アルパカと七月晦日のお茶会-日譚-

正座して相対したいもうと、グミは無表情だった。

ここまで表情というか感情というか、とにかくそういったものは失くすことができるのだなと、いっそ見本に撮っておきたいほどの、見事な無表情だった。

そのすばらしいまでの無表情で、グミは相対して座る兄、がくぽを見据え、おもむろに口を開いた。

「良いですか、兄者……グミは兄者のいもうと愛に疑念を抱いているわけではありません。しかしながらおわかりではないようですので今一度申し上げておきますが、グミは年頃の娘です。少女です。嬢です。誕生日プレゼントに、兄者の膝に乗って甘えてくれと強請られましても、お応え致しかねます。よろしいか」

極めた無表情で淡々と連ねられる言葉に、がくぽは逍遥として『はい』と頷くしかなかった――

「うんいや、グミちゃんは正しいっていうか、えらいよね、むしろグミちゃん」

べそべそべそと泣きごとをこぼしたがくぽに、泣きごとをこぼされたほう、カイトはまったく慰めることもなく、きっぱりと追い討ちをかけた。

「だってうちのミクとかだったらさ、もうクチきいてくれないよ『ヘンタイ』とすら罵んないで、無言で背を向けて去るよね。それでほとぼり冷めるまでクチきいてくれない。対してグミちゃんはえらいよ。とにもかくにもおにぃちゃんに、おにぃちゃんのナニが悪かったのかっていうことをちゃんと説明してくれたわけだから。しかもそれからも、別にがくぽ、ムシされてるわけでもないんでしょやさしいよグミちゃん。いい子だよ。年頃いもうとの仕打ちとしたら、甘すぎてびっくりだ」

「うむそれはな、やはり俺のいもうとであるからして」

「若くしてそこまで悟らざるを得ない状況に追いこんでる自分を反省して、がくぽ」

「ぉお………」

まともに口を挟む隙もなくぽんぽんぽんと言葉を刺され、がくぽは天を仰いだ。

がくぽ――芸能特化型ロイド/VOCALOID:神威がくぽ、もしくはがくぽは、そもそも情報処理能力の高さを謳われ、機微に敏いこともそうだが、弁が立つことでも知られる。

対してそのがくぽの愚痴に付き合わされているほう、同じく芸能特化型ロイド/VOCALOID:KAITO、通称カイトのほうはといえば、ロイド草創期にできた機種だけあって処理が遅く、つまりそうまで弁が立たない。

――と、一般には言われている。

言われてはいるが、人間がそうであるように、ロイドもとりどりだ。起動して経験も積めば、こうしてあっさり、優秀な後継機をやりこめもする。

ちなみにこのがくぽとカイトとは、『兄仲間』だ。マスターは違う。ただ共通点は、いもうとを持つ兄であるということだ。

実際、カイトにはおとうともいるが、がくぽは今のところ、いもうとだけだ。というわけで少しばかり長い説明になるが、共通点は『年頃のいもうとを持つ兄』――

兄を持つ年頃のいもうとも大変かもしれないが、兄は兄で大変なのだ。兄も兄で、大変なものなのである。

そこで意気投合したふたりなのだが、つまりだ。

大変がんばってこの有り様だから、兄といもうとの断絶が埋まらないのも道理だ――

兄としてまったく得たくない諦観を得たカイトは、さらにげっそりとした。げっそりとしながらリモコンを弄り、新しい曲をかける。

そう、現在地、カラオケルームである。もちろん自宅のではない。街中の遊興施設だ。

がくぽに話を聞いてくれと泣きつかれたカイトが、聞かないうちから諸々見越して指定した。

家族に邪魔されない外の施設で、個室を難なく確保することができ、声が漏れにくい場所で、かつ、安く済むという。

条件を満たす施設はほかにもあるが、カラオケルームの平日昼間、フリータイムに勝るものはない。

ドリンクに、小腹満たしのちょっとしたスナックを付けてもお財布にやさしいことはもちろん、それがVOCALOIDである限り、どういった組み合わせであろうと景色に融けこんで印象に残らないという特典付きなのだ。

施設の種類によっては、いかにも怪しげな目で見られたり、胡乱な顔を向けられたりするが、カラオケルームにはそれがない。なぜならVOCALOIDはうたうものであり、カラオケルームはうたう場所であり、いるのはむしろ必然というものだからだ。

しかして入室して以降、ドリンクとスナックを店員が運んで来るまでに一曲ずつうたったのみで、あとは音は流すもののうたうことなくとにかく話を聞いて、今だ。

「だいたいにしてさ、がくぽ。そもそも俺がまず、共感できないんだけど」

ガムシロップとミルクをふたり分注ぎこんだアイスティをちゅるるるっとストローで啜って口を潤し、カイトはひどく胡乱気にがくぽを見た。

「なんでそんな、思い余って誕生日プレゼントで強請るくらい、いもうとを膝だっこしたいわけ言ったら難だけど、グミちゃんでしょ正直、体格差がビミョウじゃん……もしもだけど、俺がミクに強請られたら、カオ強張るよ。どうしてもって言われたら断れないとは思うけど、引きつるよねカオ。ぜったい。たぶんリンちゃんで、ぎりだし」

その根源的とも言える問いに、がくぽは曖昧に首を傾げた。

薄暗くした部屋で、流す音に合わせて変わる画面からの光が、妙な陰影をつくり動かす。

がくぽ自身はただ曖昧なのだが、その勝手に動く陰影がどうしてか哲学的な様相を醸し、実態との乖離にカイトは眉をひそめた。

「なぜと問われてもな………愛らしいものは、でき得る限り身近で愛でたいものではないか?」

――挙句の果ての、この回答だ。

カイトはますますもって眉をひそめ、ちゅるるるっとアイスティを啜った。

正直、ガムシロップが足らない。

これがいつもネックだ。がくぽはむしろなにも入れたくないと言うけれど、カイトは少なくとも三つから四つは入れたい。

ならばいっそジュースでも飲めという手合いもいるが、わかっていないと思う。そうではないのだ。

大事なのは、アイスティに大量のガムシロップを投入すること、もしくは大量のガムシロップを入れたアイスティであることなのだ。

つまりそういうことなんだろうと、カイトは理解する。がくぽの、『愛らしいものをできる限り身近で愛でたい。ので、膝だっこさせてくれ』というのは。

理解はするし、ある種の共感も覚えるが、それはそれのこれはこれだ。

こういう兄を持ったグミの苦労が思いやられて仕方ないし、なによりもだ。

今だ。

自分だ。

「それで思いつめた挙句、もう俺でもいいからとにかく膝だっこしたいとかさせてくれとかいいやするんだとか、ミサカイ失くすにもほどがあるんだよっ」

高速で吐きだして、カイトはスナックとして頼んでおいたのり塩味のフライドポテトをもっさり掴むと口に放りこんだ。自棄な気分の昂じるまま、がむがむがむと勢いよく咀嚼する。

のりはともかく、塩は利いている。しょっぱい。今のカイトの状況そのままに――

そうなのだ。

店員がドリンクとスナックを運んで来るまでは、ごく普通の客として振る舞っていたカイトとがくぽだ。日々研鑽を積むVOCALOIDらしく朗々とうたい、もちろん席も離れていた。

が、ふたりきりが確定するや、音は流れるだけで声は乗らなくなり、そしてカイトはがくぽの膝に上げられた。

とはいえ、体格がある。がくぽも成人男声型だが、カイトとて同じだ。成人型なのだ。兄といもうと以上に、体格差がない。

さすがに直に膝へ上がるわけにはいかないから、カイトはがくぽの膝の間に尻を嵌めるような感じで、横抱き状態で座った。

いわば簡易版だが、がくぽがカイトを抱えこんだことに違いはない。

迷惑なんである。

確かにがくぽの容貌は優れて、間近で拝んですら瑕疵もなく、眼福以外のなにものでもない。

しかしだ。

このかかしがそれでなにをしているかといって、泣き言をこぼしているのだ。繰り言な、愚痴を垂れ流しているのである。いもうとに怒られましたという、知るかというのである。

知るかというのに逃げられないよう囲いこまれ、聞き流すにもこの間近の至近距離でだ、しかも理不尽に怒られたというならまだしも、聞けば聞くほどカイトはグミの味方をせざるを得なくなる。

情状酌量の余地もないところで、間近の至近距離での泣き言だ。さらになおのこと、力いっぱい知るかというのだ。

「いや、カイト…」

「あ、そか」

そのカイトになにか言いかけたがくぽだが、聞いてもらえなかった。

つまり、カイトが自棄を起こして食べたフライドポテトだ。口に放りこんだ量もあって思っていたより塩味がきつく、うっかりびっくりで気持ちが逸れてしまったのだ。

相手に集中していなければわからないこともあるが、逆に視野が狭まり、身動き取れなくなることもある。

気持ちが逸れたことで視野が広がったカイトはそれで閃き、がくぽの様子に構うことなく自分のアイディアを続けた。

「そんな膝だっこしたいなら、レンくん貸してあげるよ、レンくん。レンくんだったらさ、おとうとだからオトコで、年頃いもうと問題はクリアしてるじゃんで、まあ、…ええと、グミちゃんよりちっちゃいしカルイしあとなにかわいいうん、懐くとおとうとも、いもうとに負けず劣らずでかわいいもんだからさ。てか、少なくともこんなとこで、俺相手に思いつめてるよりは絶対ましなはず」

どうだこのアイディアと、カイトは得意満面でがくぽを見上げた。返って来たのは、光源の問題を抜きにしても厳しい顔だった。

ひょっと、反射で首を竦めたカイトに、がくぽは重々しくくちびるを開く。

「カイト、見くびらないでもらえまいか…この神威がくぽ、確かに兄としては未だ至らぬ身だ。なれど、己のいもうとで叶わぬ願いを、ひとのおとうとを使って満たそうなぞと企むほど、落ちぶれてはおらぬ」

一種の荘厳ささえ滲ませて言いきったがくぽを、カイトは竦めた首を傾げ、胡乱に見上げた。

「なんかすごい、かっこいぃそうに言ってるけど、…俺はまさかと思うけど、弟妹間でうろつくのはアレだけど、『おにぃちゃん』だったらカテゴリ違いだからオーケイとか」

「カイト」

非常に疑わしげに訊くカイトを、がくぽは臆することなく見返した。いやむしろ、眼力が増した。

カイトは再びひょっと首を竦め、おずおずとがくぽを見返す。

そのカイトへ、がくぽはきっぱりと告げた。

「俺はカイトを兄と思ったことは、一度もない」

「ああうん、だよねー……そうだとおもった…」

――念のためにくり返すが、カイトとがくぽの属するマスターは違う。ふたりはあくまでも『兄仲間』として家族外で知り合ったのであって、同じ家族内の、きょうだいとして知り合ったわけではない。

当然、がくぽはカイトのおとうとであったことはないし、カイトもがくぽの兄であったことはない。

それは確かだが、問題はそういうことではない。

カイトはなんだか疲れ果て、同時になにもかもがどうでも良くなった。

だいたいにして抵抗しきれずこうしてがくぽの膝に収まっている時点で、カイトは負けているのだ。なんの勝負のなんの勝敗かは定かでないが、とにかくカイトは負けたのだから。

「それにな、なにか誤解があるようだが、カイト…」

「じゃあもういいや。誕生日プレゼントってことにしておいてあげるよ、がくぽ。言っておくけど俺だってがくぽのことをおとうとだと思ったことなんかないし、兄だと思ったことなんか、もっとないけどね」

「いや、カイト…カイト?」

思いきったカイトはせいせいとしてまくしたて、がくぽは勢いに呑まれて言葉を失った。

戸惑いながら見つめるがくぽへ、カイトは陶然と微笑んだ。光源の効果も相俟って、それはひどく蠱惑的に映った。

妖婦にも似る蠱惑的な笑みを浮かべたカイトは、手を伸ばすとがくぽの首にかける。あえかに身を寄せると、上目で見つめた。

「か…」

「特別サービスだからね、がくぽううん、……『おん』」

そのときタイミングよくちょうど、かけていた音が止んだ。ために、カイトのその呼びかけは難なくがくぽの耳に届いた。

届いてしまった。

『おにぃちゃん』――

「………カイト」

見る間に厳しい顔となったがくぽへ、カイトはまたひょっと、首を竦めた。妖しいほどの色香を漂わせていた蠱惑的な笑みから、弁明に追われる悪戯っ子の、媚びた笑みへと変わる。

「ぅううん、やっぱりだめ…だよねー。『思ったことがない』以前のモンダイっていうか、以上のモンダイっていうか、まあ、俺が相手じゃあ、あ?」

突然視界がくるりと回って暗くなり、カイトはきょとんと瞳を瞬かせた。

背中にソファの感触がある。腹に伸し掛かる男の感触があり、くちびるにぬろりとした――

「………ほぇ?」

呆然と固まるカイトからわずかに身を離し、ソファに転がしたうえで伸し掛かった相手はうっそりと笑った。

「よくよくひとの話を聞かん………」

こぼして、それですら愛おしいと瞳を細める。いや、薄闇効果だ――

カイトは懸命に思考を振り回した。単に回したわけではなく、高速で振り回した。

薄闇効果でそう見える気がするだけであって、実際はそうまで愛おしげなわけでは――

完全にパニック状態で固まるカイトの頬を、がくぽは優しく撫でた。優しく、愛おしげに、熱をこめて。

「どうにも理解しておらぬようゆえな、もうひとたび言うが…俺はカイトを兄と思ったこともなければ、おとうとと思ったこともない。ましてや、グミの代わり――そんなはずなかろう。俺にとり、カイトがどれほど愛おしく、愛で尽くしたい相手であることか……どういったふうに愛おしく、愛で尽くしたいものか、――教えるか?」

「ぇあ、あ、ぁあうあ?」

意味もない声を漏らすだけのカイトをわずかに眺め、がくぽは瞼を伏せた。同時に体が沈み、カイトの耳朶にふわりとくちびるが触れる。

「ひゃうっ?!」

びくりと竦んで悲鳴を上げたカイトの肩口に、がくぽは額を擦りつけた。大型犬が甘えるしぐさにも似ている。

それで――それで、そう。

どうしてそんなことをしてしまったのかさっぱりわからないが、とにかくカイトはがくぽの背に腕を回した。腕を回して伸し掛かる男を受け止め、容れて、散らばる長い髪を梳き撫でる。

あやすように梳き撫でてやって、それで――カイトは自分の行動をも、きちんと容れた。

だから、カイトはもう疾うに『負けていた』と、それだけのことだったのだと。

ぴくりと揺れたがくぽは、しばらくしてまた、体を起こした。笑う、顔がやわらかい。やわらかいが、どうしてか高まる緊張が見える。

いもうとが見せた完璧無比なる無表情とはまた違うものの、ひどく読み取り難い表情を浮かべるカイトと見合うことが難しく、がくぽは額を合わせた。間近に視界をぼかし、つぶやく。

「あまり煽るな、カイト」

「がくぽ」

「……………」

呼ばれて、呼ぶ声と、表情と、――背に回してさらに強くなる、腕の力と。

促され、背を押され、がくぽは笑った。笑って顔を上げ、揺れる湖面の瞳と見合う。

「誕生日の、特別サービスだと言ったか、カイト…もう少し、弾んでもらえるか?」

伸し掛かって甘える男を見上げ、見つめ、カイトはのどを鳴らすように小さく唸ると、ぷいと顔を背けた。

「仕方ない……からっ。出血大サービス、してあげるよ、がくぽ。だからっていってほんとに出血沙汰したら、三日はクチきかないけど、ねっ」

薄明りにすらわかるほど肌という肌を染めて吐きだしたカイトに、がくぽは声を上げて笑った。

呵々と笑い、容赦を忘れてきつくきつく抱きしめてしまったのは、がくぽが強請れば上にも乗ってくれて上にも乗せてくれる、口達者でもひどく甘いあまいあまい――