仕事部屋も兼ねた書斎に入ると、マスターはパソコンに向かって、一心不乱にキーボードを叩いているところだった。

雰囲気からして、仕事中のようだ。

カイト拾いました。

「…」

どうしようか、とがくぽは一瞬だけ躊躇った。

マスターは仕事の邪魔をしたところで怒ったりしないが、がくぽが個人的に邪魔したくない。

虐待されているロイドの保護や救済を担う、通称:ロイド保護官を仕事とするマスターは、がくぽにとっても誇りだ。

「がくぽ、いいぞ」

「っ」

躊躇った一瞬に、背を向けたままのマスターが声を上げた。

こちらを見た様子もないのに、どうして気がつくのだろう。

どうしてそうやって、気がついてくれるのだろう。

がくぽが立ち竦む間に、マスターは眉間を揉みながら振り返った。

時間は割いてくれたが、仕事中に変わりはないだろう。話は手短に済ませるに限る。

がくぽは両腕に抱いたものを、マスターへと差し出した。

「マスター、拾った。飼いたい」

三十路も半ばを超えたマスターは、大きな体と人懐っこい笑顔から、職場では「くまさん」の愛称で親しまれている。

仕事が仕事なだけに、時に荒事もこなすマスターは、厳つい外見で、一見とっつきにくそうなのだが、笑うとまさにテディベア並に和むのだという。

和むとかそういうのはがくぽにはよくわからないが、ロイドにとって、やさしく頼もしいマスターだと思う。

「俺がきちんとすべて、面倒を見る。飼ってもいいだろう」

言い募るがくぽにマスターは、くまはくまでもグリズリーのように厳しい顔で、びしりと床を指差した。

「よし、がくぽ。そこに座りなさい。説教だ!!」

「はい」

素直に頷いて、がくぽは床に正座した。抱えていたものは、膝に下ろす。

「んにゅ」

「よしよし」

しがみついてきたそれの頭を、宥めるように撫でてやった。

渋面のマスターは、びしびしとがくぽと床とを指差す。

「がくぽ、それはちょっと膝から下ろして、脇に置きなさい」

「…」

厳しく言われ、あまり感情を窺わせないがくぽの瞳が揺れた。一度顔を伏せて、膝の上に抱いたものを見る。

「ふひゃ」

見返した青い瞳が楽しそうに細められて、がくぽに擦りついてくる。

がくぽはぎゅ、と抱きしめ直すと、マスターを上目遣いに見つめた。

「やだ」

「よし、ある意味定石だ!」

拒絶を半ば予想していたマスターは頷くだけで、それ以上強制するようなことはなかった。

どこの子供でもそうだ。

犬ねこを拾ってきて、それはちょっと脇に置いて話を聞きなさい、と言うと、必ずきつく抱きしめて拒絶する。

自分から離したが最後、大人が取り上げて捨てに行ってしまうと、きちんと見抜いているのだ。

がくぽは子供ではないが、似たようなものだ。

拒絶は端から予想済みの事態だが、とりあえず言うべきことを省略してはいけない。

マスターは椅子から下りると、自分自身もがくぽの前に正座した。そうやっても、大柄なマスターからは、がくぽを見下ろす形になってしまう。

「あのな、がくぽ」

膝を突き合わせたうえで、マスターはがくぽがぎゅっと抱きしめるものを改めて見た。

犬ねこ、ならぬ。

「『拾った』と言うが、『それ』はKAITOだよな?」

「…」

困惑の表情でマスターに訊かれ、がくぽは膝に乗せた、青い毛並み――もとい、青い髪の青年を見下ろした。

青い髪に青い瞳の可憐な青年は、がくぽの視線に応えて、にっこりと無邪気に笑う。

「うん、俺、カイトだよ!」

明るい声での主張に、がくぽは頷いて、マスターを見返した。

「カイトのようだ」

「……っ」

淡々と返された答えに、マスターは砕け散りそうな気力を懸命に掻き集めた。

「がくぽ………………………いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず、なんだかわかっていないものを、ほいほいと拾って来てはいけませんなんだかわからないことになったら、どうするんだ!!」

「はい」

マスターの、説教というよりは悲鳴じみた嘆願に、がくぽは素直に頷く。

頷いて、しかしカイトを抱く腕の力が、緩むことはない。

「マスター、飼いたい」

そしてくり返される、最初の要望。

マスターは深呼吸して気を落ち着けると、居住いを正した。

滅多に我が儘を言わないがくぽを、真剣に見つめる。

「がくぽ、いいか。そもそもロイドは『飼う』ものじゃない。おまえもロイド保護官のロイドなんだから、そこのところ、気をつけなさい」

「はい、ごめんなさい」

マスターのごもっともな指摘に、がくぽは素直に謝る。

それに鷹揚に頷いて、マスターは改めて、端然としているがくぽを見つめ直した。

「がくぽ、『野良ロイド』がいるわけないってことくらい、わかるよなそのKAITOにだってマスターがいて、おうちがあるだろう。そもそも拾ったっていうが、どこでどういう状況で拾ったっていうんだ。段ボールにでも貼り紙してあったのか『拾ってください』って」

「たまごだ」

「は?」

決して茶化しているわけではないマスターの問いに、がくぽは淡々と答えた。

だがあまりに未知の単語過ぎて、マスターはきょとんと瞳を見開く。

いや、未知の単語というわけではないが、今この場合。

「たまご?」

くり返したマスターに、がくぽはこくんと頷いた。

「そこの空き地のところに、たまごが置いてあった。だから割ったら、これが出てきた」

「いやいやがくぽ!」

淡々と説明される経緯に、マスターは目を白黒させる。

「たまごって、たまごか空き地にあった怪しいたまごを、おまえ、いきなり割ったのかそもそもたまごだろう。中身がまだ孵化できる状態じゃなかったら、割った瞬間に全部おじゃんだろうが。どこのおかーさん鳥か知らないが、泣いちゃうぞ?」

そのマスターの言葉に、がくぽはかえって、呆れたような顔になった。もの知らずの子供を見るような目になって、言い募るマスターを諄々と諭す。

「いいか、マスター。地球上でもっとも巨体を誇った恐竜といえども、たまごの大きさは最大で直径五十センチあるかないかくらいのものだ。その恐竜が滅びて、現状、確認されているもっとも大きなダチョウのたまごもやはり、人間の頭くらいのものだぞ。それが、成人した人間がまるまると入れるような大きさのたまごがあったとして、どこのどんな生物が生んだ、なまたまごだと考えるのだ常識的に言って、何者かが作為的につくって放り出した、たまごのレプリカだと考えるべきだろう」

「言ってることはもっともそうだが、そこで納得するといけないパターン!!」

戦慄して叫び、マスターは端然としたがくぽを困ったように見つめた。

「あのな、がくぽ。その、なにが入っているかわからないたまごのレプリカを、いきなり割っちゃだめだろう。なにが出て来るかわからないってことは、どんな危険がおまえに及ぶか、わからないってことなんだぞおまえになにかあったらおかーさん、どうしたらいいんだ?」

今度はマスターから諄々と諭されて、がくぽは素直に頭を下げた。

「ごめんなさい、おかーさん」

「だれがおかーさんだ、がくぽ。俺は男で、マスターだ」

「…」

説教中のマスターの脳内は計り知れない。

がくぽは特にツッコミも入れず、無感情にマスターを見返した。

「それにしても、そうなると虐待臭いな。中に入っていたのが、このKAITOなんだろうだれかがKAITOを閉じこめて、空き地に放り出した。悪質な虐待だ」

「…」

がくぽの瞳が不安に揺れる。

カイトを抱く腕に力が篭もるのがわかって、マスターは宥めるように笑った。

「まずはそのKAITOに話を聞こうな。それで、マスターから虐められているなら、助けてやろうマスター認証を取り消して行く場所がないなら、俺が引き取ることも考えるから」

「…」

がくぽは揺れる瞳で、腕の中のカイトを見つめた。

退屈そうにしていたカイトは、がくぽの視線に気がつくと、花が開くように無邪気に笑う。

「カイト。マスターに虐められているのか」

「んゃ?」

訊かれたカイトは、きょとんと瞳を見張った。悲愴さすら漂わせたがくぽを見つめ、それから厳しい顔のマスターへ視線を投げる。

「ますたーますたーますたー、ますたー?」

単語の意味が理解出来ないようにくり返してから、ますます険しい顔になっていくマスターを見つめて、無邪気に笑った。

「マスターマスター、マスター?」

「ぐふっ!!」

明るい声での無邪気過ぎる言葉に、マスターは床に手をついた。土下座状態だ。

カイトは悲愴な顔のままのがくぽをにっこりと見やり、その首にかじりつく。

「がくぽ。マスター、マスター?」

「………」

がくぽはしばし考えた。難語だ。実のところ、喃語なのだが。

首を捻って解読して、がくぽは頷いた。

「ああ。マスターは、俺のマスターだ。だが、おまえのマスターは……」

「がくぽ」

さらに言葉を継ごうとしたがくぽに、土下座状態のマスターがうっそりと顔を上げた。

「引き取ろう」

「…?」

唐突な言葉に、がくぽはきょとんとマスターを見る。

血走った瞳のマスターが、ぎらぎらとカイトを見た。

「こんな幼気なカイトを閉じこめて投げ出すような輩にいかなる理由があろうともロイドを持つ資格などないいくら懺悔しようが反省しようがこんな幼気なカイトを決して任せられるものか!!」

呼吸も継がずに言って、力強く頷く。

「今日からカイトはうちのこだ!!」

どうやら愛らしさにやられたらしい。

マスターは男で、同性愛者というわけでもないが、ロイド保護官だ。

ロイド保護官にはもちろん、正義漢が多かったが、もうひとつ特徴があった。

ロイドを愛して止まないのだ。

その性別は問わず、並々ならぬ愛情を持てばこそ、人権も法律も確立しきっていないロイドの保護に奔走するのだ。

無邪気なカイトの愛らしさに滅多打ちにされたらしいマスターに、がくぽは腕の中を見た。

首にかじりついていたカイトが、顔を上げて笑う。

「がくぽマスター!」

「ああ」

覚えたての単語をくり返す幼児のように無邪気な言葉に、がくぽは瞳を細めた。

「そうだ。今日からおまえも家族だ」