ARIANE-01
「ぁ、あ、また……っ、また、がくぽさま、………っ」
掠れて聞き取りにくくなった声で、カイトが喘ぐ。伸びた手足が絡みつき、回したがくぽの背に爪が立った。
軋む骨と、支えようと張る筋肉と、それによってかえって増した痛みと――
「……っ」
「ふ、ぁ………っぁ、おなか……っぃっぱい、ぃ………っ」
掠れたうえに呂律も回らず、カイトはただ、起こっている事象を口にする。寝台に転がって投げる視線が茫洋と彷徨い、理由も知れない涙を一粒、こぼした。
「ふっ………っ」
カイトの腹に捻じ込んだものからの放出が治まり、がくぽは小さく息をつく。
苦しい。
痛い――
それ以上に案じられるのが、自分が組み敷き続けているカイトのことだ。
そもそもが乞われてのこととはいえ、いくらなんでも無理が過ぎると思う。
たとえばそれは、カイトが『人間ではない』と理解しているとしてもだ。
その耐久力や諸々を人間と同じように判断はできないと、すでに十分に身に染みていたとしても、それはそれでこれはこれだ。
もちろん普段のがくぽが、自ら進んでカイトを苛むこともある。もともとが、加虐傾向のがくぽだ。愛おしい相手でも、否、愛おしむ相手であればあるほど、嗜虐の性が疼く。
しかしあくまでも、愛で愛おしむ延長にある程度の責めだ。ほんのわずか、刺激の一種としての苛みであり、いたぶり。
対して今は、どうあっても過ぎ越している。
過ぎ越しながらも萎えず衰えない己に、がくぽはすでに不信感も著しい。
が。
「カイト………もう」
「っや、や……っ!ぁ、くぽ、さま……がく、さま………っ!め、だめ……っぬいちゃ、め………っ!!」
「………」
皆まで言う前に、察したカイトが懸命にがくぽに縋りついた。先まで力の抜けきっていた太腿ががくぽの腰に絡み、熟れきっているであろう、夫の雄を咥えた場所も、くっと締まる。
がくぽは続ける言葉を咄嗟に見つけられず、くちびるを噛んだ。
カイトは普段こういったふうに、がくぽに対して抵抗らしい抵抗をしない。
がくぽの方が年上ということもあるし、『夫』という、カイトの意識上『主』と仰ぐ位置にいることもある。
だが、もともとが無邪気で素直な性質であることも大きい。経験値の低さから、一瞬は抵抗じみた態度になることもあるが、諭されて聞かないことはない。
そのカイトが、今日はがくぽの言うことをまったく聞かない――いや、『まったく』ではない。聞くものもある。
ただ、どうしても譲らない一線があるだけだ。
「………男だぞ、そなた。まるで妊婦のように腹を膨らませて………苦しかろうが、っ」
「ぁっ、ん……っくっ」
ため息とともに、その息に紛れるほどのあえかな声でつぶやいたがくぽだが、またしても言葉を呑みこんだ。
諌めるために腹を撫でたのが、刺激になったらしい。手の動きに合わせて呻いたカイトが、腹の中のがくぽを締めつけ、震える。
言葉通り、いつもは肉もなくうすっぺらいカイトの腹は、醜く歪んで膨らんでいた。がくぽは『妊婦の』と喩えたが、それほどのものではない。
が、確かに膨らんでいる。それも、至極不自然に。
行為の最中はすべての感覚が鋭敏にも過ぎるほど尖るカイトだが、無理を強いられている腹は、表面をそっと撫でるだけでも刺激が過ぎるらしい。ひくつく体はともかく、表情も快楽というより苦悶に近い。
それでも、がくぽの言葉に頷かない。
捻じ込んだままのがくぽの雄を一度抜き出し、腹の中に吐いた精を掻き出すという、まっとうかつごく当然の意見に。
昨夜、閨に篭もって挿入してから、翌日――日が中天にまで達した今となっても、がくぽはカイトと番ったままだ。前戯のときはともかく、挿入してからは抜くことを赦されていない。
そう。
がくぽが『赦されていない』のだ。
刺激を堪えるためだろう。カイトは震えながら手を上げ、指でくちびるをなぞり、きりりと爪を噛む。
いくら耐久度や諸々で人間離れした反応を見せるカイトとはいえ、今の状態は辛いのだと、ぎりぎりのところにいるのだと、がくぽにも読み取れる。
それでも、頷かない。頷かない――
「………いくら、誕生日祝いと強請られたとはいえ、な………こうまでなれば、祝いにならんだろうに………」
がくぽのくちびるから、ぼやきが漏れる。
昨夜から立て続けの行為に、限界を覚えているのはカイトだけではない。がくぽもだ。
いや、限界を覚えるどころではない。
確かに旺盛な性質ではあるが、これだけ立て続けに極められるほどではない。そこは一応、男の矜持諸々もあるので言い切りたくはないが、現状はそういった程度を超えている。
今の今となっても衰えることなく反応し、極めるなど、がくぽにとってすら、理解不能な事態だ。
意外にも自分には耐久性と持続性があったのだな――と、暢気に考えられる性質ではないし、その範疇を遥かに超えている。
疲労は全身に及んでいるし、意識もたまに飛びかける。
それでも己の分身だけは反応し、苛みたくない、労わりたい妻をいたぶる。そしてまた、カイトもそうされることを望む。
前後を挟まれ二進も三進も行かぬとは、このことだ。
「………くぽ、さま………ぁく、さま………っ」
「ああ………よしよし。落ち着け、カイト………いい子だ……」
「ん………っ」
戸惑い、躊躇うがくぽの気配を、衝撃が去ったカイトは敏感に察知し、不安を訴える。
今のカイトは、無理を強いられる体の苦痛より、労わって身を引こうとするがくぽの配慮のほうを恐れている。なにかを非常に恐れ、追い立てられるようにして、夫に縋り頼っているのだ。
娶って二年――月日は経ち、しかし一向に褪せない愛情を与える『妻』だ。いや、褪せないどころか、周囲からは『迷惑に過ぎる』と項垂れられるほど、いや増す愛情を日々与え費やしているのが、がくぽであり、カイトだ。
涙声で呼ばれ、力を失った腕を懸命に伸ばして縋られると、がくぽはカイトを甘やかさずにはおれない。中身だけでなく、見た目もいとけない幼な妻ということもあったが――
「………もはやそう、『幼い』とは言えんのにな」
「んん……っ」
反射的に子供をあやすように扱ってから、がくぽのくちびるは苦い笑みを刷いて歪んだ。
疲労の色も濃いカイトの顔に口づけの雨を降らせながら、その骨格を確かめるように指を辿らせる。くすぐられる肌の感触に、カイトはきゅっと瞼を閉じて震えた。
それも束の間だ。すぐに涙を溜めた、充血して赤い瞳を開くと、幼い子のように己をあやす夫を見上げる。
「そう、です………ぼく、も………ちっちゃく、なぃ………だから、………で、きる、の……」
呂律も回らない怪しい舌遣いで言って、笑う。疲労の翳は消しきれず、しかし無邪気に。
小さくないと主張し、実際幼くはないのだが、子供のように無垢で素直な歓びに満ちた笑みだった。
口づけを止め、がくぽはそんなカイトの笑みに見入った。
二年だ。
出会って即日娶り、それから二年――
ひとは成長する。赤ん坊から子供に、子供と大人の端境にいたものも、抜け出して大人と呼んで遜色ない形に。
ひとであれば、だ。
カイトは、ひとではない。
領主という特権階級であれ、所詮ただびとにしか過ぎないがくぽの『妻』は、そもそも『妻』という言葉が差す性別ですらなく、男だったが、もっと言うなら、人間ですらなかった。
人間ではなく、イキモノですら、ないかもしれない。
ではなにかと問われれば、答えに窮する。
公的な出自は、封じ森管守たる魔女一族の係累だ。俗世には廃れて久しい魔法をよくする一族で、一般には不可思議と不可解の重厚な幕の向こう側にいる。
存在は認知されており、尊重もされているが、実態は不明――それゆえに、カイトに関する概ねの曖昧は、一族であるということで説明が済んだ。なにあれ、『魔女一族だから』のひと言で終われるのだ。
より以上の説明を求めようとすれば、求める方が愚とされる。そういう一族だ。
とはいえ厳密には、間違いではないが、正確でもない。
カイトは、魔女のひとりが管守する封じ森を散策中に拾った――あるいはまた、『善良なくま』から奪った――木の実から生まれたのだという。
生まれた当初は、華奢な十代の少女の両手のひらに、易々と乗る大きさだったという。それが一年で、婚姻可能年齢とされる十四歳の少年の見た形にまで成長した。
そしてがくぽと結婚してから二年間、カイトはその年恰好で押し通した。
すべてが思う通りになるわけではないらしいが、ある程度、自分の成長や体質を操れるのが、カイトだ。
数か月で三、四年分の年を経ることも可能なら、年経ることなく留め置くこともまた、可能。
がくぽに娶られ、幼な妻として存分に愛で甘やかされたカイトは、大きくなってしまったら心置きなく甘えられないからと、成長することを止めた。
非常に甘ったれた理由ではあるが、そもそも当時、カイトは生まれて一年に過ぎなかった。いくら見た形が成長しようとも、内面まで追いついているとは限らない。
だからと、がくぽを受け入れるのにカイトが無理をしていたということはない。
非常に自然に、かつ積極的に受け入れはしたが、それと稚気の残存はまた別の話だ。
甘えたいなら甘えたいだけ甘えろと、がくぽもカイトに成長を強いることはしなかった。さりとて、幼いままでなければ甘やかせないということはないと、夫の甲斐性までは甘く見てくれるなよと、折に触れては告げつつも、二年。
それでも成長することなく、子供と大人の端境期を貫いていたカイトだが、ほんの数か月前から唐突に『成長』を始めた。
唐突だ。
前触れもなく、気がついたときには始まっていた。
「………そうだな。もはや、『幼く』はないな」
ややしてカイトの主張に応えたがくぽの、笑みに混ざる苦みの種類が変わった。苦みは苦みだが、どこか微笑ましがるような色を刷いている。
成長を始めて数か月経た今、カイトはもはや、少年とは呼べない。十代後半か二十代の前半に足を掛けたくらいの、青年と呼べる頃にまで成った。
たかが数か月で、四、五年分の年齢を経たことになる。
そう――確かにカイトは成長し、もはや『幼い』という時期は過ぎた。しかし体格は未だ、がくぽより細く華奢で、そして身長も頭ひとつ分ほどの差があるのだ。
カイトは自分を評して『小さくない』と言ったが、がくぽからすれば、『幼くはないが小さい』のだ。
「ああ、そうだ………幼くは、ない。大きくなった………」
「ん……っ」
瞼にくちびるを当てられ、カイトがくすぐったさに鼻声をこぼす。甘やかされ、あやされて、浮かべる表情は蕩けてやわらかい。
反射で閉じた目には、がくぽの表情が刷く複雑な感情は読み取れなかっただろう。
愛は冷めず尽かせず、より以上に増すが、実際変わったところは多く、そしてまた、変化は大きい。
端境期にあって、微妙に残っていた子供らしい肉の丸みは削げた。この年頃にありがちな、うっかりすると少女とも見紛うような中性的な面立ちだったものが、今は多少、化けるのに工夫がいる。
ただしそれは、容色が損なわれたということではない。
がくぽは相変わらずカイトを『愛らしい』と評するが、どちらかといえば『美しい』という言葉が似合うようになった。
なにかのときにすっと横目を寄越したりすると、背筋をぞくりと駆け上がるものがある。腰の辺りがもやつき、落ち着かない気分に陥る。
それは、『子供』のときには感じなかったものだ。
中身は伴わず、言動には無邪気さや稚気さを残しているのだが、そうやって見た目との乖離が大きいのも、カイトが醸す蠱惑さ加減に拍車をかけるものらしい。
さらには男でありながら『妻』でもあるという相反の生活も二年続けると、何気ないしぐさや振る舞いといったものが、単純な『男』や『女』とは微妙に違ってくる。なにがと明確に指摘できるほどでもなく、曖昧模糊とした仄かな違和感という程度で、不快を覚えるわけでもない。
しかしかえって微細に過ぎる違和感ゆえに、ひとの耳目を集め、惹きつけてしまう――
諸々相俟って、今のカイトが纏う色香はもはや、凄艶だ。
最近のがくぽが抱える悩みといえば、あまりに急激に美しくなった妻の色香が過ぎて、惑い誘われる周囲に心配が絶えないという。
そしてそれ以上に、もうひとつ――
「……そなたは、大きくなった、カイト」
今回の無茶な願いを聞き入れずにはおれないほどがくぽを焦らせ、余裕を失わせた、深く大きな悩みがあった。