怒ればいいのか、笑えばいいのかに悩む。

Honest Recognizor

「んで?」

玄関から一間続きの台所へと上がったカイトは、多少の呆れを含んで相手を見下ろした。

昔懐かしい、御用聞きだ。『三河屋』の屋号も誇らしい紺地の前掛けに、威勢よく刈り上げた頭。

近所の商店街にある酒屋――三河屋の息子は現在、顔に青痣を作ったうえで、ビニール紐でぐるぐる巻きに体を縛り上げられていた。

その酒屋の息子を挟んで座り、がくぽとがくも揃ってカイトを見上げている。

表情の選択に困るカイトに対し、縛り上げられて転がされた三河屋のほうは非常に明るく笑っていた。

「いやあ、それがさ、カイトちゃんいっつもみたいに、カイトちゃんとこに御用聞きに来ただろしたらなんか、見知らぬ美人が出てきたじゃんよ。んで、カイトちゃんはお買い物に出かけていて、いませんと言うのよ!」

立て板に水、弁士もかくやのリズムと声音で、三河屋の青年は経緯を語り上げる。笑劇的に。

「びっくりするくらいに美人だろ?!これがもう、『三河屋』としての血が騒いじゃってさうっかり襲いかかっちゃったのよ!」

「うむ。うっかり襲われてしまってな」

「まったく、うっかりしたものであった」

「がくぽ………がく………」

縛り上げられてもまったく反省した様子なく、三河屋の青年はひっくり返ってげらげらと笑う。

間に挟んだがくぽとがくも、『襲われた』衝撃もなく、淡々としたものだった。

もちろんこの場合、『襲われた』というのは、金品目的の強奪を差さない。

ある意味でそれよりも悪い、ごく下半身的な意味での――

がくぽとがくを『襲う』など、言語道断だ。カイトとしては、それなりに怒りもある。

あるが、当のがくぽとがくがあまりに端然としているうえ、反省皆無の三河屋の状態だ。

顔に派手な青痣があるだけでなく、新聞やなにかをまとめるために置いてあるビニール紐で、これでもかと縛り上げられている。

目論見は成功することなく、襲い掛かった瞬間に返り討ちに遭ったと一目でわかる――が。

「いやあ、御用聞きに来て美人を見かけたら、襲うのは三河屋としての外せないお約束ってもんだよな!」

反省皆無どころか絶無の青年の言葉に、両脇を固めるがくぽとがくは自分の口元に手をやって、悩ましく頷いた。

「我らの美貌の優れたること、まさに罪なほどだからな」

「ひとの道を踏み外させてしまう我らの美貌の、まこと罪作りなことよ」

「がくぽ………がく……………」

カイトにしても、がくぽとがくの美貌が突出していることは否定しない。しないが、問題が違う。

そもそも、美人を見たら襲うお約束とは、なんだ。

「とはいえ我らには、カイトというかわいい嫁がおる」

「うむ。カイトという、愛らしさ至極の嫁を裏切ってまで、関係したい男でもないゆえな」

言うと、がくぽとがくは青年の頭越しに互いの片手を打ち合わせた。

「「うっかり返り討ちにし、フルボッコしてしまった」」

「ひとのことを、嫁言わないあと意外に新語使うよね、おまえたちって!」

どうでもいいことをツッコみ、カイトは改めて、転がされた三河屋の青年を眺めた。

がくぽとがくと、背丈は多少の違いだろう。ただ、日々重い酒瓶ケースを何十個と運んでいる。筋肉のつき方はいい感じだ。

へらへらしているから威圧感もなにもないが、これに襲われたら――

「いやあ、カイトちゃんの旦那さんだってわかってたら、襲ったりしなかったんだけどさあ!」

まったく反省の色が見えない青年に、カイトは軽く肩を竦めた。

「あんた、一向に反省も学習もしないよね………僕と初めて会ったときにもおんなじように、襲い掛かって来ただろ?」

「ぬぅっ?!」

「んなにっ?!」

カイトの言葉に、それまで端然としていたがくぽとがくの表情が強張った。ばっと、床に転がる青年を睨む。

三対の目の威圧にも負けることなく、三河屋の青年は生真面目そうに頷いた。

「いやだって、かわいいからさ御用聞きに行った先で」

「以下略!」

「シビレるなぁ、カイトちゃん!」

どうせまったく同じ口上をくり返すだけだとわかっているカイトにばっさり切られ、青年は本気で感心したように叫んだ。

どちらにしても反省する様子の見えない青年を、がくぽとがくは厳しく見据える。

「聞き捨てならんな、三河屋の」

「捨て置くことも出来んぞ、三河屋の」

言いながら、腰を浮かせる。

「我らを襲うのみならず、我らの嫁を襲ったこともあるだと?」

「心得のある我らではなく、非力極まりない嫁を襲ったなど」

「「言語道断だぞ!!」」

轟と吼えた二人の額を、傍に寄ったカイトが人差し指でびしびしと弾いた。

「むっ!」

「ぬっ!」

「ひとのこと、嫁言わないあと誰が、非力極まりないか!」

お決まりの文句を落としてから、カイトはがくぽとがくの頭をぎゅっと抱きしめる。

「だいじょーぶだよ、未遂だから。おまえたちが今さら怒らなくても、十分にお仕置きもされてるし」

「「されている?」」

「そうそう、あんときは………」

不思議な言葉使いにきょとんとするがくぽとがくに構わず、反省知らずの青年が口を開きかけ、止まった。

まるでぜんまいが切れた人形のように中途半端に、至極不自然に止まった青年を、がくぽとがくが疑問に思う間もない。

「あんときもなぁ………俺ぁ、言ったはずだぁなぁ、三河屋の………今度うちの子ぉに手ぇ出そうもんなら、股間の逸物、引っこ抜いて、てめぇで食わせんぞってなぁ………?」

「ぉわゎわわわ、あぁああぁあ、あーたたたんっ!」

ある意味で余裕綽々だった青年が、ようやく青褪めて表情を引きつらせた。

彼の視線の先、カイトの背後には、がくぽとがくがよく知る人物――よく知っているはずなのに、まったく違う人物に見えるひとが。

「「マスター」」

カイトに抱かれたまま顔を上げたがくぽとがくをちらりと横目に見やり、マスターは牙を剥き出してぱきぱきと拳を鳴らした。

「俺ぁ、言ったことはやんぞ………てめえの股間でぶらついてる、その余計なブツ……引っこ抜いて、まんまてめえの口ん中、突っ込んだるぁんなにち○ぽしゃぶりてえなら、てめえので存分にやれや!」

「や、いやいやいや聞いてあーたん、聞いてその昔にお世話したこともなくない、幼馴染みのおにーちゃんの、言い訳とか弁解とか、んぎゃぁああああ!!」

「………マスター?」

「マスター………?」

カイトに抱かれていて、がくぽとがくには視界の自由がない。しかもカイトは、さらにぎゅうっと抱く腕に力を込めた。

振り払おうと思えば振り払えるものの、狭い部屋の中に轟く絶叫はあまり、真偽を確かめたい感じでもない。

抱かれたまま、どうしようかと顔を見合わせるがくぽとがくのつむじに、カイトはちゅっちゅとくちびるを落とした。わさわさと、髪の毛を梳いてくれる。

「いいから、気にしないの世の中、見なくていいこともあるんだからね、それより、おまえたちだよ。ほんとのとこ、大丈夫ショック受けたりとか、してない?」

やさしく訊きながら、カイトはちゅっちゅとがくぽとがくにキスを降らせる。

がくぽとがくは頷き合うと、逆にカイトに伸し掛かった。カイトはあっさり、床にぺしゃんと転がる。

「んっ、ちょ、こら……っんんっ、も……ぁ、ふぁあぅ」

伸し掛かるのみならず、がくぽとがくはカイトにキスの雨を降らせた。

視線を少しずらせば、部屋の中で洒落にならない惨状が起きつつあることがわかる。

しかしがくぽとがくの都合のいい視界にはあくまでも、かわいい嫁が身悶える姿しか見えていなかった。