「あど…あ……ああべんとうかれーだー?」
高校生のぼやき。
ああ、弁当カレーだ……………。
いくらカレー好きでも、手作り弁当でまでカレーは、微妙な心地に陥ることも多い。特に、高校生くらいだと。
良い子にしやがれ
そこまで思いを馳せてから、がくぽは首を振った。
「違う、カイト。『アドベントカレンダー』だ」
「あどべんちゃかれんだー」
「アドベント」
「あー……あー…………」
なにが難しいのかがくぽにはわからないのだが、どうにもカイトには難しい単語らしい。
眉をひそめたまま、がくぽの胸に擦りついた。
「………カレンダー」
「………そうだな」
きゅ、と眉をひそめ、癇癪を起こす寸前の顔でぼそっと吐き出したカイトに、がくぽも妥協した。
これ以上正しい言葉を言わせようと強いると、どこかの部屋で芸術がバクハツする。
被害は主に、今二人がいるリビングだ。
がくぽの膝にカイトを乗せる、いつものやり方で二人で座っているソファも、何度芸術の仲間入りをしたかわからない――家具がアートになるとしても、それにしてもカイトのアートの解釈は思い切っている。
がくぽは拗ねたせいで姿勢を崩したカイトを、膝の上できちんと抱き直した。そのうえで、カイトの膝の上に乗せた『アドベントカレンダー』を見る。
市販品ではなく、マスター手作りだ。それも、がくぽとカイト、二人分。
暇なのかというと微妙だが、この時期になると、ロイド保護局の企画で、保護したロイドへとアドベントカレンダーを配る習慣がある。
職員がひとりひとりのことを思いながら手作りするもので、マスターもまた、職場のほうでいくつか作った。
そのうえで、自分のロイドであるがくぽとカイトにも作って来たのだ。
「あけていい?」
一見すると、それは蓋の閉められた箱だ。
無造作に開こうとするカイトの手を止め、がくぽは蓋に引かれた升目の中に書かれた数字を指差した。
「開けてもいいのは、今日の日にちの分だけだ」
がくぽの言葉に、カイトは理解が及ばないといった顔で振り仰ぐ。
「なんで?」
「一日いちにち、クリスマスに近づくことを楽しみにするための……おもちゃだからだ。そういうルールのゲームだ。わかるか?」
「げーむ………」
つぶやいたカイトの顔が、きららんと輝いた。
おもちゃもゲームも、カイトは大好きだ。
「きょぉの?」
広い膝だから、多少は暴れても、カイトが落ちることは滅多にはない。
わかっていても後ろから抱いてくれているがくぽを振り仰いで、カイトはわくわくと訊いた。
がくぽは頷いて、箱から指を離す。
「そうだ。今日が何日かわかるか、カイト?」
「ん!……………んー………ん!」
ただカレンダーを見せても反応が鈍いカイトだが、ゲームだと思うと思考が切り替わるらしい。
考えた末に、きちんと今日の日付を指差した。
「これ!!………いい?」
言ってから、少しだけ不安そうにがくぽを振り仰ぐ。
日付を確かめて、がくぽは頷いてやった。
「………ああ。正解だ」
「やったぁ!」
歓声を上げたカイトは、切り取られた小窓を無造作に開いた。
「おかし!!………?」
開いた窓の中に入っていたのは、ひと口サイズのお菓子と、小さな紙切れ。
「………」
「読めないか、カイト?」
「……める、も………」
一応言い返してはきたが、カイトは眉をひそめて紙切れに見入る。
ややして、首を傾げた。
「『はをみがこう』………?」
紙切れに書かれていた筆跡は、マスターのものだ。
大柄で厳つく、熊にも喩えられる外見に見合わず、マスターは繊細で流麗な文字を書く。
そしてそれにはカイトが読み上げたとおり、『はをみがこう』と書かれていた。
不思議そうなカイトに、がくぽは紙切れの文字を指で辿る。
「クリスマスまで、日一日と、カレンダーをめくるだろう?そうするとこうやって、今日はなにをしましょう、ということが書かれている。書かれていることをきちんと良い子に実行すると、………いざクリスマスが来たときに、きちんとサンタさんも来てくれる。そういうゲームだ」
「さんた………!!」
カイトの声が、驚愕に弾んだ。
初めてクリスマスを迎える(と思われる)カイトには、一通りのことを説明してある。もちろん、サンタクロースのこともだ。
見た形はどうでも、思考回路は完璧お子様のカイトだ。
サンタクロースへの食いつきぶりは、なかなかのものがあった。
「つかまえる!!むしとりあみ!!あ、ちがう、さかなあみ?!!」
――まあ、食いつきの方向性はどうでも。
カイトはきらきらと瞳を輝かせ、『今日の指令』が書かれた紙切れを見つめた。
「歯ぁみがけばいーの?」
「今日はな。日一日と言ったろう?明日はまた明日だ」
「………」
カイトはさらにきらきらと――ほとんど、爛々と、と言って過言ではないほどに――瞳を輝かせ、いくつも並ぶ小窓を見つめた。
がくぽはカイトの腰を支える手にわずかに力を込めてから、もう片手でひと口サイズの菓子を取る。
ひと口サイズだとか、気まぐれにつまむとか、諸々の事情は関係ない。
カイトがなにかを食べるなら、それはがくぽの手を介してと決まっている。
夢中になって箱を眺めているカイトだったが、がくぽが口元に菓子を運んでやると、素直にくちびるを開いた。
「………ぅまっ!!」
「良かったな」
頭を撫でてやると、カイトは楽しそうな笑顔でがくぽを振り仰いだ。
「がくぽ、がくぽも?がくぽも歯ぁみがくの?」
「ああ、俺か?………俺は、……どうだろうな?」
もちろん、食後にはきちんと歯を磨く。
しかし今問題なのはそういうことではなく、がくぽのためのアドベントカレンダーにはなにが書かれているかということだ。
これまでも毎年、がくぽはマスターにカレンダーを貰っていたが、それは一人だ。
二人分のカレンダーを、マスターがどう作ったかはわからない。
基本の作りは同じでも、見た目のデコレーションはそれぞれに合わせて変えられている。
がくぽは紫を基調に落ちついた大人向けのデザインで、カイトは青を基調に、少しばかりファンシーにといった具合に。
さらに言えば、甘いものが苦手ながくぽに、甘いもの大好きなカイトと同じ菓子も入れないだろう――
「あけて!!あけて、がくぽ!!」
「ああ、わかったわかった」
膝の上で暴れるカイトを宥めつつ、がくぽは一度、カイトの分のアドベントカレンダーをソファの傍のローテーブルに置く。
それから、返る手でテーブルに置いていたがくぽの分のカレンダーを取り、カイトの膝の上に乗せた。
「カイト……」
「あけて!はやくあけて、がくぽ!!」
「………」
開けていいぞ、と振ろうとしたがくぽに、カイトは無邪気な笑みで言う。
がくぽは言葉を呑みこみ、瞳を細めてカイトを見た。
わがまま放題好き放題にして、欲望の赴くままに行動するのがカイトだ。
楽しいゲームの箱を開けることは、何度でもやりたいに違いないと思えばこそ、開けていいと振ろうとしたのだが――
「カイト」
「はやく、がくぽっ!じらじらしないっ!」
「………わかった」
カイトは膝の上で暴れながら、とにかくがくぽに開けろと促す。
幼いおさないと思っていても、きちんと個人のものは個人のものと区別が出来るまでになっていたのか、と妙に感慨深くなりながら、がくぽは今日の日付の小窓を開いた。
中には、やはり一口サイズのお菓子。
そして、指令の書かれた小さな紙切れ。
「………」
「がくぽ」
「……………………」
「……がくぽ?」
指令を読んだがくぽは瞳を細め、くちびるをわずかに歪めた。
きょとんとしたカイトに応えることはなく、がくぽは膝の上の体に顔を寄せ、甘えるように擦りつく。抱きしめる腕に力がこもり、そのまま体が震えて、咽喉がくつくつと鳴った。
「がくぽ?なに?」
「読めるか?」
「…める」
懐いたままのがくぽに紙切れをかざされて、カイトは懸命に目を凝らし、文字を見つめた。
ややしてふい、と首を傾げる。
「『カイトと、キスを5回』」
「………ああ」
なにを考えて、どんな顔をしてこんなものを書いたのかと思うと、呆れる。
呆れるし、――
「………」
首を傾げていたカイトは、懐いたままのがくぽの髪を引っ張った。
「ん?」
「5回って、なんかい?」
顔を向けてやったがくぽに、カイトはごくまじめに訊いた――何回教えても、残念というより呪いとしか思えないカイトの頭は、『3』より上の数を数えられなかった。
がくぽは瞬間的に瞳を見張り、すぐに細める。
「………そうだな。何回なのか教えてやろうか」
「ん?」
顎を捉えられて、カイトはしぱしぱと瞳を瞬かせた。
しかしがくぽが顔を完全に寄せるより先に、「あ!」と大声を出す。
「がくぽ、おかし!おかし食べないと!」
「ん?………ああ、それもそうか」
促されて、がくぽは窓の中を見る。
入っていたのは、チョコレートだ。
おそらくビターではあるだろうが、甘いには違いない。
甘いものが得意ではないがくぽだ。食べたあとは大体、お茶などで口を漱ぐのだが――
カイトの口で『漱ぐ』ということも、よくやる手だった。
もちろんそこのところは、カイトもよくわかっている。
がくぽは一度、カイトから手を離し、そのまま箱へと指を伸ばした。
しかしがくぽの指が辿りつくより先に、カイトの手が菓子をつまみ上げる。
がくぽに食べさせて貰うのが、カイトの知る唯一の『食事作法』だ。いくら業つくばってがくぽ分の菓子が欲しいとは思っても、自分から手を出して奪うことはない。
――少なくとも、これまではなかった。
見つめるがくぽを、カイトは満面の笑みで振り返った。
「がくぽ、はい!あーんっ!!」
「………」
差し出された手に、つままれたチョコレート。
カイトの笑みは得意満面で、あまりの愛らしさにがくぽは言葉も忘れて見入った。
「がくぽ!」
「………ああ」
じれったく呼ばれて、がくぽはようやくくちびるを開く。
そこに、落としこまれるチョコレート。
「………旨い」
「ね!」
ぼそりとつぶやくと、カイトは至極うれしそうに自分もうんうんと頷いた。
「……………まったく」
「ん?…………んんっ?!」
堪えることも思い浮かばず、がくぽは一度は離したカイトの顔を掴み直し、深くふかくくちびるを重ねた。