すせり
さすがに往生して、がくぽはかりかりと頭を掻いた。
「カイト。いい加減にもう、機嫌を直せ」
「………」
印胤家当主としてあるまじきで、がくぽの声はひたすらに力なく、態度は弱腰そのものだ。
夫のそんな振る舞いを見ても――いや、見ていない。
がくぽがここまで下手に出ているにも関わらず、珍しくもとことんおへそを曲げたおよめさまは、つんとそっぽを向いたままだった。
「カイト」
わずかな苛立ちと、上回る不安と――
ないまぜになって声を揺らがせながら、がくぽは顔を背けたままのカイトに手を伸ばした。
たとえ払われても離さないつもりで、多少強引に体を抱き寄せる。
「………っ」
意想外に、まったく抵抗されなかった。
あくまでも顔はそっぽを向いたままだが、カイトは抱き寄せる夫の胸に大人しく収まってくれる。
息を呑みかけて慎重さを思い出し、がくぽはひっそりと呼吸を落ち着かせた。
脈はある。
おそらくカイトは、機会を逸しているだけだ。耽溺する夫に対して、ここまでへそを曲げたことなどない。だから、どこでどうやって折れたらいいものか、図りかねて――
ここで対応を間違えれば、カイトはさらにへそを曲げることになる。
しかしきちんと誠意を持って対し続ければ、必ず謝罪を容れてくれる。
「カイト。此度のことは、本当に俺が悪かった。二度はないと……………カイト」
謝罪の言葉を改めて連ねる途中で、がくぽは口を噤んだ。
わずかに眉をひそめてから、腹を抱いていた腕を上にやり、逸らされたままのカイトの顔を無理やりに自分へと向ける。
紅を塗らぬでも十分に夫を誘うカイトのくちびるは、はむんとがくぽの着物の袖を咥えていた。
「………カイト。幼子でもあるまいに」
「だって、がくぽさま………」
さすがに微妙な頭痛を覚えたがくぽに、カイトは着物の袖をはむはむと咥えたままの、不明瞭な声でつぶやいた。
「………がくぽさまが、こんなに誠意を尽くしてくださってるのに……。俺、どうしたらいいのか、わからなくなってしまって………こんな、こんなに、困らせるつもりじゃ、なかったのに………ど、どうしたらいいのか………っ」
「わかっておる」
ぐすんと洟を啜るカイトに、がくぽはくちびるを寄せた。鼻の頭を軽くついばんでから、しつこく着物の袖を食んだままのくちびるの端にも、口づける。
「そうまでそなたを追い込んだのは、俺だ。己を責めるな。悪いのは俺だ」
「そ、じゃなくて、………んっ」
穏やかに諭したがくぽに、カイトはぱっと顔を向け、食んでいた着物から口を離す。
その瞬間に素早くくちびるを重ね、がくぽはカイトの反論を封じるとともに、己の安堵の吐息も飲みこんだ。
ようやく赦された。
「ぁ………」
「………そういうことにしておけ、カイト。家内のことで悪しきがあるなら、それは大概、夫の咎だ。それでも上手く回ることがあるなら、それは嫁の赦しあってこそだ」
「………」
熱と戸惑いと双方で揺れるカイトの瞳を覗き込み、がくぽは笑った。
「赦してくれるのであろう?」
「…………はい」
躊躇いがちにこくりと頷き、カイトは再び、がくぽの着物の袖を口に咥えた。はむはむと食みながら、窺うようにがくぽを見る。
幼いしぐさに仕方がないと笑い、がくぽはカイトの口からそっと着物を抜いた。代わりに、己のくちびるを寄せる。
「それで良い。ことは円満に片付いた。………あとは仲直りの証立てをやるだけだ」
嘯きながらくちびるを塞いだがくぽの首に、カイトは腕を回すときゅっとしがみついてきた。