ラリアータ・タリラッタ
小さな夜をゆくための奇貨寓話集
「只今帰った…」
玄関扉を開き、がくぽが半身を差しこんだかどうかというタイミングだ。
叩き壊されるのではないかという音とともにリビングの扉が開き、青い弾丸が飛び出してきた。
否、これは比喩というものなのだが、あながち比喩とも言えない。起きた事象を非常に正確に描写しているとも言えるのだが、つまり、飛び出してきたのはカイトだ。
カイトといえば、その普段の言動は春の陽だまりにも喩えられる。良く言って鷹揚、悪く言うならとろくさいという。
それが、まさに弾丸という勢いで飛び出してきた。そのまま玄関へ突進し、がくぽへ――
組みつく寸前で、廊下へ飛びこむように正座した。三つ指を突いての、『お出迎え』スタイルとなる。
いわゆる、『ジャンピング土下座』の応用だ。地に額を擦りつける代わりに三つ指を突くという、最後の最後の完成形が違うだけの。
「応。今日も行儀がいいな」
形を極めきったところで、これでもかと顔を輝かせて見上げるカイトへ、がくぽはそう応えてやった。
茶化したわけではない。真っ向本気だ。入りこそ破壊音であり、弾丸であり、ジャンピングであるが、結果だ。最終的に至った形態だ。
がくぽにとっては十二分に、行儀良さの条件を満たしている。
「体幹が安定したな。着地も良かった。きれいなフォームだったぞ」
「……っ」
すでに輝いていたカイトの表情だが、がくぽが重ねた心からの賛美に、もはや正視し難いほど輝きを増した。
対して、がくぽだ。
万が一に備えて取っていた防御姿勢を解いたところだった。ようやく体すべてを内に入れ、玄関扉を閉める――
有り体に言うならつまり、油断していた。
そこに、もはや拝みたいほどの輝きを放つカイトが、まるでカエルのように跳ねて飛びついてきたのだ。とても勢いよく。
そういえばTシャツ住まいのカエルの話があって、ちょうどこのカイトとよく似た動きをすると、この間マスターが言っていたなと、――
がくぽが思ったのは、半ば走馬灯だ。
カイトは成年体だ。男声だ。がくぽのほうが体格に恵まれているとしても、二倍も三倍も違うわけではない。限度がある。
で、限度を超えた。
おかげで強かな思いをしたがくぽだが、肝心のカイトだ。
カイトはがくぽの首に腕を回して組みつき、ご機嫌に頬を擦りつけていた。反省皆無だ。
それも仕方ない――カイトはがくぽがカイトを受け止めきれないことがあるなど、まるで想定していないのだから。
「よしよし……いいはしゃぎぶりだ。しかし少しう、早計だぞ、カイト。俺がなんのアイスを買ってきたものか、未だ確かめておらんだろう。見ぬうちからそう、歓ばれてもな。嬉しい半面、中身を見たそなたが期待外れに項垂れたなら、どうしようかと…」
「………っ」
背をあやし叩き、苦笑いで言ったがくぽに、カイトの表情はたちまち翳った。束の間の困惑――それから、食事中のハムスターのように頬をふくらませるという拗ね顔となり、さらにきつくがくぽに組みつく。
組みつかれて表情の仔細が見えずとも、態度や雰囲気で伝わるものがある。がくぽは笑みから苦みを薄れさせ、そんなカイトの背をやわらかに撫でた。
「はは、そうだな。そなたが俺の買ってきたものにけちをつけたことなど、なかったな。いつでも大喜びで……ん?」
「~~っ!!」
皆まで聞かず、カイトは組みついたときに負けぬ勢いで、がくぽから身を離した。だけでなく、怒り心頭といったふうにくちびるをへの字に引き結び、きつく睨みつける。
たじろいで口を噤んだがくぽへ、カイトは勢いよく手を伸ばした。がくぽの手からアイスの入った袋を奪い取ると、靴箱の上に置く。
取り方にしろ置き方にしろ、いつもと比べればずいぶん乱暴な所作だった。
それで、『ひと仕事終えた』という宣言なのだろう。埃を落とすかのように高い音を立て、両手を打ち払う――
改めてがくぽへ向き直ったカイトといえば、これ以上なく不貞腐れた顔だった。心底から、拗ねきってしまっている。
それでもがくぽの首へ腕を回し、再び組みついた。
「あー………、はは…」
痛いほどに強く擦りつかれてよろけながら、がくぽは天を仰いだ。理解が及ぶにつれ、先とは違う力を蓄えた手が、カイトの背に回る。
「待っていたのは、俺か………アイスではなく、『俺』のほうか……………カイトが………KAITOが………アイスより………!!」
がくぽは吐きだしきれない万感をもってきつく、きつくきつくカイトを抱きしめ返した。