「あっおれたちだ!」

ポリプロピレン製仔猫ソング

ミトトシが書斎として使っている、ひと部屋だ。

部屋の一角には作業用の机と椅子、そして音楽機材が一揃いあるが、あとは天井まで届く高さの本棚で埋まっている。壁に添わせるだけでなく、人が通れる道をぎりぎり残して並べ、これでもかと部屋が区切られているのが、ミトトシの書斎だ。

本来はそこそこ広い部屋なのだが、まったくそうと思えない。

個人ながらちょっとした蔵書数を誇っていたが、もうひとつ言うと迷路のようで、微妙に『子供心』をくすぐる。

とはいえそこで誰かの思惑通り、稚気たっぷりにかくれんぼをしていたわけではなく、イトは興味津々に背表紙を眺めていた。

――かと思ったら、唐突に大きな声を上げたのだ。

イトはへちゃんと床に座りこんだまま、いくつかある本棚のうちのひとつ、さらにその一番下の段の本を引っ張り出して、ぶんぶんと振り回す。

「カイー、カイおれたち!」

「えー、なぁにー、いっちゃん…………あ、ほんとだ。僕たちだ」

呼ばれて、別の本棚の前にいたカイはひょこひょことイトの傍に行き、見せられた本に頷いて同意した。イトの横にへちゃんと座ると、頭を突き合わせて表紙を開く。

――呼ばれていないが、なにをして『自分たち』だと言っているのか、気になる。

がくぽにとって、書斎は目新しいものではない。とりもなおさずここはがくぽの『家』で、日常だ。蔵書もあらかた把握しているため、がくぽは二人の『探検』に付き合っていなかった。

作業用机の前にある椅子に座り、漫然と様子を窺っていたのだが、立ち上がると傍に行った。

「………?」

二人が床に広げていたのは、絵本だった。

がくぽは眉をひそめ、イトの前にある本棚を見る。

ミトトシの本棚には雑多に、さまざまなジャンルの本があるが、あくまでも大人向けだ。低年齢向けの絵本など、置いていない――と記憶していたが、この一角は別のようだった。

何冊か、絵本が置いてある。

「おれたちだよ!」

「ね。僕といっちゃん」

カイとイトは後ろに立つがくぽを見上げ、笑って絵本を指差す。描かれているのは、仔猫だ。

訝しげながくぽに、カイは広げていた絵本を閉じ、表紙を見せた。

――なかよしこねこのカイとイト

――絵・文しまうみと

「………『うみと』?」

「うん。マスター」

つぶやいたがくぽに、カイはうれしそうに頷く。

カイとイトのマスターの名前は、『志麻海斗』だ。ただし読みは、『しま・かいと』――そう、カイト、だ。

自分の名前も『カイト』なら、持っているロイド二人も『カイト』。

複雑怪奇を極める思考回路の持ち主が、目の前にへちゃんと座り込んだカイとイトのマスターであり――

「名前が………」

「マスター、『うみと』って、みんなに呼ばれてる。初めてのひとにも、『うみとって呼んでねー』って言うし」

「そうなのか?」

「うん」

初耳だ。とはいえ知り合って数日しか経っていないので、がくぽもカイもイトも、互いに関して大抵のことが初耳、初見、驚きだが。

火事でアパートから焼け出された『カイト』三人衆が深夜に、がくぽとそのマスター:ミトトシが住む家に突然に転がり込んできたのが、ほんの数日前のこと。

ほとんど全焼だったというアパートには戻ることもできず、『カイト』三人衆はしばらくの間、がくぽの暮らす家に居候することとなった。

マスター同士は、旧知の仲だったらしい。ミトトシを頼る海斗に遠慮や容赦はなく、ミトトシも海斗のキャラクタに諦めがある。つまり、なにかとわりと、ツーカー。

しかしロイド三人は、ついこの間が初めましてだった。もちろん、互いのマスターともだ。

ゆえにがくぽは海斗のことを、なんと複雑怪奇な思考回路の持ち主かと、思っていたのだが――

わずかに瞳を見開いたがくぽに、カイはにっこり笑って頷いたが、イトのほうは困惑した表情を浮かべた。

「………だからおれ、マスターのこと『かいと』って呼ぶひと、見たことなかった」

「…………そうか」

ミトトシは最初から、海斗を『かいと』と呼んでいた。海斗も抗議することなく、ごく自然と返事をしていた。

だからがくぽにとって、『海斗』が『かいと』であることはごく自然のことだが、彼のロイドたちにとっては、ずいぶん不自然なことだったらしい。

「………」

がくぽはもう一度、本棚を眺めた。

場違いに並ぶ絵本はすべて、『しまうみと』のものだ。

マスター同士の関係は、どうも当初考えていたよりも、微妙で複雑だとわかってきた。いわば、とうの昔に終わった関係らしいのだが。

がくぽがミトトシに引き取られたときにはすでに、彼には恋人らしき相手がいなかった。それからこれまでの数年間、特定の相手と殊更に関係を深めた様子もない。

ミトトシの海斗への態度は、あからさまに特別で、特殊だ。

終わらせたことは終わらせたが、まったく振り切れていないし、過去にも出来ていない。

その証拠に、海斗の肌には日々、虫刺されと揶揄する痕が増えていく。日々、だ。

いくらなんでも、仕事もあるというのに、そうそう連日――それでも、海斗の肌には日々、新しい痕が刻まれる。

海斗といえば一見、無邪気そのものだ。好意を隠しもしない。こちらもこちらで、終わっていない。

けれど言うならば、二人はすでに何年も前に終わっている――

「あ、これ、ほら。僕たちのこと、買う前の本だよ」

「こっちは、今月出た新刊じゃん。てか、マスターの本、ぜんぶあんね!」

「…………」

カイとイトの上げる無邪気な声に、がくぽは瞳を眇めた。

言うならば。

「未練がましい………」

どういう事情で別れたかは知らないが、その後も相手の本を集めていたとか。

たまたま偶然、この作者が好きで云々という集め方ではない。ミトトシは作者が誰か、きっちりとわかったうえで、新刊が出るたびに買っている。

己のマスターの知らなかった一面を身も蓋もなく腐してから、がくぽは背表紙に並ぶタイトルを改めて眺めた。

単冊の絵本もあるが、もっとも多いのは、『こねこのカイとイト』シリーズだ。

そういえば最初、二人はこれが『自分たち』だと言っていた。

絵は明らかに仔猫なのだが、名前は『カイとイト』だ。

「これは、お主らがモデルなのか?」

床に腰を下ろすと一冊抜き出し、ぱらぱらと適当にめくりながら訊いたがくぽに、カイとイトはぱっと表情を輝かせた。

「うんっ、そう僕が『カイ』で」

「おれが、『イト』!」

「まんまゆえ、そういう主張の仕方をせずともわかる」

絵本を眺めながらすげなく言い、がくぽは瞳を細めた。

いたずらこねこのカイとイト、おひるねこねこのカイとイト――

仔猫たちを見つめる視線はあたたかで、やさしい。作者の、二匹――二人への愛情が、言葉にされずに伝わる。

がくぽはふと気がついて、眉をひそめた。いつの間にか両脇に陣取り、いっしょになって絵本を覗き込むカイとイトを交互に見る。

「――そういえば、ほとんど全焼だったと言っていたか………。もしかして、この原稿の類も………」

思わしげにつぶやいたがくぽに、カイとイトは顔を見合わせる。

それから揃ってふるふると、二人して首を横に振った。

――ちょうど開いていた絵本の中に、こねこのカイとイトが、まったく同じしぐさをしているシーンがある。

「ううん、だいじょうぶ。家にげんこー置いておくと、タイヘンなことになるから。そういうのは、………貸し倉庫っていうのに、ぜんぶ入れてる」

「さすがに、今描いてた次の新刊分は家に置いてあったし、イチからだけど………。前の分は、ちゃんとぜんぶ、残ってんよ」

「大変、か?」

わずかに胸を撫で下ろしつつ訊いたがくぽに、カイは困ったように微笑み、イトはあからさまに愉しげに、くふくふと笑った。

「だって、本にする以外にもマスター、いーっぱい絵ぇ描くし………」

「その絵、描いたまんま、ぜんっぶてきとーに放り出してるから、ほっとくと汚れるし破れるし!」

「そのうち、床になるし」

「じゅーたんだよね!」

「んっ、じゅーたん!」

「「おえかきじゅーたん!!」」

きゃっはと笑って、カイとイトはなぜかハイタッチをした。

――がくぽは数日で、学習していた。

マスターである海斗がいると、際限なく三つ子の女子高生となるカイとイト、そして海斗だが、二人でも同じなのだ。

ただ、三つ子の女子高生が、双子の女子高生になるだけ。

カイとイトは大体いつもいっしょにいるので、分けてマスターと二人にしたときのテンションはよくわからないが、変わらない気がする。

「まあ、無事ならば………ん?」

言って絵本に目を戻したがくぽだが、着物をちょんちょんと引っ張られて、再びカイとイトを見た。

がくぽはたかが数日で、いやんな感じにこの二人に順応していた。

見た目は成人男性なのだが、言動があまりに幼く無邪気で、浮かべる表情があどけない。

つい、扱いが子供になっても、自分に違和感を抱かない。

どっかりと座っていたがくぽは、肩を上げ、両脇を軽く広げた。

「ぁは!」

「ふっひゃ!」

笑って、がくぽの両脇に陣取ったカイとイトが、広がった腕の中に顔を突っ込んでくる。

そうやって突っ込んでがくぽにしがみつくと、おねだりを宿した甘い瞳で見上げてきた。

「読んで、がくぽ!」

「マスターの絵本、読んで!」

「…………やれやれ」

がくぽは両脇にカイとイトを挟んだ状態で軽く肩を竦め、それからぎゅっと、二人を抱きしめた。

開かれた、絵本のページ。

ちょうどこねこのカイとイトが、飼い主の青年の両脇から同じように顔を出して、得意満面に笑っていた。