鬼雲の花隠れ
座敷でひとり、本を読むおよめさまの姿に、グミは戸惑って首を傾げた。
「およめさま?あにさまと隠れ鬼の最中ではなかったか?隠れぬで良いのか?」
問いにおよめさまは、にっこり微笑んでくちびるに人差し指を当てた。楽しげなくちびるが、小さく開く。
「グミさま、し」
なにか言いかけたくちびるだが、ふいに動きを止めた。常に夢見るようにぶれる瞳が、グミからふわりと浮く。
視線を追ったグミは、びくりと身を竦ませた。いつの間にか背後にいたのは、件の兄だ。それも、酷い渋面の。
「未熟者が、グミ。『これ』がカイトに見えるか、そなた」
「あにさっ……っ、なにっ?!」
つけつけと言われ、グミは慌てて兄から『およめさま』へ視線を戻した。
兄妹の視線を受けた『およめさま』、――少なくとも数瞬前までは『カイト』であったものは、常なら決してしない、にったりとした笑みをグミへと返した。
愉しげなくちびるが、軽快に言葉を吐き出す。
「ナニを言ってるかね、このオトコは。キミだって釣られてきたクチのくせに」
「んなっ………っ!!」
その声に、グミは愕然と瞳を見開いた。
目の前に座るのは紛うことなくカイト、グミが日頃親しんだ『義姉』の姿に相違ない。だがその口からこぼれたのは、『少女』の声だった。先にグミを呼んだときには男の、カイトの声だったものが。
しかもグミにはこの声としゃべり口、表情にいやというほど覚えがあった。会ったのは数回でも、忘れようもない存在の重量感を持つ、カイトの妹のひとりにして一族の長を名乗る――
「巫山戯るな。釣られるか!」
衝撃に毛を逆立てて言葉もないグミに対し、がくぽは冷やかす義妹を一喝すると、ずかずかと座敷に入った。妙に徒っぽく崩れた『カイト』の傍らを通り過ぎると、片隅に置かれた長持ちの前に行く。
「なっ、ぁ、まさか……っ!」
はっと目を開き、グミは長持ちを見た。
小柄で華奢なおよめさまならなんとか、隠れられなくもない大きさだ。多少は苦しいだろうが、まったく余裕がないというわけでもない。
勝負の決する瞬間かと妹たちの注目が集まる中、がくぽは躊躇うそぶりもなく、乱暴に蓋を開いた。素早く腕を突っ込むと、中から棒型の手裏剣を出す。
――と、グミが見て取る間もあらばこそ。
がくぽは目にも止まらぬ速さで手裏剣を天井に投げた。ひと息で六本、ろくに狙いを定めたとも見えないのに、きれいな六角に突き立てる。
そこで息つくこともなく、がくぽは組み立て式の棍を取り出した。いくつかある刃先のうち、もっとも太く頑丈なものを先端に嵌める。
「ぁっ!ちょ、まて、あにさっ!!」
――兄の意図を悟ったグミが青くなって叫ぶが、遅かった。
「はっ!!」
小さな気合いとともに、がくぽは躊躇いなく天井へと棍を突き立てる。すぐさま引き抜くと、もう一度、もう一度――先に描いた六角の点を繋ぐように天井に線を、もとい穴を開けていく。
もちろん、天板はひとたまりもなく落ちる。が、落ちるのはそれだけではなかった。
「ひゃ、ひゃぅうぁあっ!!」
「カイトっ!観念しろっ!落ちろ、じゃじゃがっ!!」
愛らしい悲鳴を上げ、わたわたと身悶えながら天板とともに座敷に落ちて来たのは忍、もといネズミ、もといの、軽快な忍び装束に身を包んだおよめさま、カイトだ。
落ちて来たとはいえ、カイトの着地はきれいなものだった。いつものおっとりさ加減が嘘のような身軽さだ。
が、カイトはすぐさま腰が抜けたように着地した場にへたりこむと、ひんひんとべそ掻き声を上げた。
「ひ、ひどっ、ひどいですぅうう、がくぽさまぁっ!隠れ鬼ですよう?!隠れ鬼、お遊びなのに、そんな本気でっ!!」
「ぁあっ?!」
がくぽは天井を大破壊した棍をざっくりと畳に突き刺すと、滑るような足取りでカイトの傍に寄った。空を切る音が聞こえるほどの速さと勢いで手を伸ばすと、力加減もせずにその華奢な身を抱きこむ。
きつくきつく抱いて、苦い吐息を吐き出した。
「そなたな、どの口でそういうことを言うか、どの口で……!」
現在のカイトはそもそも、大家老家のおよめさまに相応しい、豪奢な着物姿ではない。軽装も軽装、忍び装束だ。潜んでいたのは長持ちの中でも押入れの中でもなく、天井裏だ。
そして座敷には、あまりに巧妙にカイトに扮する義妹。いったいいつの間に呼び寄せたのか――
「ん?どの口だ、カイト?この口か?己のことを棚上げに、夫を責めるなど……」
「ふぁあ、がくぽさまぁ、ん……っ」
詰りながら、がくぽはカイトのくちびるにくちびるを重ねる。ひんひんとべそを掻いていたカイトは一転、蕩けるように甘ったるい声を上げ、夫に縋りついた。ちゅっちゅと、自分からもがくぽのくちびるに吸いつく。
「言うてみよ、カイト。どの口だ?この口か?それとも、こちらの……」
「ぁ、ふぁ、がくさ、そこ、くちじゃ、ぁんっ」
「素直に言え、カイト。さもなくば仕置きだぞ?二度と生意気を利けぬよう、とっくり念入りに躾けてやるゆえ………」
「や、ふぁあんん……っ」
巧みに体を辿られて、カイトはすぐさま力を失った。そうでなくとも今日の衣装は薄ものだ。動きやすいが、一度捕まると防御力に欠ける。
だけでもなく、そもそもがカイトはがくぽに対する抵抗力が低い。為すがままのされるがまま、甘くかん高い声で啼きながら、がくぽの与える快楽にただ浸る――
ところで兄夫婦は完全に忘れているわけだが、妹たちだ。
「ぃやーあ、ぁっははは。なんていうか、まあ、アレだ。久しぶりだけど、この夫婦は、まあ、アレだね、うん。壮大。いわばまあ、つまり、壮大だよねー、グミちゃん!」
「ちゃん付けするな、馴れ馴れしい。駄栗鼠ごときが」
間一髪、落ちる天板から廊下に逃れたミクは、外れたカツラを指先でくるくる回しつつ、非常に愉しげに笑って言う。
懐っこい少女をきっと睨んで突き放したグミはしかし、座敷に目を戻すと堪えきれずに肩を落とした。小さく、ため息を吐く。
「まあ、とりあえずな。とりあえずじゃな………次回より、屋敷の中にての隠れ鬼は、禁止じゃ」