えこんだ。
否、別に『懲りていないから』ではない――がくぽからすれば、八桂月は危険だ。危険なモノからカイトを守ろうとしてくれているのだ。
が。
「かわいそうなカイト!まさかカイト、こんなふうに問答無用でゲンコツを落とされたり、力づくでアレコレ強要されたりなんて、していないだろうな?ゲンコツじゃなくて平手でも、叩かれるのが日常だったとか……ったっ!」
「相手見てやっとるわ。俺がかわいいカイトに、ンな真似すっか」
「ぅん」
抱えこんだカイトをよしよしとあやすがくぽの頭を平手で払い、微妙に興を削がれた顔で八桂月が吐き出す。
『守られている』のはわかるが見当違いな懸念に、カイトも八桂月の言葉を小さな頷きで肯定した。
だから八桂月は、カイトに一目惚れしたのだ。売りつけられるアレコレをご丁寧にすべて買っては倍々にして売り返していたような男だが、惚れた相手には尽くす性質だった。
逆に言うと、溺愛が過ぎて暑苦しいだとか、鬱陶しいだとかいうことはあったが、今、がくぽにしたような問答無用な手出しはしてこない。カイトには。
そしてがくぽだ。
「じゃあいいや」
あっさり退いた。
「こんなかわいいイキモノを虐待するような手合いなら、僕もいろいろ考えないといけないところだけど」
「んーっ!」
にっこり笑って言いながら、カイトの頬に頬をすり寄せ、すりむにすりむにとして遊ぶ。
これは成人男性同士のスキンシップとしてありなのだろうかと、よくわからないカイトは為すがまま、抗議らしいことといえば、鼻声を上げる程度だ。
「ンの色情イロ紫が、離れろっつってんだらぁがぁ……!」
愉しそうにじゃれ合うロイドを眺め下ろし、八桂月は険悪に吐き出す。
少なくとも言葉としては退いたようながくぽだが、相変わらず八桂月を警戒しているのか、カイトを庇うように抱えこんだまま離さない――否、単にこれを好機と、抱えこむカイトを堪能しているとも、思われる。
がくぽのTPO順位、つまり『空気を読んで欲求を差し控える』ことの優先順位は、低い。とても低い。空気を読むことも、一般の『がくぽ』に比べるとやらない。これは彼のマスターの育成の成果だ。
そして育成の集大成的なものとして、付けこむ隙があったら、髪一筋ほどのものであっても目敏く見つけ出し、ここぞと付けこむことを最優先にする。
隙があったら付けこんでもいいかどうかはともかく、そこまで情熱を懸けるならもはや、立派と言ってやってもいいかもしれない。
なにしろ『マスター』の育成方針の結果でもあるのだ。
と、カイトはだめな方向に絆されかけた。
八桂月は、絆されない。しかしさすがに何度もそう、がくぽ――要するに自分のものではないロイドに手を上げるようなことはしないが、苛々とした様子で頭を掻いた。
「ったく、時間になってもカイトが戻ってこねぇで、様子を見に来てみりゃあ、ロクでもねえ……おい、カイト。うたえンのか、そのざまで」
「ぅ………っ」
とりあえず、TPO優先が低いがくぽの相手は投げ、八桂月はカイトに話を振った。カイトは八桂月のロイドだ。マスターから話を振られれば、答える優先順は言うまでもない。
が、カイトはひくりと引きつり、咄嗟に答えられなかった。
それが答えだった。
そんな主従の様子に、顔を離したがくぽが無邪気に意想外をつぶやく。
「あれ?終わってなかったのか」
「ぁあ゛?!」
八桂月は束の間、目からビームが出れば確実に黒焦げにできるほどのナニかをこめてがくぽを睨み、しかし結局、ため息ひとつで呑みこんだ。
先には咄嗟のことでかっとして手を出してしまったが、実のところがくぽのマスターのことはよく知っている。その育成方針もだが、アレ自身の性格、キャラクタ、その他諸々もだ。
知っていれば、このがくぽはがくぽで仕方がないと思うし、まともに相手をしても仕様がないと諦めもつくのだ。
がりりと頭を掻くと、八桂月はある一定の年齢層が諦めをつけるために使う、定番のあのセリフを吐いた。
「俺もオトナになったよな……」