「ただいま帰っ…………」
愛おしいおよめさまのいる座敷へと足音も荒く向かい、珍しくも閉ざされていた障子を勢いよく開いた印胤家新当主は、中の様子にぎょっと瞳を見張った。
陰淫夢香花噺-04-
「ぅ、ふぇえ、がく、が、がくぽ、さまっ」
「……………」
真っ赤に泣き腫らした顔のおよめさまが、今にも崩れそうな体を懸命に堪えて、正座している。その着物は帯が解け、着崩れて、まるで――
しかもさらに問題なのは、その前に並べられた品々だ。
昼間の座敷に並べるような――定期的に日干しや陰干しを頼むような、ものではない。
普段は座敷の片隅に置いた長持ちの中にひっそりと仕舞われていて、出番はたまにだ。がくぽの興が乗り、さらにカイトを苛み蕩けさせたいと欲求が募ったときに。
長持ちに入れられていたもの、ほとんどすべてを取り出して並べたのではないかという量に、がくぽはくちびるを引き結んだ。
奥手で貞淑なカイトは、そちら方面の知識もまったくと言っていいほど、持っていなかった。
がくぽにとっては当たり前の玩具も、カイトにとってはおぞましいばかりの異物だった。
長持ちを自分から開けたり、傍に寄ったりするようなことなど、これまでなかったのだ。
そして、常にきちんと身形を整えていたカイトの、無残に乱れ着崩れた姿。
泣き腫らして、真っ赤になった顔。
「カイト。…………」
呼んだものの、後が続かない。
背筋をぞわぞわと這い上るのは、これ以上聞きたくないと、回れ右して逃げたいと思うような、恐怖だ。
そのがくぽに、未だにぐすぐすとしゃくり上げるカイトは、ぺったんと平伏した。あろうことか、土下座だ。
「カイ」
「が、がくぽさまっ!ごめ、ごめんなさいっ。お、俺、がくぽさまが、ご不在の間にっ!」
「………」
がくぽはわずかに足を引いて腰を落とし、およめさまがなにを言っても、その衝撃に耐えられるよう、気を引き締めた。
土下座状態のカイトは、その様子が見えない。
ふるふるぷるぷる震えながら、涙声を張り上げた。
「ど、どぉしても、どぉしても、…………がまん、できなくって。ぅ、ふぇっ」
「カイト」
低い声で呼んだがくぽに、カイトは涙に濡れる顔を上げた。
歪んで霞む視界で、懸命に夫を見つめる。
「ひ、ひとりで、俺ひとりで、して、しまいましたっ!」
「…………っ」
気を入れたというのに、がくぽの足はふらりと揺らいだ。
頽れかけて、なんとか寸でのところで堪える。
「ひ、………ひとり、で?」
「ん、ふぇっ!」
つぶやきに、カイトはしゃくり上げる。
そのまま、再び畳に平伏して、土下座状態に戻った。
「ん、もぉ………っ、もぉ、お、お仕置き、してくださいっ。がくぽさまをお待ちできずに、ひとりでしてしまうような、そんな、淫らがましい、はしたない俺なんて………っっ」
「…………」
くらくら揺らぎながら、がくぽはカイトの前に並べられたものを見た。
言いようから考えるに、これは『誰か』が出したものではなく、カイトが自ら出したもの。
なにが目的と言って、自分をお仕置きさせる、その道具として。
まあ、お仕置き道具といえば、お仕置き道具だ。使いようだ。
がくぽとしては、これらのものはあくまでも、カイトを気持ちよくし、さらに蕩かせる、いわば甘やかすための道具として使ってきたつもりだが――
およめさまは、どこまでも慎ましく、奥手だ。お仕置き道具にしか見えないのだろう。
そのうえ、印胤家流の言葉選びにおいて、時として『お仕置き』はご褒美と同義であったりもする。
――そなたがあまりに淫らがましいゆえ、お仕置きだ。
などと吹き込んで、使ったこともある。がくぽは褒め言葉のつもりだが、奥手で貞淑なカイトだ。
淫らがましいというのは、褒め言葉に聞こえない。
もちろん、正しい意味でのお仕置きのこともあるが、その差は印胤家のものでなければよくわからないというのが、正直なところだ。
だからカイトがよくわかっておらず、これらのものをおよめさま用のお仕置き道具だと思っていても、不思議はない。
とはいえ今、カイトが求めているのは本当に、反省を促すためのお仕置きだろう。選んだ道具がアレなのは、動揺のあまりか。
別に男だし、情動が募ることくらいあるだろうと思う。
いくらおよめさまだと言い張って、身を偽らせていても、カイトは男には違いない。
ひとり遊びに耽ることだとて、あるだろう。
連日がくぽに絞り取られていて、そんな余力があるのかどうかというのはまた別としても、ひとり遊びに耽る権利は――
「………」
くん、と鼻を鳴らして、座敷に満ちる甘い香りを嗅ぎ、がくぽは揺らぐ体を立て直した。
外では美しい花が雅やかに咲き誇り、盛りを競っている。
庭への手の入れ方が尋常ではないのが、印胤家だ。
屋敷のみならず、庭にも手が入れられることによって無言で示す、印胤家の威光と財力だ。
「………確かに、けしからんな」
庭から、伏せるおよめさまへと目を戻し、がくぽはつぶやいた。
どんな花が咲き誇ろうと、盛りを競おうと、このひとりに敵うことなど、決してない。
がくぽの心をこれ以上に奪えるものなど、決して。
「俺の見ておらぬ間に、ひとり乱れるとは………ひとり乱れるそなたの姿を、俺に見せなかったとは」
がくぽがいなかったからこそ、カイトは『ひとり乱れ』たのだ。
いたら、『ひとり乱れ』ることになどならない。
無茶苦茶なことを言いながら、がくぽはこっくりと頷いた。
「それは、けしからん。仕置きものだな、カイト!」