布団の中ねこはいない

小さな夜をゆくための貨寓話集

カイトは困惑していた。この家に引き取られてからというもの、困惑せずに済んだ時間はほとんどないのだが、それにしても困惑していた。

がくぽだ。

朝に片づけ忘れ、敷きっぱなしになっていたカイトの布団の傍らに、胡坐を掻いて座っている。

――だけであるなら、カイトもここまで困惑はしない。

座るだけでなく、がくぽがさらに、なにをしていたかという話だ。

話しかけていた。空っぽの、『中身』のない布団に。

「斬新も極まる――否、『手』としては使い古された、いわば常套というものだが、だからとこれまで、周囲がやってみせたことはない…」

「剥がすべきか、剥がさぬでおくべきか、それが問題だ」

「俺がこれで、『土下座した』と言うだろうしかし俺が言う通り、ほんとうに土下座したかどうかは、布団の内に篭もったままでは定かでないな。ということはこの場合、外側ではあっても『俺』とは、シュレディンガーの猫と同じく…」

――よくしゃべる。

よくしゃべるが、いったいなにを言っているものか、ほとんどわからない。

以前に、しゃべりかけている相手だ。布団だ。その『中身』は、空だ。誰もいないのだ。

つまり――つまり、だ。話は少々、遡る。

ほんの数分前の話だが、同居初めにありがちな些細な行き違いから、カイトとがくぽとは少しばかり、険悪な空気を醸した。

結果、カイトは足音も荒く、リビングを出た。

――が、カイトだ。元が、過ぎて鷹揚な性質だ。リビングを出て扉を閉めたあたりでもう、すぐに、頭が冷えた。それくらい些細なことだったということでもあるが。

とはいえ、リビングに残してきたがくぽも同じとは限らない。

いくらカイトが些事に頓着しないとはいえ、まさかこんなすぐで取って返すわけにはいかないことくらい、わかる。

それで仕方なく、家の中を無為と歩き回って時間を潰し、――

回り巡り、自分たちが寝起きする部屋の前を通りがかったら、このざまだ。

確かに、起き抜けままで残る布団は小山を形成していて、いかにも拗ねて丸まったカイトが入っていそうだった。

『いそう』だがしかし、いないのだ。そこにカイトはおらず、あるのはただ、空洞の布団――

気がついても良さそうだが気がつかず、がくぽは立て板に水と言葉を吐きこぼす。懸命に、必死に、言い募る。

『謝りたい』と。

あるいはもう少し引きで見て、――だとしても、イーブンにして、カイトと仲直りをしたいと。

「………っ」

カイトは一度、瞼を落とした。腹を括ると、くちびるをきつく引き結び、決然と瞳を開く。

一歩、踏み出した。

「よし良い。埒も明かぬ。もう暴こう。そうし、っ?!」

業を煮やしたのだろうがくぽが布団に手を掛けたところで、カイトが傍らに膝を突いた。同時に伸びた手が、ちょうど布団を掴んだがくぽの手に重なる。

重なったのは手のみならず、互いの瞳もだ。

花色の瞳と、湖面の瞳が見合うこと、しばらく――

「…っっ」

口は開いたものの、案の定でなにを伝えることもできず、カイトは曖昧な笑みでくちびるを閉じた。せめても下手に、小首を傾げて、窺うようにがくぽを覗きこむ。

そのカイトから、がくぽは気が遠くなるほどの時間をかけ、目を逸らした。自分が手を掛けた、いかにもな布団の小山を見やり、そしてまた、カイトへ視線を戻す――

重々しく、頷いた。

「そういうことも、あろう」

――なにが?

という、カイトの問いが出る間もなく。

やわらかにカイトの手を引き剥がしたがくぽは、当初の予定通り、布団を開いた。そしてその、意外性もなく確かに空洞であった場所に自らの身を丸め、開いた布団を被せて、篭もる――

「?!」

今度こそ『中身入り』となった布団の小山を、カイトは唖然として眺めていた。

なんだか小刻みに震えている気がするが、そういえば布団に篭もる前のがくぽの肌が、ちょっと危ぶまれるほど赤かったような気もするが、――

だとしても、だ。

「………………………………」

しばし待ったものの、がくぽは一向に出てくる気配がない。負ったのは、相当に深手であったようだ。

諦めたカイトは布団の端に乗ると、小山へ添うように身を丸めた。ねこのしぐさで軽く擦りついてから、静かに瞳を閉じる――