二階のリビングに行こうと階段を上がる途中で、がくぽはびしりと止まった。
「あ、だめじゃ、そんなところっ、………カイ兄者………っ」
「だいじょーぶだよ、グミちゃん………ね、ちょっと………ちょっとだけだから………」
「だ、だめじゃ、だめじゃったら………ぁ、ああっ、そ、そんなダイタンなっ」
リビングから漏れ聞こえるのは、甘く掠れる、愛らしい声二重奏。
甘く掠れる、愛らしい声の――
「ちょっとだよ、さきっぽだけ。ね、さきっぽだけだから、だいじょぉぶ………」
「そ、そんなこと言って、カイ兄者………っ、ぜんぜん、先っぽじゃ………」
「んなにをしているかっ、貴様らぁああああっっ!!」
ジェンガ・ジャンガ・ジョンガラ
「っぁああああっ、崩れたっ!!」
「だから言ったじゃろうが、カイ兄者っ!!」
束の間呆然としていたがくぽだが、我に返ると慌てて階段を駆け上り、血相を変えてリビングに怒鳴りこんだ。
重なって上がったのが、件の愛らしい声二重奏が転じた悲鳴だ。
さらにプラスして、がらがらがっしゃんと、なにかが崩れ落ちる音。
「………………あ゛?」
表情を空白にしたがくぽにも構わず、二重奏の主――カイトとグミは、崩れた組み木細工を前に腰を浮かせ、喧々囂々していた。
「俺のせいじゃないってば!ほんと、へーきなはずだったんだよ!がくぽがおっきー声出すから、びっくりしてっ!」
「そんなことないっ!グミの見立てはカンペキじゃっ!あすこでなければ、多少びっくりした程度で、崩れ落ちやせぬっ!」
「多少じゃないもんっ!すっごくびっくりしたっ!手が揺れちゃっただけじゃなくて、肘がぶつかったんだもん!そのせいだったらっ!」
「確かにグミもびっくらこいたがっ!あすこは駄目ったら駄目じゃっ!」
「そんなのっ………」
「二人とも」
鳴り止むことなく喧々囂々とする二人の間に、ひび割れたがくぽの声が入った。
ぴたっと口を噤んで顔を向けたカイトとグミを、空白の表情を晒したがくぽが睥睨する。
「なにをしていた」
問われて、カイトとグミは顔を見合わせた。
それぞれの手に、崩れて散った組み木のひとつずつをひょいとつまむと、がくぽへとかざして見せる。
「「ジェンガ」」
――大体において、がくぽがカイトにする説教だのなんだのは、言いがかりや難癖に等しい。
今日も例外ではなかった。
無邪気な答えにふっと笑ったがくぽは、その後ソファにふんぞり返ると、いつもの極悪ちんぴら状態でカイトを膝に呼んだ。
「っていうか、がくぽがおっきー声出すからっ!」
大人しく招かれつつも抗議したカイトだが、この我が儘大王さまに通じるわけもない。
「喧しいわっ!貴様は黙って大人しく、傷心の俺に謝って慰めろっ!!」
「えー……………っ」
理不尽な言い分を居丈高に告げられて、カイトはがくぽの膝に乗ったまま眉をひそめる。
常に偉そうなのがこのがくぽというものだが、それにしても理不尽極まりない。
とはいえ、どちらに理があるかということを議論するのも面倒くさかった。
自分の我が儘を押し通すためなら、すべての道義を曲げて平然としているのが、がくぽなのだ。
「早くしろっ!」
「あーもー……………はぁい。ごめんねー」
誠意の欠片もない声音で謝ると、カイトはがくぽの顔を両手で挟みこんだ。
精根こめられた類稀なる美貌を、無駄かつ無為にしかめているがくぽの顔に、ちゅっちゅとキスの雨を降らせる。
いつもであれば大人しく雨に晒されているがくぽだが、今日の機嫌の悪さは極めつけだった。
わずかも緩むことなくカイトを睨みつけると、低く吐き出す。
「その程度で、赦されるとでも?」
「えー………………」
睨まれても凄まれても、カイトが竦んだり萎縮したりすることはない。
どちらかというと呆れたように、睨み据えてくるがくぽを見返した。
そうやって見合うこと、しばらく――
結局折れるのは、カイトだ。
「はぁい」
甘い声で適当な返事をつぶやくと、カイトはがくぽの頬を挟む手の形を変えた。一瞬で艶めいた顔を寄せると、不機嫌に歪むがくぽのくちびるにくちびるを重ねる。
――かわいい女の子じゃないのに。
内心でつぶやきつつも、カイトは歪むがくぽのくちびるを、自分のくちびるで丹念に撫で辿る。
――かわいい女の子じゃなくて、いい年をした男なのに。
そのキスで、謝罪に代わるとか、慰められるとか。
ましてやがくぽは常に、カイトを兄と呼び、自分を弟だと主張している。
それで、くちびるへのキスはないと思うのだが――
「ん、がくぽ…………」
固く結ばれたままのくちびるがもどかしくて、カイトは焦れた声を上げた。
伸ばした舌でちろちろと舐め開こうとしていたくちびるを、ちゅうちゅうと吸い上げ、はむんと甘噛みして、開くように強請る。
密着していて見えなかったが、がくぽのくちびるがわずかに笑んだような気がした。
「がくぽ………」
「仕方のな…………っふっ」
「んん…………っ」
腐すためにがくぽがくちびるを開いたところで、カイトはすかさず舌を押しこんだ。ちゅくちゅぷと音を立てながら、舌を絡めて唾液を啜る。
「ぁ、ん…………っ」
ふるりと震えたカイトの腰に、がくぽが手を回した。背中へと辿りながら抱き寄せられて、カイトもまた、頬を挟んでいた手を首へと回す。
きゅっとしがみつく形になると、差し出されるがくぽの舌をちゅくりと吸って、軽く牙を立てた。
慰めろと命じたのはがくぽで、なかなか口も開いてくれなかったが、一度受け入れるといつまでも受け身ではない。
カイトがわずかも逃げられないようにきつく抱いたうえで、差しこまれる舌に舌を絡め、口の中に押しこんで、弱いところをくすぐっていく。
「ぁ、あ……………んん、ふ………っ、ぅ、ぅ…………っ」
「は…………っ」
夢中になってしがみつき、カイトはがくぽとのキスに耽溺した。
がくぽもまた、カイトとのキスに溺れこみ――
「………なにをそうも、がく兄者は癇癪を起こしておるのじゃ」
カイトががくぽに掛かりっきりになっているため、グミはぼやきながら、散った組み木をひとりで集めていた。
カイトとグミが二人でゲームに興じていることなど、珍しくもない。さっきは喧々囂々とやったが、基本的にこの二人は非常に仲がいい。
そこにカイトがいるなら、独占したがるのががくぽだ。とはいえこれまで、ゲームをしていた程度のことで、こんなふうに怒鳴りこんできたことなどなかった。
がくぽはカイトを独占したがるが、だからといって妹に辛く当たるわけではない。
いろいろアレではあっても、基本は妹思いの兄だ。他所の家の『グミ』がカイトと馴れ馴れしくすることは赦さないが、妹であるグミが馴れ合う分には、そうそう目くじらなど立てない。
いつもなら。
「虫の居所でも悪かったのか?」
「え、それは、音声のみの罠☆というやつ?」
ちゅうちゅうしている兄たちを横目にぼやき続けるグミの耳元に、笑い声が吹きこまれた。
ある程度は予測済みなため、驚くこともなく、グミは背後に目をやる。
案の定、にこにこと笑って立っていたのは、リリィだ。散らばった組み木をつまんで、グミが仕舞っている箱に戻した。
リリィはゲームに参加していなかった。そもそも、リビングにもいなかったのだ。
なにをどこからどう見ていたものか、さっぱりわからない彼女だが――
「つまるところ、おにぃちゃんが勝手に誤解しただけなんだけど♪」
「そんなのはいつものことじゃ」
「そうなんだけど~♪今回のはちょっと、リリィもどきどきしちゃったかも☆」
「どきどき?」
訝しげに眉をひそめるグミに、組み木をつまんだリリィはにっこり愛らしく笑った。
「声だけ聞いてるとまるっきり、『お取りこみ中☆』だったの、グミちゃんとカイトくん♪」
「『おとりこみちゅう』」
きょとんとしてリリィの言葉をくり返し、しばらく。
兄に倣う必要もないのに、愛らしい顔を無残に崩壊させると、グミはべったりと床に懐いた。
「………………阿呆じゃ、がく兄者」
疲れきったつぶやきに、散った組み木を拾っていたリリィは明るく笑った。
「そんなのは、いつものことぢゃー☆」
――一方、『いつものこと』な兄たちと言えば。
「ん、ふ、は……………っ」
「………っふ……………」
当初の目的を忘れるような長いキスをようやく止めたカイトは、とろりと蕩けきってがくぽに凭れた。
険が取れた眼差しのがくぽは、そんなカイトを受け止めて、乱れる前髪をやわらかに梳いてやる。
心地よい感触に、カイトはねこのようにうっとりと瞳を細めた。それでもわずかに窺うように、がくぽを見る。
「ね。……………ご機嫌、直った?」
「…………ふん」
舌足らずに訊かれ、がくぽは鼻を鳴らした。
いつもの調子を少しだけ取り戻し、きれいな花色の瞳に意地の悪い色を浮かべつつも、機嫌が悪いというのでもなく笑う。
「まあな」
「ん」
直ったと端的に言われて、カイトの表情はぱっと輝いた。
そのあまりにうれしそうで愛らしいさまに、がくぽは思わず見惚れる。
そのがくぽへと、カイトは再びくちびるを寄せた。
「それで、がくぽ?なに怒ってたの?」
「んなっ、貴様…………っぶっ!」
問いは落としても答えを聞く気はなく、カイトは『お怒り解除』の歓びのキスで、がくぽのくちびるを塞いだ。