神妙な顔で布団の上に正座しているカイトを背後から抱き、がくぽは不貞腐れた顔でそっぽを向いていた。
ちなみに、襦袢とはいえ、カイトがきちんと肌を隠しているのに対し、がくぽのほうは軽く肩に引っかけただけの恰好で、肌が露わだ。
夢色花噺-11-
対照的な夫婦を前に、早朝からきちんと身形を整え、正座して相対したグミの瞳は、冷たく厳しかった。
「あにさま。妾は、あにさまがこれほど、堪え性のない男とは思わなかった」
「あ、あの、グミさま……っけほっ」
吐き出された言葉に、カイトが掠れ声を上げて、小さく咳きこむ。治ったはずの咽喉だが、昨夜に散々に啼かされて、再び荒れた。
がくぽの抱く腕が強くなり、カイトの肩に顎を乗せると、グミを睨みつけた。
厳しい顔のままのグミは、子供のように不貞腐れている兄を、きっと睨み返す。
「それほどおよめさまがかわいいか」
「これがかわいくなければ、この世のなにがかわいいか」
「正論だわ」
迷いもなく、即座に叩き返されたがくぽの答えに頷いたのは、グミの隣に座ったリリィだ。
姉にきっと睨まれて、懲りない少女は肩を竦める。
「違うの？」
「………」
さすがに、そこのところで反論は思いつかなかったらしい。
グミは束の間、ばつの悪そうな顔を晒してから、咳払いして気を取り直した。
「かわいいのは良い。良いが……ならば、労わる心も大事じゃと、わかりやらぬか」
「……」
今度、気まずい顔になったのは、がくぽのほうだった。反論もせず、顔を逸らしてしまう。
抱く腕だけは強い夫を見、厳しい顔の義妹を見して、カイトは瞳を揺らす。
仲の良いきょうだいなのだ。
グミは兄のことを心から尊敬しているし、がくぽは妹のことを誰よりも頼みにしている。
お互いにお互いを信頼し、支え合う、理想のきょうだいなのだ。
それが自分のせいで仲違いをするなど、いたたまれないことこのうえない。
しかも、お互いがお互いに、カイトのことを大事に思えばこそとなれば。
「あ、の、グミさま………俺がお願いしたんです。その、……してください、って」
「カイトっ」
「およめさま、甘やかすな」
「ぅくっ」
夫を庇ったカイトに、当の夫が非難の声を上げ、グミもきっと睨む。その眼光の鋭さに、カイトは背後のがくぽへと身を寄せた。
がくぽはかりりと頭を掻くと、涙目のカイトの顔を自分へと向けさせる。
「そなたは悪うない」
「がくぽさま………でも……っ」
「そうよ、ねねさまは悪くないわ。強請られたからって、堪えないおにぃちゃんが悪いのよ。ねねさまのおねだりを撥ねつけるっていう、神代にも有り得ないくらいに強靭な精神の持ち合わせがないおにぃちゃんが、全面的に悪いわ」
がくぽが言うより早くすらすらと言ったリリィに、グミは眉間の皺を揉んだ。
ひょいと手を上げると、澄ました顔の妹の額を弾く。
「いたっ」
「ぬしはしばらく、黙りおれ」
渋面のグミは、互いを庇い合う仲睦まじい夫婦に向き直ると、苦々しい声を吐き出した。
「およめさまのおねだりを断ることが大神にも不可能の業でも、あにさまは可能にせねばならぬ。およめさまは大事な身ぞ。事あらばどうする」
「わかっておる」
潤んだ瞳のカイトの頭を抱き、がくぽはかりかりと首を掻く。
「そなたがカイトのことを案じてくれておるのは――」
「勘違いするな、あにさま。妾が案じておるのは、およめさまではない」
つけつけと言葉を遮り、グミはぴったりと寄り添う夫婦を、ひたと見据えた。
「案じておるのは、およめさまとあにさま、おふたりじゃ」
「ひゃお☆」
「グミさま」
奇声を発したのはリリィで、カイトは名前を呼んで、そのあとが続かない。
花色の瞳を見張って絶句した夫を見上げると、足を崩してその体に凭れた。手を伸ばすと、肌蹴られている襦袢をそっと握る。
グミは顔をしかめたまま、兄を睨む。
「妾にはわかっておるぞ。先立って、およめさまの咽喉を潰した一件――あにさま、がちゃぽに悋気を起こされたのじゃろう。
およめさまががちゃぽを庇ったのに悋気を起こされて、ああまで酷く、当たられたじゃろう」
「…っっ」
「え、がちゃぽさま………？！」
グミの糾弾に、がくぽの体はあからさまに強張った。
そうしたことで肯定したも同然の夫に、カイトは驚愕の瞳を向ける。
「だって、そんな………がちゃぽさまは…………」
「………っ」
おろおろと言うカイトに、がくぽは苦虫を噛み潰したような顔になって、そっぽを向く。
そんな兄の態度に、グミは鼻を鳴らした。
「齢幾つの幼子にまで、ああも妬くのじゃ。あにさまにとって、およめさまがどれほど大事な方か、わからいでか。なればこそ、妾はおよめさまとあにさま、おふたりを案じるのじゃ」
しかめっ面のままそこまで言って、グミは一瞬、俯いた。次に上げた顔は、隠しきれない不安に揺らいでいた。
「およめさまの大事は、そのまま、あにさまの大事。およめさまに事あらば、あにさまの御心も諸共に壊れよう。ゆえに、労わって大切にしろと申し上げておる」
「グミさま……」
言い切ってくちびるを引き結んだグミは、泣きそうにも見えた。カイトも瞳を揺らして、そんなグミを見つめる。
がくぽはそんなに弱いひとではない――とは、思う。思うが、深く愛されていることもわかっている。
壊れるかどうかはさておいても、揺らぐのは確かだと、それくらいは自惚れられる。
カイトは背後のがくぽを振り返り、痛いほどに抱きしめてくる体に、そっと頭を凭せ掛けた。
そのカイトの頭に顔を埋めたがくぽは、ややして笑って顔を上げ、妹を見た。
「グミ。そなたは良い女だ」
兄の言葉に、グミは胸を反らした。
「当たりまえじゃ。あにさまの妹じゃもの」
「わお☆」
「くくっ」
奇声を上げたのはリリィで、がくぽは再びカイトの頭に顔を埋めて笑った。
カイトの頭に懐いたまま、瞳を細めて、胸を反らす妹を見る。
「そなたの懸念はわかる。確かにカイトに事あらば、俺も崩れよう。なれば、印胤家の大事だ」
「斯様なことは知ったことではない」
確かめるようにゆっくりと吐き出された兄の言葉を、グミはきっぱりと弾き飛ばした。
「妾は、およめさまとあにさまを、案じておる」
「ははっ」
つけつけと言われて、がくぽは声を上げて笑った。
泣き笑いのような表情を浮かべるカイトの顎を撫で、その目尻にくちびるを落とす。
「グミはまこと、良い女だ。そうだろう？」
「はい、がくぽさま」
カイトはうれしそうに微笑んで、頷く。
「グミさまは、ほんとにすてきなひとです」
「………カイト」
カイトの答えに、がくぽは瞳を細めた。抱く腕に力が篭もり、襦袢越しに爪が立つ。
「わかっておるゆえ、そなたは褒めるな」
「ええええ？！！」
「あにさま………っ」
「ひーはっwwww」
同意を求めておいての無茶苦茶な要求に、カイトは瞳を見張り、グミは渋面で額を押さえた。リリィは武家の息女らしからぬ態度で、腹を抱えて笑う。
「いい加減、その相手選ばぬ悋気は、どうにかならぬのか………っっ」
「えええ？！！」
つまり、カイトがグミのことを褒めたことに、また――、らしい。
驚愕したまま見つめるカイトのくちびるを軽く塞いでから、がくぽは強気に笑う。
「どうにもならぬ。いっそこれを獄に繋ごうかと思うくらいだ。俺だけ見て、俺だけ触れて、俺だけ思えば良いと、常に企んでおる。ゆえに、そうそう治まるものではない」
「あにさま」
「したが、学習くらいはする」
責める妹の言葉を遮り、がくぽは瞳を見張ったままのカイトの顎を撫でた。
「相手構わず、これが心をやったものすべてに、悋気を起こす己がいることくらいはな。同じ過ちをくり返す俺ではないぞ。それくらい、兄のことを信用してはどうだ」
「………」
グミの瞳はじっとりと冷たかった。こと悋気に関して、兄に信を置く気がないらしい。
「グミちゃん」
その姉の袖を、リリィが引く。胡乱な瞳を投げたグミを、意外に真剣な瞳で見返した。
「我慢は体に毒よ」
「………」
妹が至極まじめに吐き出した言葉に、グミは呆れかえった顔になった。
しばし見合ってから、肩を落とす。
「そうじゃな…………………およめさまの体のことなぞ、妾たちが気をつければいいことじゃ。あにさまには、存分におよめさまをかわいがっていただこう……」
「グミさま…」
グミの言葉に、カイトはうっすらと頬を染める。
手を掛けさせている自覚はあるから、どうにもこの少女が哀れでいたたまれない。出来れば、協力してやりたくはある。
だが。
「ごめんなさい…………やっぱり、がくぽさまが触ってくれないと、俺、ヘンになりそうで………」
「カイト」
「ひゃっは☆」
かわいらしい告白に、がくぽの顔が輝き、リリィが笑う。
グミもまた、微笑んだ。
「構わぬ。およめさまがあにさまを愛してくださっていることが、なによりの悦びじゃ。あにさまと相愛の方がおよめさまで、妾はほんとうにうれしいのじゃ」
グミの浮かべる笑みは、慈愛深いものだった。
彼女が心から兄を尊敬し、その妻となったカイトのことを慈しんでくれていることが、わかる。
がくぽが口を開こうとして、ふと障子のほうを見やった。
「………がちゃぽか。隠れ鬼のつもりか、それは」
「…………がちゃだけ、なかまはずれ………？」
障子を薄く開いて、拗ねた幼子が覗きこんでいる。
グミがきりりと表情を引き締めた。
「がちゃぽ。ぬしはしばらく、およめさまに近づくこと厳禁じゃと」
「グミさま、でも……」
「誰のためじゃと思うておるか、およめさま」
「ぅ………」
今聞いた話によれば、がくぽはもれなく、がちゃぽにも嫉妬する。
口を噤み、けれど愛らしい幼子の哀れな姿も見捨てておけないカイトの様子に、グミは小さく肩を落とした。
そういうおよめさまだから、グミもまた、見捨てておけないのだ。
「がちゃぽ…」
「ねーたま、がちゃきめた」
「ん？」
自分の膝に抱いておけばいいだろうと腰を上げかけたグミに、障子に張りついたがちゃぽが声を上げる。
「やまでらいく。がちゃ、きたえてつよくなる」
それは、事あるごとに兄が言う、脅し文句だ。山寺にやって、性根を鍛え直す、と。
「がちゃぽさま、どうし、っんっ」
「いい覚悟だな、がちゃぽ」
悲鳴を上げたカイトは、乗り出した身をすぐに、がくぽに引き戻された。
笑う兄に、がちゃぽは決然とした瞳を向ける。
「つよくなって、にーたまたおして、およめたまもらう」
吐き出された決意に、上のきょうだいたちは顔を見合わせた。
その顔が、にんまりと笑みに崩れる。
「がちゃちゃんがとうとう、目覚めたわね」
「ようやくじゃの」
「遅いものだ」
「え、ちょっと、なに？なんなんですか？！」
納得した印胤家のきょうだいたちに、カイトはおろおろと視線を彷徨わせる。
そのカイトの襦袢の中に手を滑りこませ、がくぽは強い瞳を向けてくる弟を笑って見た。
「易々と倒せる兄と思うなよ。生半な鍛え方をしたなら、反対に食い潰してくれる」
「ゃ、あ、がくぽさまっ、だめ、ぁっ」
「っ」
肌を探られて、カイトが甘い悲鳴を上げる。
がちゃぽはびくりと震えて、けれどしっかりと兄を睨み続けた。
きょうだいでも潰し合うのが、印胤家男子の宿業だ。
がちゃぽはどうにも優しすぎて、このままだと兄に食い潰されるまでもなく、親戚の誰かの手に掛かって潰されるのが関の山だった。
それがどうやら、兄のかわいいおよめさまをきっかけに、印胤家宿業の血に目覚めたらしい。
世間的にはまったくめでたくないのだが、印胤家のきょうだいたちにとっては、十分にめでたいことだった。
「今日は赤飯じゃの」
「張りこむわね、グミちゃん」
姉妹たちは淡々と、祝いの打ち合わせをする。
その傍らで、がくぽに肌を探られるカイトが、身悶える。
「ぁう、ゃあ………っ、ん、見られるの、や……っ」
「そうだな。そなたは俺だけが見ていれば良いな」
「ひぅっ、んく………っ」
カイトは言葉は拒絶しても、体が付いて来ない。そうでなくてもつい昨夜まで、がくぽに飢えていた状態だ。
一晩では補填されきれないから、拒絶にいつもより力がない。
ほとんど従順にされるがままのカイトと、好き勝手にその体を弄る兄とを見、がちゃぽは頷いた。
「ぜったい、にーたまたおす………！！」
「ゃあ、がくぽさまぁ………っ」
幼子の決意表明は、甘い悲鳴に掻き消された。
どっとはらい