がくぽにとって、その『カイト』は憧れのひとだった。
それはそれはもう、憧れて焦がれて、――
踏みならされた道-第1話
起動したばかりの自分にとっては高嶺のそのひとに、それこそ経験値の低さから来る蛮勇、無謀さから猛アタックすること、数か月。
根のやさしいそのひとが折れてくれて、字義通り根負けしてくれて、ようやく『恋人』としてお付き合いしてもらえることとなり、さらに数日後。
初デート、ベッドに押し倒されているがくぽの現状です。
「なにゆえ敬語だ俺」
「ん?がくぽ?」
「ああ、いえ………」
ついうっかり駆け巡った走馬灯、そのオチに入れたツッコミがさらにうっかりで、声に出てしまっていた。
まあ、仕方ない。と思いたい。
がくぽが憧れて焦がれ、猛アタックを掛けて口説き落とした相手は自分と同じ芸能特化型ロイド:VOCALOID、その中でもさらに『同じ』男声型だ。
新型と旧型という違いはあれ、男声型は男声型。ならばこの結果は、推して知るべし。
――なのだが。
「やっぱ、『下』って抵抗ある、がくぽ?」
「いえ!………あー、いえ……」
「んひゃひゃっ!!」
ほとんど反射で軍隊式に服従を返し、それからはたと私人に戻って、本音をこぼす。
ぶれぶれもいいところのがくぽに、カイトが怒ることはない。むしろひどく愉しそうに、この未熟な存在の相手をしてくれる。
だからがくぽにとって、つい先ごろ恋人となった相手、カイトはもともと、憧れの存在だった。
輝かしい業績を誇る先輩として、人柄諸々含め憧れ、尊敬していたのだ。
その、少しばかり過ぎ越していた憧れが、はっきりと恋にまで転じたところで、流した浮き名は数知れずという相手が、ちょうどしばらくフリーで、無聊をかこっていると噂を聞き、矢も楯も堪らず――
ようやく恋人となってもらえて、まだ数日だ。がくぽの口調には、未だ数日前までの関係が色濃く残る。どうしても敬語が先に出るし、咄嗟に服従姿勢を取ろうとする。
しかしまあ、思えば片恋の時間が長かったのだ。数か月程度とはいえ、当初、カイトの反応はあまり芳しいものではなかった。
『初恋の相手とか、ぜっったい、ヤだ!めんどい!!俺にメリット、なんもないでしょ?!』
――とまあ、けんもほろろに袖にされ続けたのだ。
それでもがくぽがめげず挫けず猛攻をかけ、結局のところどうしてもやわな部分のあるカイトが絆される形で、受け入れてくれた。
ただ、そういう経緯を辿った相手だ。
今はまだ、カイトはがくぽの見せるうぶさや馴れなさ加減を笑って愉しんでくれているが、そうそう長いことではないだろう。あまりいつまでも手を煩わせるようだと、『ほらね、やっぱり面倒だった』などという言葉とともに、別れを切り出されないとも限らない。
だからといって無理に背伸びをすればしたで、興醒めを呼び、同じ結果に至る――
滾る情熱のまま突っ走ってしまったが、想定していたよりずいぶん難しいさじ加減が必要だ。
否、正直に言うならそもそも、こんなさじ加減を要するなど、想定もしていなかった――出来なかったのだが。
つまりそういったところが、がくぽの経験値の低さだ。
それで己の先走りを後悔することはないが、この関係を解消したいとも思わないが、しかし起動したばかりのがくぽにとって、難易度がずいぶん高い付き合いであることだけは、確かなのだ。
で、高難度の相手に己の技量も弁えずに突っこんだ結果だ。
突っこまれそうだ。
「おやぢギャグ?!」
「うーーーん。大分、いい感じにぐるってんねえ、がくぽ……」
またもや、迷路を爆走する思考のオチをうっかり口に出した、要するに先までの会話となんの脈絡も持たない言葉を吐き出すがくぽに、カイトはなにやらしみじみとこぼす。
そして結論が、
「かわいぃ……」
「っ!」
――語尾にハートマークが見えるのは、主に幻視というものだ。思いこみとか、あとは都合のいいなんちゃらとか、とにかくそういうやつだ。
ぽろっとこぼされた評に、がくぽは我に返った。意識をしっかり保たねばと、危機意識が目を覚ましたともいう。
確かにがくぽは、芸能特化型ロイドの中でも特に美貌を謳われる存在ではある。が、あえて強調して言うなら『美貌』だ。
美麗であるとか綺麗だとか、とにかくそういった表現はあれ、体格や設定年齢諸々合わせ、『かわいい』と評されることはあまりない。
あまりない実例の、ほとんどを埋めるのがこのカイトだ。先に起動し、すでに大活躍し、勇名を馳せる、がくぽ憧れの、そして成り立ての恋人だ。
付き合ってくれると、応の返事をくれたときもそうだった。
『もー、仕様がない。俺、おまえのこと、かわいくって仕方ないもん。そんな一所懸命で、必死でさ。そんなかわいいのに絆されないほど、おにぃさん、冷たくもないし、枯れてもないんだからね!』
確かに『年上』の、経験豊富な相手から見ればがくぽなど、未熟で幼く、まあ、そういうことをして『かわいい』と評さないでもないとは思うがしかし。
で、現状だ――付き合うことになって数日後、たまたま同じ仕事場で、入り時間は多少違ったが、終わり時間がほとんど同じだった。
『じゃあ、お帰りデートしよっか、がくぽ?』
言い出したのは、カイトのほうからだった。
『ん、そだな。デート感出すために……わざわざ、駅で待ち合わせとか、してみよっか。こっからずっと、いっしょじゃなくって……んっへへー。お仕事帰りに、こっそり待ち合わせデートですよ?たのしそーでしょー』
がくぽが試行錯誤しながらエスコートに奮闘するまでもなく、カイトはてきぱきとすべてを指示して来た。しかもすべての提案が渡りに舟で、棚からぼたもち、幸運もいいところという。
いつもの服従姿勢も生き生きと、応と返事をして――
結局がくぽは浮き立つ気持ちまま、あれこれ深く考えもせず、考えることもできないまま、カイトについて行って、辿りついた先の、カイトの家。
の、カイトの部屋のカイトのベッドに、カイトに押し倒されている。
ここら辺の手並みが鮮やか過ぎて、つまりこれが経験値の差というものかと、感心したのはあれだ。やはりあれだ。
逃避だ。
「まあね。いっくらかわいくっても、がくぽも男だからさ。しかもあんまりそういうとこ、深く考えてなかったっぽいし」
「ぅっ!」
まことごもっとも、反論のひとつも紡ぎようのない美事に過ぎる指摘に、がくぽは素直に詰まった。
一般に、カイト――KAITOというのは、機微に疎い機種だとされる。スペックの低い旧型ゆえの特性として、空気を読む能力があまり発達していないのだと。
しかしいかにスペックが低かろうとも、学習能力はついている。経験も重ねれば、情報処理能力の高さを謳われ、機微に敏いことで突出するとされるがくぽの度肝を抜くほどの洞察も、軽くやってのける。
ましてや相手は、起動したばかりのがくぽだ。見通しなど、すぐにつくのだろう。
だからカイトはまた愉しげに笑って、しかしすぐに多少、表情を翳らせると、小さく肩を竦めた。
「だからいきなり押し倒されるのも、抵抗あるのはわかるんだけど」
「いえっ、カイト殿の、んっ」
概ね反射だけで服従を誓おうとしたがくぽのくちびるに、カイトはひたりと、人差し指を当てた。にっこりと、笑う。
いや、言葉に直せばそういう単純なものだが、浮かべた表情の艶めかしさたるや、空気の色から香りから、すべて変わるような、そういう笑みだった。
「『殿』?」
ゆっくりと訊かれ、がくぽは見入ったまま、麻痺した思考で口を開いた。
「カイト………」
「んっ!」
「っ」
求められるまま『正解』を答えたがくぽに、打って変わって空気を明るくしたカイトは顔を寄せ、ちゅっと軽くくちびるをついばんで離れる。自然だ。気負うところがなにもない。
がくぽなど、たかがこれだけのことで動揺著しく、またもや思考がぐるぐると迷走し始めたというのに。
この、絶望的なまでの経験の差だ。経験値の違いだ――
「ま、俺は正直、どっちもイケるんだけど。女であろうが男であろうが、上だろうが下だろうが、ね」
「………はい」
続けられた言葉に、なんと返すべきか困って、がくぽはただ、頷いた。
知っている。流した浮き名は数知れず――その相手が、男女の別を問わなかったことも、年齢もさまざま、性癖も雑多であったことを。
ひとから聞いた分もあるし、カイト自身から聞いた分もある。
だから知ってはいるし、そのうえで望んだ手を伸ばした。
そしてベッドに転がされている。
「で、そこをあんまり深く考えてなかったDTちぇりーちゃんな生娘おぼこのヴァージニアたんには、たぶんね。ほんとは、先にどーてー卒業で筆下ろししてあげるべきかなと」
「あー、ええと、すみませ、かい、」
あけすけな話に、がくぽは顔を赤らめ、挙手した。ちょっと加減してくださいの、おそらく歯医者だと一瞬で通じるしぐさだ。
ここは歯医者ではなく、相手はカイトだ。
もちろん通じなかった。
「でも俺さ、がくぽかわいーんだよねー。なんか久しぶり?だし、まあいっかーって」
なんだか非常に軽い感じで結構重要ではないかと思われる結論を告げ、カイトは言葉の軽さと同じ、軽い笑顔をがくぽに向けた。
「まあ、だいじょぶ!だよ。がくぽだと、俺が全然初めてじゃなくても痛くする可能性って、めっちゃ高いけど、俺だったら、ヴァージニアたんでもとっろんとっろんに蕩けさせて上げられるし!んーと、なんだっけ?なんか舟?うん、そう!なんかそういう、舟っぽいのに乗った気持ちで、まーかせといて!」
「カイト………」
まことごもっとも、反論のひとつも紡ぎようのない、美事に過ぎる分析だった。
そして単なる机上の空論などではなく、ほとんどその通りであろうと、諸々思慮の足らないまま突っ走ってきたがくぽにも、素直に納得できてしまった。それはもう、すとんと腑に落ちるというか、とても嵌まった。
思慮が浅く、考察も適当なうえに、知識不足と低い経験値だ。
きっと必ず、初めての行為に興奮し、溺れこんだ挙句、暴走する。
なにしろカイトは初恋の相手で、そもそも尊敬し、憧れていた高嶺の存在なのだ。
その相手との『初めて』に興奮しない男がいるものか。
――だからといって暴走し、相手を傷つけて、赦される言い訳にはならない。
カイトの言い分はあまりに正しく、唯一がくぽが紡げる反論があるとするならだ。
「そういうときは、『大船に乗った』というのです。『っぽいもの』で、安心する相手はいません」
「んっへーーー」
きびきびと添削したがくぽに、カイトは反省皆無の明るい笑みを返した。それこそ、こちらのほうが余程にかわいいというものだと思うのだが、そもそもがくぽとカイトを並べ、どちらがかわいいかと問えば、ほぼカイトを指すと思うのだが――
けれどもっとも肝心要の、恋人であるカイトにとって、がくぽは『かわいい』のだ。
がくぽがかわいいのだ。
ならばそれがすべてだし、それでいい。
がくぽはふっと体から力を抜くとベッドに沈み、笑ってカイトを見返した。
「では、お任せします、カイトど………カイト」
告げて、誘うように手を伸ばす。
笑みながらも、内心では覚束ない誘惑だと自分を罵ったがくぽだが、カイトは構わなかった。ふわりとくちびるが歪み、瞳にとろりとした熱が灯る。
「いいこ、がくぽ……ほんとおまえ、かわいい。ぜっったい、気持ちいくして上げる」
ささやく声にも甘ったるい熱が含まれ、がくぽはそれだけで下腹が疼くのを感じた。早いはやいと焦るが、カイトはやはり構ってくれず、身を寄せる。手が伸びて、がくぽに触れた。
「とっろんとっろんに蕩けたおまえって、どれだけかわいーだろね。も、想像だけでコーフンして、イきそぉ……」