「およめさんになったら、もっといっぱい、がくぽといちゃいちゃ甘々できるようになると思ったのにっ!!」

The War of the Sweety Poo-前半戦-

ぷくぅうっと頬を膨らませ、カイトが叫ぶ。

いつも穏やかな彼らしくもなく、手に持っていたココアのカップをどんと勢いよくダイニングテーブルに置いての、雄叫びだ。

かなりおかんむりであるらしい。

そんなカイトに応じたのは、グミだった。

「ほう!」

カイトの前に座ったグミは、同じくココアを飲んでいた。

しかしそのカップを素早くも静かにテーブルに置くと、真面目そのものの顔でカイトを見据える。

「訊きたいのじゃが、カイ兄者『もっといちゃいちゃ甘々する』とは、どういうことを言うのじゃ?!」

「え?」

思ってもみなかった問いを放たれて、カイトはきょとんと瞳を瞬かせた。

戸惑う顔は、怒りを忘れたかのように穏やかで、多少気弱ですらある。

グミは構うことなく、テーブル越しにカイトへと身を乗り出した。

「寝る布団もいっしょなら、風呂もいっしょで、食事時ともなれば差しつ差されつあーんで食べさせっこ。しかもほぼほぼ、がく兄者の膝に、カイ兄者を乗せてじゃ。歩くときには手を繋ぎ腕を組み、さもなければ姫抱っこ。暇さえあればどこでもそこでもちゅっちゅちゅっちゅとやり、昂じて先へと雪崩れ込むことも日常茶飯事」

「え、ぁ、え、ぅ………」

まくし立てるように並べるグミに、カイトは言葉にならないまま微妙なうめき声を上げ、わずかに仰け反った。

その距離を埋めるかのように、グミはずずいと身を乗り出す。

「これ以上いちゃいちゃ甘々するとは、いったい、なにをどうすることを言うのじゃ?!」

「え………っ」

グミはからかっているでなく、皮肉や嫌味でもなく、心から真剣に訊いている。

迫られたカイトは絶句し、常から揺らぐ瞳をさらにゆらゆらと泳がせた。

「………な、なんか、そー言われると。…………じゅーぶん、いちゃ甘してる、よぉな……………?」

「そうじゃろう!」

ややしておどおどとつぶやいたカイトに、グミは体を引いた。ふんぞり返るように、椅子に座る。

しかしカイトの弱気も長くは続かなかった。束の間惑いはしたものの、すぐにぷるると首を横に振る。

「だまされちゃだめっ!!罠だからっ!!」

「ワナ?!」

勢いを取り戻したカイトの言葉に、グミは目を剥く。衝撃のあまり、椅子にふんぞり返っていた体がそのままずるりと滑って、崩れた。

「いったい、なんの罠だっていうのかしら~♪」

凝固したグミに変わってカイトにツッコミを入れたのは、キッチンから出てきたリリィだ。手にはおかわり用のポットと自分のカップ、それにボウルと小皿を載せた盆を持っている。

ちなみにポットの中身は砂糖たっぷりの甘いホットココアで、ボウルの中身はやはり、たっぷりの砂糖とともに泡立てたホイップクリームだ。小皿には、色とりどりのアラザンが盛られている。

カイトとグミが今、飲んでいる中身も同じだ。ホットココアにホイップクリームをたっぷりと盛って、仕上げにアラザンが散らされた、目にも綾で、そしてとっておきに甘いあまい――

テーブルに盆を置いたリリィは、軽く身を屈めた。なにか非常に頑固な表情を晒しているカイトを、やわらかく覗き込む。

「『そういうこと』じゃないのよね、カイトくん?」

「『そういうこと』?」

訊き返したのは、グミだ。ほとんど空になったカップをリリィのほうへ押しやっておかわりを強請りつつ、訝しさに眉を跳ね上げた。

曖昧な言葉を拾い辛いのは、むしろ旧型機に類されるカイトのほうだ。

しかしグミのように訝しむこともなく、むしろ我が意を得たりとばかりに、こっくんと力強く頷いた。

「そう『そういうこと』じゃ、ないんだよ」

「そうね」

力強く言い切ったカイトに、リリィの笑みはやわらかでやさしく、慈母の色すら湛えていた。

その笑みまま、リリィは軽く、カイトの背後へ顎をしゃくる。

「でもね、カイトくん『そういうこと』はリリィたちじゃなくて、本人に直接訴えたほうがいいと思うわちょうどそこにいるし☆」

「え?」

促されるまま、カイトは振り返った。やわらかな弧を描く眉が、へにょんと情けなく落ちる。

振り返った先――ダイニングの壁に凭れ、腕組みして立つのは『本人』こと、がくぽだった。

顎を上げて睥睨するがくぽの、くちびるは笑っている。

くちびるだけだ。

しかもその笑っている形も、とてもではないが善良とは言い難かった。いつも通り、美貌を無駄にするにも程がある凶悪さだ。

「えー………………………………っ」

身を引き、首を竦めたカイトに、壁から体を起こしたがくぽはゆったりと近づいてきた。すでにその、近づくスピードも怖い。カイトにはバックに、某枢機卿のテーマソングが聞こえた。ロイドとしてあり得べからざることに、空耳だ。

全力で引いている新妻のすぐそばに立ったがくぽは、にっこりと笑った。くちびるは。

あくまでも、くちびるだけが。怖いにも程がある。

その笑み刷くくちびるが、歩みと同じくゆっくりと開いた。

「どうやら俺の妻は、夫に対して言いたいことが溜まっているようだなじっくりとっくりたっぷり聞いてやるから、是非にも直接、俺に言ってもらおうか、カイト!」

「え、やだ、こわ、ひゃわんっ!!」

素直すぎる感想が漏らされるのも皆まで聞かず、がくぽはカイトを強引に抱え上げた。肩に担ぐようにすると、さっさとダイニングから出る。

「が、がくぽっ!」

「夫婦の問題だろうが二人きりでとことん聞いてやるから、貴様は遠慮せず、すべて余さず俺に吐き出せ!」

「やだぁ、めんどくさいぃっ!」

――喧々諤々しつつ遠ざかっていく兄『夫婦』の背を見送ったグミは、眉をひそめてリリィへ視線を投げた。

「…………………良いのか?」

グミの向かい側、自席に座ってお澄まし顔でココアを啜っていたリリィは、にっこり笑った。ちなみにココアには、ホイップクリームがこれでもかと盛られている。

口周りにわざと白い『ヒゲ』を作った彼女は、ひらひらと軽く手を振った。

「おにぃちゃんも言ってたでしょわんこも食べてくれないような、夫婦の問題だものこれでいいのぢゃー☆」

***

概ね言うと、あまり良くないというのがカイトの感想だった。

カイトを抱えたがくぽは、自分の部屋ではなくカイトの部屋に行った。

夜寝るときこそ、ダブルサイズの布団があるがくぽの部屋に行くが、昼間たまさか盛り上がってしけこむとなると、ベッドのあるカイトの部屋に行くのが通例の二人だ。

がくぽの部屋では、いちいち布団の上げ下ろしがいる。盛り上がったときに、逐一そんな手間は掛けていられない。

しかし今日は別に、しけこむわけでは――

「ゃ、ぁ、ふぁっ、んんっ」

ベッドにころんと転がされたカイトは、伸し掛かったがくぽからのキスの雨に、嬌声紛いの悲鳴を上げた。

「んっ、くすぐ……っ、っぁ、ふゃぅっ」

「うすらぼんやりが。俺に不満があるなら俺に言えと、常々言っているものを………」

「ゃあ………っふ、んぅっ」

ぶつくさとこぼされながらも、キスの雨は止まない。ついばまれたくちびるが次の瞬間には深く貪られ、言いたいことがあるなら言えとせっつかれても、言葉にする暇がない。

「ん、ぁ、ふぁあ…………っ」

ややして、微妙に強張っていたカイトの体から完全に力が抜け、くったりとベッドに沈み込んだ。

そうなってようやく、がくぽはキスを止める。伸し掛かったまま離れることはなく、しかし顔だけはわずかに上げた。

「まったくもって、貴様の手の掛かることといったらない。俺の言うことを一から十まで、すべて聞き流しおって。もう一度言うがな、言いたいことがあるなら、俺に言え。人形だの、妹だのではなく!」

「ぁ、………」

独り言のように腐されて、熱に蕩けていたカイトの瞳が揺らいだ。わずかに潤んで、ふいとがくぽから顔を逸らす。

ぴたりと口を噤んだがくぽを、カイトは顔を背けたまま横目で見た。

「………だ、だから……がくぽに、………あんまりめーわく、かけないようにって………」

「ぁあ゛?」

凄み方が堅気ではない。

馴れているので、カイトがそれ自体にどうこう思うことはない。ただ恨みがましい横目を逸らして、ぐっすんと洟を啜った。半ばベッドに顔を埋め、シーツをはむんと咬む。

カイトはそのまま、こみ上げる言葉を咀嚼して飲みこむように、シーツをはむはむと食んだ。

がくぽの眉が、壮絶にひそめられる。

「おい」

「らって」

いつにも増して低く吐きこぼされたがくぽの声に、カイトは仕方なくシーツから口を離した。相変わらず正面からはがくぽを見ないまま、恨みがましい横目だけ向け、くちびるを開く。

「あんまり、ワガママいっぱい言って、………手がかかったら、がくぽ、めんどくさくなって、………リコン、されちゃうかもって」

「おい!」

「んっ?!」

ぐずぐずとこぼす途中で、カイトの口に当てられたのはがくぽの羽織の袖だった。いつの間にか片袖を脱いだがくぽは、その袖をカイトの口に押し当てたのだ。

いや、当てるというより、口に捻じ込むような強さだった。

思惑のわからない行為に、カイトは潤む瞳をがくぽに向ける。

苦々しさの絶頂にいるような顔のがくぽは珍しく、そんなカイトから微妙に目線を逸らしていた。

「貴様は、俺の羽織を咬んでいればいいんだ。シーツではなく」

「ふゃ?」

口の中に、がくぽの羽織がある。明確な言葉にならないまま、カイトは瞳だけ見開いた。

苦々しい表情まま、ちらりとカイトを睨み、がくぽはくちびるを歪めた。いつもの、残念過ぎるちんぴら模様だ――が、目元がほんのりと、染まっている、ような。

「ぁく………」

「誰が、手が掛かるから面倒だと言った、うすらぼんやりが。そもそもだ。貴様は見た目だけでなく、頭もうすらぼんやりなんだから、こまこまと余計なことを考えるな。要らんことを考えず、うすらぼんやりと俺に甘やかされていればいいんだ」

「…………」

吐き捨てられる言葉は、声や表情とも相俟って、わりとひどい。

しかしカイトは弱々しい表情を消し、羽織をはむはむとしゃぶったまま、伸し掛かるがくぽをじーっと見つめていた。

じっと、じーっと、じーーーーーーーーーーーー

「っ大体な俺がどうして貴様を、嫁にしたと思っている?!これ以上なく、誰よりも手を掛けてやるためだろうが!」

「………ひょーぁの?」

――訳すと、『そうなの?』と訊いている。

通訳が必要な問いだったが、がくぽはきちんと理解した。微妙に逸らしていた目線を戻すと、きっとしてカイトを睨み下ろす。

目元が明確に赤い。言うなれば、羞恥。

「なにが『そうなの?』だ、うすらぼんやりが俺が弟であっては、兄である貴様を甘やかすに甘やかしきれんから、とことんまで愛で甘やかせる嫁にしたんだろうがだというのに貴様は、俺に甘えるより先に人形だの妹だの!!」

「…………………ひょー、ぁの…………?」

はぐはぐはむはむとがくぽの羽織を食みつつ、カイトは訝しげに眉をひそめた。

確かに兄弟だった時代、がくぽはカイトに『貴様は兄なのだから、弟である俺を甘やかせ』と、四六時中言った。言うだけでなく強引に、甘やかさせた。

強要されるがままにがくぽを構っていたカイトだが、冷静に言動を鑑みると実際は、がくぽが→カイトを甘やかしていたような――

少なくともカイトの主観において、がくぽが言うほどに『弟のがくぽ』を『兄として』甘やかした覚えはない。

そもそもカイトに、兄である自覚も薄かった。

「そうだったく、貴様は本当にうすらぼんやりだな。いったいどうして、俺の嫁になった」

「…………」

問いに、羽織をはぐはぐと食んでいたカイトの口が止まった。

口だけではなく動作のすべてが、――そしてなによりも表情が、空白に落ちた。