座敷に居住まいを正して座ったカイトの前に置かれたのは、簡略化して言えばつまり、『大きい葛籠』と『小さい葛籠』だった。

つづらめうた-01-

葛籠とカイトとを仲介するように、胡坐を掻いて傍らに座ったがくぽは、にっこりと笑う。その人となりをよく知れば知るほどに、胡散臭いとしか言いようのない、非常に爽やかな笑みだった。

いや、胡散臭いでは済まない。確実に罠だと、即座に回れ右して逃亡するべきだと、生存本能が激しく警鐘を鳴らすような――

もちろん、簡単に逃がしてくれる印胤家当主ではないし、事態をさらに悪くしてもいいと、了承したも同じだ。本来的に逃亡することは、良策とは言えない。

というような、当人も自覚済みのそんな素敵危険な爽やか笑顔で、がくぽはちょこりと首を傾げた。意外にかわいらしかった。

「どちらが欲しい、カイト大きいほうと小さいほうと、選んだひとつを遣ろう」

「どちら、か……?」

訊かれたカイトは戸惑いながら、目の前にどんどんと置かれた大小の葛籠を見比べた。

ひと口に『大きい葛籠』と『小さい葛籠』と表現したが、その大きさの差はかなりのものだ。

小さいほうは、カイトの膝に乗る程度の寸法だ。

どちらかといえば華奢で、幅の広くないカイトの膝だが、そこに乗せても葛籠のほうがわずかに小さく、おそらくは膝が余る。

非常に慎ましやかで、謙虚な大きさと言える。

対して『大きな葛籠』だ。これは字義まま、本当に大きい。正座したカイトの目線と、葛籠の天辺がほとんど同じだった。高さが非常にある。

あるのは高さだけでなく、奥行きや幅もだ。

実際カイトは初め、葛籠が大小二つあることに気がつかなかった。大きさの差があまりに雲泥で、小さい葛籠がまったく目に入らなかったからだ。

夫に言われて初めて、気がついたようなものだが――

「カイト」

「あ、はい」

戸惑って口を開かないカイトを、がくぽは胡散臭い笑顔のまま促す。短気なところのある夫だ。迷って待たせ過ぎると、勝手に好きなほうを選ばれる。

つまり、己が仕込んだ罠のほうを、だ。

そう、溺愛するおよめさま相手とはいえ、印胤家当主が二つのものを用意して、どちらかひとつだけを選べと迫るなら、それは片方は確実に『罠』だということだ。

がくぽに選ばせれば、考えるまでもなく罠のほうを選ぶ。

が、自分で選んでも、二者択一で罠に嵌まる可能性がある。そしてもちろん、因業で鳴らす印胤家にあってすら、鬼子と呼び畏れられる相手が贈り主であれば、二者択一もなく、どちらを選んでも罠の可能性も。

腹を括るしかない。

言っても、溺愛するおよめさま相手だ。まさか開けたところで、家族や友人といった親しい相手の生首が納められているとか、暗器が仕込んであって殺されるとかいうことはないだろう。

もしかしたら、そのほうがましだというようなものが入っている可能性も――どちらかというと、その可能性のほうが、反論の余地なく高いが。

なににしてもつまり、腹を括るしかないのだ。

「じゃあ、ち………」

「ん?」

ままよと言いかけて、カイトは口ごもった。途中で止まったカイトを、がくぽは眉を跳ね上げて見る。

「ん、ぇえっと………ぇへっ」

すっと息を吸い込んで態勢を立て直し、カイトは愛して止まない夫へ、にっっっこりと力いっぱい微笑みかけた。

骨ばった指が伸び、選んだ葛籠を指差す。

「大きい葛籠で」

「ちっ!!」

「し、舌打ちっ良かった、合ってた!!」

答えを聞くや、堪え切れないがくぽがこぼした舌打ちに、カイトは己の選択が『間違って』いなかったことを察した。

嫁入り前、里においては賭博や勝負ごとの神に溺愛されていると評判だったカイトだが、どうやら他の男の手つきとなった今でも、神の愛は変わらずあるらしい。カイトの夫である鬼子の懐の狭さ具合と比べると、さすがに神は鷹揚だ。

「知恵がついたな……」

「がくぽさま……」

そっぽを向いたがくぽが、歪んだ顔でぼそりと吐き出す。聞こえるか聞こえないかのあえかな声だったが、きちんと聞き取ったカイトは微妙に疲れた笑いをこぼした。

おそらく、がくぽの考えは、こうだ。

大家老家として威勢を誇り、贅沢三昧できる印胤家に嫁入りしても、相変わらず質素を好んで謙虚な態度を崩さないカイトだ。

本来が男であり、望んで女の形をしているわけでもない。がくぽを愛すればこそ、身を偽って『およめさま』として輿入れしたとはいえ、女性向けの飾り物に興味がないこともあるだろう。

が、生来からの資質で、謙虚だということがもっとも大きい。

ともかく、そういうカイトで、それがカイトだ。

大きい葛籠と小さい葛籠を出して、どちらかを遣ると言えば――

故事の教訓を思い起こすまでもない。必要もなく、カイトは欲を掻くことがない。

これ以上の言葉を尽くす手間もいらず、カイトは小さい葛籠を手に取る。

――という夫の意図を寸前で読めばこその、カイトの最終的な答えだ。

言われる通り、確かに知恵はついた。望ましいものかどうかは、大いに議論の余地があるが。

「あの、がくぽさま」

「ああ。………いいぞ、開けろ。遣ると言った言葉に嘘はない。どちらにしろ、そなたのものだ」

「ぅ……」

負けた悔しさを持ち越すことはなく、カイトを見て頷いたがくぽの表情は穏やかだった。しかし今度は、カイトの表情が歪む。

だからといって別に、あっさりとしたがくぽの態度を深読みし、実は大きいほうが罠だったのではないかと危惧したわけではない。

『大きい』葛籠の中身が自分のものだという、――いわば重圧ゆえだ。

先にも言ったが、カイトは謙虚な性質だ。元々町人の出でもあって、質素を好む。座った自分の身丈と同じほどの高さで、幅も広い葛籠の中身すべてを遣ると言われても、気おくれする。

「………あの、がくぽさま。そもそもこれ、なんのための贈り物なんでしょう?」

「ははっ!」

開けないまま、途方に暮れた顔で訊くカイトに、その思考すべてを追えるがくぽはまず、声を立てて笑った。

知恵がついたと舌打ちしても、やはりカイトはカイトだ。一時的な『危険』は回避できるようになったが、先を先をと見越しているわけではない。

「がくぽさま……」

溺愛するおよめさまから恨みがましそうに呼ばれて、がくぽは胡坐を掻いた膝に肘を置き、頬杖をついた。機嫌のよいねこと同じで、目を細め、くちびるを笑ませる。

「そなた、今頃の生まれなのだろう」

「え?」

言われたことが意想外で、カイトはきょとんと目を見張った。ぱちぱちぱちぱちと、瞬きだけをくり返す。

がくぽのほうは、カイトのこの反応は予想のうちだ。殊更呆れる様子もなく腐すでもなく、ただ機嫌よく、さらに瞳を細める。

「如月の望月頃の生まれだと。先年、言ったと記憶しているが?」

「あ………」

記憶を辿り、カイトは軽く、がくぽから顔を逸らした。

言った。そして、怒られたのだ。

夫とそんな会話をしたのは、前年のことだ。前年の、今頃――しかし、辛うじて如月ではあったものの、望月は疾うに過ぎていた。

なにかの話の流れでふと思い出し、カイトとしてはまったく疚しいこともなく、また、恨みがましいこともなく、ついでとして言った。自分は如月の、望月頃の生まれだと。

すぐさま怒られたのだ。どうしてもっと早く言わないのかと。主張しろと。祝うべきであるのに、と。

――カイトを溺愛するがくぽだからそう言うが、そもそもそう、世間的にも生まれ日を祝う習慣があるわけではない。

跡継ぎである男子ならまだしも、しかもカイトの生家は世の流れと乖離して、女系一族だった。はっきり言えば女尊男卑の傾向が強く、長男ではあっても、結局『男』であるカイトはなにかと軽んじられて育ったのだ。

だからこれまで、生まれ日を祝うという習慣も、考えもなく。

カイトとしては話の流れでたまたま思い出したから、ちょっと口に出してみただけだった。普段はまったく、気にしていない。自分がこのころの生まれだったということも、何年ぶりかというところで思い出したくらいだ。

が、がくぽにはとても怒られた。素敵にめくるめく『お仕置き』もされた。

これでもう、身に染みただろうと――言われたし、自分でもそう思ったが、やはり今年もまた、きれいさっっっぱり忘れていた。

「ええと………」

「ふん」

素敵にめくるめくくり広げられた『お仕置き』を思い出し、カイトの背けた顔はほんのりと朱を刷いた。耳やうなじも色づき、膝の上でもじもじと遊ばせる手といい、無意識に蠢かせる腰回りといい、艶めかしいことこのうえない。

がくぽの言葉で表現するなら、『発情した』というところだ。

誘われつつも手を伸ばすことなく、がくぽはようやく記憶を取り戻したカイトに皮肉っぽく表情を歪めた。

「そなたの大事をそなたが忘れても、俺は覚えている。ゆえに、祝いの品だ。張り込んだからな。その覚悟で開けろ」

「ぅうっ!!」

――重圧が倍増しになり、カイトは畳に手を突きかけた。土下座一歩手前だ。謝らなければいけない理由も、ひれ伏さなければいけない理由もない。

が、家柄のみに因らず、財力に溢れた印胤家だ。その当主が、カイトの夫だ。

張り込んだと言うなら、町人出のカイトにはもう、想像の限界も超えたものが贈られる可能性がある。

「カイト」

「ぅ、はい………」

だからと言って、いつまでも開けないわけにもいかない。用意されたものは、もはや金も支払済みだということだ。ここで受け取りを拒否しても、もう遅いのだ。

カイトは再び腹を括り、腰を浮かせた。膝立ちになると、大きな葛籠の蓋に手を掛ける。こくりと唾液を飲んでから、ままよと開いた。

「ふ、ゎあ………っ」

「ふ……」

カイトの上げた感嘆の声に、がくぽのくちびるは機嫌のいい笑みに戻った。

町人出のカイトだが、諸々あって目利きだ。価値のあるもの、上質なものを、すぐさま見分ける。

まず目に入ったのは、漆塗りの小抽斗だった。いや、『小』抽斗とは言ったが、狭い町屋に置くことを想定された寸法ではない。『屋敷』の広さに置いても映えるよう計算された、割と大きめなものだ。

使われている材料もそうだが、垣間見える作業の繊細さと仕上げの丁寧さが抜きん出ている。一面に施された彫刻といい、金や色具での彩り方といい、漆の塗りといい――

一流の職人が、存分に手間暇をかけて作り上げた、一級品だ。

下手をすると、これで城がひとつふたつ、買える。

洒落にならない喩えを思い浮かべつつ、カイトは慎重に小抽斗を取り出した。これだけの品を、遊戯のためにざっくりと葛籠の中に放りこめてしまうから、夫との金銭感覚の乖離にたまに、悩む。

しかも、がくぽが葛籠に放りこんだのはそれだけではなかった。

大きな葛籠の半分は、小抽斗が占めていた。もう半分は、布だ。正確に言うなら、すでに仕立て済の着物。それも一着ではなく、二着三着と。

髪飾りや帯留め、その他の小物いっさいも、ひと揃えである。そして言うまでもなく、すべてすべて、一流の手になる一流の品。

カイトは努めて、この大きな葛籠を埋めるために使われた金の総額を考えないようにしていた。がくぽの真心に対して失礼だということもあるが、正確なところを計ると、しばらく寝込むしかなくなる。

価値がまったく量れず、単にきれいだという感想で終われれば良かったが、残念なことにカイトは目利きだった。質素を好む性質とは別に、目が肥えている。

いいものはいいと、それがどの程度のものなのか、と――

「きれい………」

膝に広げた着物を眺め、陶然とこぼすカイトはまるきり、娘にしか見えなかった。男でこの反応を引き出すのは、なかなか難儀だろう。

板についた娘ぶりだと、密かに呆れつつも面には出さず、がくぽは忘れられている小さな葛籠をちらりと見た。

やはり、表情は変えない。

目線だけは軽く天を見て、陶然と着物を撫でるカイトに流れ、蓋をされたままの小さな葛籠に戻る。

「ふん……………ふむ」

あえかに鼻を鳴らすと、がくぽのくちびるはにったりと裂けた。悪意しか感じられないが、会心の笑みだ。印胤家当主が浮かべる会心の笑みは、常に悪事とともにあると相場が決まっているので、悪意しか感じられないのは致し方ない。

しかしその笑みも一瞬のことだった。

次にがくぽが浮かべたのは、非常に爽やかで好青年ぶりの際立つものだ。人となりをよく知れば知るほどに、胡散臭いとしか言いようのない、あの笑み。

胡散臭い以上に、危険な。

夫に対する危機管理意識が不足しているカイトは、傍らで漂い出した企みごとの気配にまったく無頓着だった。小間物を並べて、矯めつ眇めつしている。

贈り物に熱中してくれるのは、もちろんうれしい。

が、それはそれでこれはこれ。

「カイト」

「あっ、はいっあっ、あっ、ごめんなさいっ、がくぽさまっ俺、つい、夢中になっちゃって……まだ、お礼も言って」

「いい。なにしろまだ、贈り物は終わっておらぬゆえな?」

「え?」

遮って続いたがくぽの言葉に、カイトは訝しく眉をひそめた。葛籠の中身は、すべて出した。もはや空っぽだ。これ以上など――

それともまだ、なにかを隠し持っているとでも言うのか。

微妙に重圧を感じて仰け反ったカイトへ、がくぽは爽やか胡散臭い笑顔で、小さな葛籠を押しやった。

「開けろ。どの道、両方ともそなたに遣るつもりだった」