ところはいつものごとく名無星家のリビングダイニングである。
そろって遊びに来た明夜星家のきょうだいが、まず、報告したのが冒頭のようなことだった(少なくとも2024年8月2日の日記でお披露目した際、それはこの『冒頭』にあったのだ)。
恋より遠く、愛に近い-日記版
彼らは本気で祝っている、本気で
で、その件について、少しばかり補足しておくとだ。
明夜星がくぽが引いた福引、その券は、もとはといえば兄、明夜星カイトがもらったものだった。
明夜星カイトが商店街で買い物をしたときにもらい、右から左でおとうとへ上げたのだ。『はいがくぽ、福あげる!』と、いつものごとくきらっきらに輝く笑顔で。
それは、カイトだってあの、がらがら回すやつは大好きだし、やりたいけれど、その日、もらえた福引券は一枚で、ついでに言うなら、おとうとがいっしょだった。
ならばその、すごくたのしいことはおとうとへ譲るのがブラコンもとい、明夜星カイトの兄としての、ゆずれない矜持というやつなのである。
それで、そういう兄の愛情をいっしんに受けるに値するおとうとは、素直にたのしくがらがらがらがらがらっと福引機を回し、――
福引所、開所五分で特賞を出した。
「営業妨害か。なるほど、ゆえにな?明夜星の、納得した」
「なにに?ねえ、なーにーにッ?」
真顔でこっくり頷いた名無星がくぽの胸座をつかみ、明夜星がくぽはがっくがっくと揺さぶった。
名無星がくぽといえば、こちらもおとなしくがっくがっくと揺さぶられる。さらに、そんなおとうとたちのじゃれあいを、明夜星カイトがよだれでも垂らしそうな表情でうっとり眺める。
そのカオス、もとい、こころあたたまる様子(※大根役者による読み上げ)を放置し、名無星カイトは改めてその、特賞と銘打たれたパンフレット(とはいえ冊子ではなく、一枚紙だが)を見た。
今どき、温泉旅館1泊2日2名様だ。
あの商店街はそこまでひなびていただろうかと首を傾げ、そこで彼にしては珍しく、ちょっと、固まった。
記載されていた旅館の名前をきちんと読み、その泊まる部屋の種類をしっかり、確かめたせいだ。
なるほど、これは1泊2日2名様であっても特賞たるに相応しいというか――
商店街もずいぶん、気合いを入れたものである。出血大サービス、ほんとうに鼻血を吹いたものもいたかもしれない。
そういう、開所五分の明夜星がくぽの所業である(しかし冒頭の通り、もとは兄、明夜星カイトがもらって、横流しした福引券である。謎の勝負強さ、神憑り的な強運を謳われるKAITOが、溺愛するおとうとへ。というわけで、明夜星きょうだいならではのご近所迷惑というのが正しい)。
もちろん、おとうとと違って『甘さ控えめ』である兄は、そんな感想はおくびにも出さなかった。
しかして明夜星がくぽとは、そんな名無星カイトをどういうわけかどうやら口説き落とし、情人とまで成った相手である。
「ほんっと、あんたたちきょうだいってのは!失礼なとこがそっくりなんだから!」
『憤懣やるかたなし』の教科書見本のようなそぶりで名無星がくぽを放り出し、名無星カイトの手からパンフレットを奪い取る。
乱暴なしぐさだが、名無星カイトは淡々としたものだ。
「そうか。それは悪かったな」
――淡々とし過ぎて、まるで誠意の感じられない声音で返す。いや、実際、名無星カイトに誠意はなかった。このあまえんぼうのわがまま王子の発言を、逐一にとり合っていてはきりがないのだから。
明夜星がくぽはそんな悟りきった情人を、壮絶に恨めしげに見た。このあまえんぼうのわがまま王子はあまえんぼうのわがまま王子であるので、適当に流されてかまってもらえないのがいちばん嫌いなのである。
「………せっかくだし、上げようとおもってたのに」
ぼそりと、つぶやく。
その声が恨めしいだけでなく微妙になみだ声で、さすがに名無星カイトもばつが悪くなった。居心地悪く、首を掻く。
なにしろそこにブラコンもとい、明夜星カイトがいて、口は出さないがまさに突き刺さる視線を向けてきている。
いっても所詮、明夜星家程度の威力でしかないので痛くはないが、かゆい。
そしてかゆみというのはまた、地味につらいものなのである。
「いや、せっかくって…それこそせっかくなんだし、おまえが………ぅん?」
パンフレットで半分顔を隠し、うらめしい視線だけ覗かせている明夜星がくぽへしどろもどろと返す途中で、ようやく、名無星カイトは気がついた。
明夜星がくぽの、言葉である。
『上げる』という。
先から、これで二度目だ。ゆえに聞き間違いでも、きっと、言い間違いでもない。
『いっしょに行こう』ではなく、『上げる』と。
「……………明夜星がくぽ。おまえ、上げるって、それ、だれに」
ひと息に跳ね上がった警戒心と用心に、いつものように感情の読み難い、淡々とした様子で訊いた名無星カイトは、正解だった。
なにがといって、明夜星がくぽにとってだ。
彼はまさに、そう訊いてもらえることを望んでいた。
誰にといって、名無星家のきょうだいにだ。
「それはもちろん、あんたのおとうとに。だってそろそろ誕生日でしょう。うってつけの誕生日プレゼントってもんじゃない?」
「ぁあっ?!」
打って変わって満面の笑みで言い放った明夜星がくぽへ、叫び返したのは名無星がくぽだ。まるで堅気ではない返しだが、言うなら、ちょっとした予感が過り、咄嗟にまともな言葉が出て来なかったのだ。
そんな、すでに慄然とする名無星がくぽへ、明夜星がくぽはしゅっと、パンレフットを突きだした。
「はい、上げる」
「っ!」
いやな予感しかなかろうと、明夜星がくぽが満面の笑みとともに差し出したものである。いや、明夜星がくぽがまさか、自分を相手に満面の笑みを向けているからいやな予感しかしないのだが、この『義兄』はなかなかかわいそうな性質だった。
思わず、受け取る。
受け取って、しかし受け取った、腕を中途半端に伸ばした無理な姿勢で固まって、それ以上、パンフレットを引き寄せることはできない。
「明夜星の」
出た声も、相応に固かった。
そんな警戒心しかない、しかし『おとうと』認定した自分に対してだだ崩れであるとわかっている相手へ、明夜星がくぽはにこにこ、笑いかけた。兄である明夜星カイトにとっては天使の、義兄である名無星がくぽにとっては小悪魔の。
「上質なお宿で、長すぎもせずちょっと短いくらいの1泊2日………『兄さん』と親睦を深めるに、いい機会だと思わない?」
さて、明夜星がくぽが通常、『兄さん』と称するのは自分の兄にして、名無星がくぽの恋人たる明夜星カイトに対してである。
ならばこれは、名無星がくぽに対し、恋人とすてきな時間を過ごして来いという――
「がくぽ!」
きらっきらと、感激しきった顔で、その兄、明夜星カイトはおとうとの手を取った。自分が右から左へ流した福引券で当てた特賞を、右から左に兄の恋人へ流したおとうとの、その手を。
「がくぽ天才っ!知ってたけど!でも天才、がくぽっ!あとすごくやさしくて気が利いて機転も回って、もうもうもう、すごすぎ!!まさか、がくぽとカイトさんにきょうだい二人での旅行、プレゼントしてあげるなんてっ!!」
この、感激しきりという兄の叫びに、取った手をぶんぶんと興奮して振り回しながらの褒めちぎりに、明夜星がくぽは愛され慣れたおとうとらしく、傲然と胸を張った。
「それは、まあね?俺は兄さんのおとうとなんだから、当然ってことなんだけど」
「うん、おにぃちゃん、ほんとがくぽのこと自慢っ!」
「そうでしょう?なにしろ俺は、兄さんのおとうとだもの!」
――この、こういう、あふれるきょうだい愛でまえがみえない明夜星家のふたりの傍らで、だ。
「あー………」
名無星カイトは片手で両目を覆い、力なく、天を仰いでいた。いや、両目を塞いでいるので上向きになっても天は仰げないわけだが。
もろもろあって、名無星家のきょうだい仲は、あまり良いほうではない(これは無為な謙遜表現という)。
これでも明夜星家のきょうだいと付き合うなかでずいぶん改善したし、もとより仲が悪くなりたくてなったわけでもないから、関係の改善に消極的というわけでもない。
が、未だ微妙にぎくしゃくとしていることを、並外れて仲の良いきょうだいである明夜星家のふたりに案じられていることは、わかっているわけだが、理解しているが、だがしかしである。かかしである。
そう、かかし、あたまの中身がおがくずな、あの。
それは実に自然な動作であったので、当初、誰も気がつかなかった。違和感もなく、流しかけた。
しかし気がつくと、ふと思うに、だ。
名無星がくぽが、完璧な土下座を極めていた。
「え?」
おとうとの手を握ったまま、明夜星カイトが事態の推移についていけず、瞳を瞬かせる。名無星カイトといえば、彼は事態の推移についていけていたが、ためにかえって頭痛がひどくなって、ただかざしていただけの手がつぼみ、ごにゅぐゆと眉間を揉んだ。
そして、明夜星がくぽである。
名無星がくぽの土下座を受けた、名無星がくぽが土下座を向けた。
彼は傍若無人のかたまりで、怖いもの知らずもいいところだったが、同時にお子さまで、あまえんぼうのわがまま王子だった。
手に余る事態に、明夜星がくぽは迷いもせず兄を盾に突きだし、その陰からおそるおそるといった感じで、瑕疵のつけようもない完璧な土下座を極める名無星がくぽを見た。
「ちょっと、あんた。……………なにしてんの?」
「俺が悪かった」
土下座を極めるだけでなく、名無星がくぽはあっさり謝った。
「なにかはわからんが、とにかく俺が悪い。俺が悪かった。すまん。赦せと言える義理でもないが、しかし赦せ。この通りだ。後生だ。赦せ」
「え、ぃゃ………」
わけもわからず、本気で謝る大人の男の様子に、お子さまはたじたじとなって一歩、引いた。足だけでなく、腰の引け具合もなかなかだ。そして表情の引きつり具合は、まさか明夜星がくぽがこうなることがあるとは思えなかったほどの。
そのおとうとと、もはやあっぱれといっていいほどの土下座を極める恋人とを見比べ、きょとんぱちくりとして、明夜星カイトは最後に、名無星カイトを見た。
天を仰いで眉間を揉むことに注力している、つまり、全力で逃避に走った名無星家の兄。
憧れのカイトさんだ。おとうとのこいびとであり、こいびとの兄。
「がくぽ」
カイトは呼びながら、自分を迷いなく盾としたおとうとを振り返った。その手を再び取ると、惑い、揺らぎに揺らぐ花色をしっかりと見据える。
「ゆるしちゃだめだよ、がくぽ。がくぽはおにぃちゃんのおとうとでしょ?一回いったことは、なんでも、ちゃんとやりきろうね!がくぽとカイトさん、ふたりでなかよし旅行、ぜっっったい!!行ってもらおうねっ!!」
「え、ぁ、はい、兄さん」
もとより、兄の言うことに絶対服従、否やのないおとうとである。勢いに圧されて反射的ではあったものの、明夜星がくぽはこっくり、素直に頷いた。
そんなおとうとへ、兄、明夜星カイトはにっこり、笑う。にっこり。
「んっ!いいこ、がくぽ!」
にっこりにこにこ、おとうとの頭を撫でる。
名無星カイトはとうとう諦めて、顔を戻した。上げていた顔を戻し、下、土下座のかたちまま、ぴくりとも動かなくなったおとうとを見る。
かわいそうである。
かわいそうではあるが。
「だからおまえはツメが甘いんだって言うんだ、がくぽ…」
「ひとごとか、兄ぃいいいいいっっ!!」
馴れた手際でおとうとの蘇生を計った兄は、その怒声をやはり馴れた手際で聞き流し、窓の外を眺めた。
梅雨も明けた7月末。
いい天気である。