点と点と点と
「んっ………もう、斯様な刻限か」
ミトトシの書斎で、ヘッドフォンをして音楽に聴き入っていたがくぽだ。しかしふと見た時計が示す時刻に、軽く瞳を見張った。
寝る時間を大幅に過ぎているわけではないが、いつもと比べると遅い。
久しぶりにこんな時間まで音楽を――と思いかけて、がくぽは秀麗な眉をひそめた。
「…………カイ?イト?」
普段なら、寝る時間になったことが時計を見るまでもなく、わかる。
カイとイト、居候のロイド二人のおかげ――まあ、おかげ、だ。
どういうわけか、カイとイトはわりと初めのうちから、がくぽに非常によく懐いていた。
普段の生活の細々したことでもなんでも、とにかくがくぽに傍にいて欲しがる。たまには、いっしょにやって欲しいような顔をすることもある。
まったく同型で、同じマスターに育てられたカイとイトだが、その性格は微妙に違う。
比べると、カイのほうがわずかに大人しい。言動もおっとりふわんとしていて、ふとしたところで健気さが覗き、可憐な風情を醸し出す。
がくぽはアレ的な意味で、健気で可憐なタイプが好みだ。カイは男だが。
うるんと潤んだ瞳で、どこか気弱に見つめられると、俺が守ってやらねばと奮い立ってしまう。
ほんのりと頬を染め、うれしそうに笑っているのを見ると、つい、抱きしめて――
一方、イトのほうは感情表現が派手で、少しばかり偉そうな口を利く。しかしなにかが足らないか、もしくはずれているかして、総合して評すると、おばかさんだ。
意識していなかったが、がくぽは手のかかるおばかさんが大好物だった。非常にアレ的な意味で。イトも男だが。
つい、あれやこれやと手を出し口を出し、ちょっと偉そうに頼られたりすると、ああこのおばかさんめ!と、某所諸共きゅんきゅん――
それはともかく。
なにをするのでも、がくぽといっしょがいいカイとイトは、寝るのももれなく、がくぽといっしょだ。
だから寝る時間になると、必ずがくぽを呼ぶ。あれを『呼ぶ』と評するならばだが。
まとわりついてしがみつき、引っ張って揺さぶって強請って――
だというのに、今日は来なかった。
音楽に聴き入るがくぽに遠慮した――というなら、不調を疑ったほうがいい。久しぶりなのだ、音楽をゆっくり聴けたことが。そういう二人だ。
不調なのか、さもなければ、他事に気を取られているか。
「…………ろくな予感がしないのは、なにゆえだ」
不機嫌な顔でつぶやき、がくぽはヘッドフォンを外した。一通り机の上を片付けると、書斎から出る。
廊下を右左と見て、首に手を当てた。こきりと鳴らして、顔をしかめる。
「こっちだな」
――主に感知しているのは、いやんな予感だ。ロイドにそんな機能があったかどうか、ロイド保護官であるミトトシが聞けば、目を剥いて根掘り葉掘り問い質すだろう。
がくぽは迷いもなくすたすたと廊下を歩き、リビングの傍に来たところで、眉をひそめた。
目的の相手たちが、すでに寝間着に着替えたうえで、なぜかリビングの扉の前に正座している。
古式ゆかしく、いたずらの罰に座らされた――というのでは、ない。体はリビングへと向いていて、薄く開いた扉の中を覗きこんでいる。
「…………」
今度はなにを思いついたと軽く頭を掻き、がくぽは足音を忍ばせた。
そっと二人の傍へ寄り、上から共に、リビングの中を覗きこむ。
すぐさま、激しく後悔した。
「ん、んんっ、ねっ………するのっ?ぁ、ふぁ、ぁん……っするのっ、みぃ?きょ、きょぉも?きょぉ……」
「わかりきったことを訊くな。抵抗もするな。うちに来ればこうなることくらい、わかっていただろうが」
「わ、わかって………って、いうかっ、ぁんんっ」
――がくぽのマスター:ミトトシが、カイとイトのマスター:海斗を、絶賛押し倒し中だった。
リビングでサカるなと言いたいが、そもそも今の時間、いつもならロイドたちはすでに寝ている。ついでに家主であるミトトシがどこでサカろうが、本来的には自由だ。
とはいえ。
渋面になるがくぽの前では、ミトトシが普段の穏やかさをどこへやら、あえかな抵抗を示す海斗を強引に押さえ込んでいる。
ミトトシはロイド保護官だ。
天秤は常にロイドに傾くが、人間相手にしても、無理やりの行為には反対の立場だったはずだ。
「だ、だって、みぃが、俺のこと、フッたんだよ………もうおまえとは、コイビト止めるって。ふ、フッたのに、毎日、まいにち………するのっ?」
「振りもするだろうが」
あえかな抵抗――というより、どちらかというと相手を煽るための海斗の抗いに、ミトトシはあっさりと理性を切らせている。
きりきりと歯を軋らせて、押さえつけた海斗を睨み下ろした。
「このまま付き合えば、どう考えてもおまえを壊して滅茶苦茶にしてしまう。おまえだけじゃない、私の精神もずたぼろだ。そう思えば、保身のために振りもするだろうが」
「わぁ、なんかえらそう!っぁうっ」
混ぜっ返したところで、海斗の肌にミトトシが咬みつく。
小さく悲鳴を上げた海斗だが、その中には確かに甘さが隠れていた。
「嫌いになって、憎くて振ったんじゃない。こっちは未練たらたらだ。それでも付き合えば、ろくなことにならないと思うからこそ、我慢していたものを……っ」
「んんっ、ぁ、そこっ、…………ゃあっ」
肌を辿りながら詰るミトトシに、海斗は素直に嬌声を上げる。
わずかに離れたミトトシは、苛立ちのような、喜悦のような、複雑な感情の入り混じった表情を浮かべた。
「だというのに、のこのこ私を頼ったりして――傍に来たおまえを、堪えられるものか」
つぶやいて、そのくちびるからため息がこぼれる。
「…………どうして、教えたままなんだ。誰の癖も、新しくついてない………」
「ん………っ」
ささやかれた言葉に、海斗は抵抗を示していた腕をミトトシの背に回した。きゅっと、しがみつく。
「して、ないもん………みぃ以外のひととなんて、してないんだから………」
「おまえは…………」
がくぽはそっと両手を伸ばすと、正座して見入るカイとイトの口に回した。ぎゅっと力を込めて、押さえる。
「んゅっ?!」
「っふくっ!!」
「しっっ」
驚いて声を上げかけた二人に、素早く吹きこむ。
黙れと厳しく示されて、咄嗟にがくぽへ視線を投げたカイとイトは、すぐさま言葉を飲み込んだ。
その瞳が複雑にゆらゆら揺れているのを認めつつ、がくぽは渋面で首を横に振る。
第一声を押さえた手を離すと、扉をそっと閉めた。
「か、んぷっ」
「喋るな。話すな。行くぞ。来い、カイ」
「んっ………っ」
何事か言いかけたイトの口を、がくぽはもう一度塞いだ。そのうえで厳命してから肩に担ぐと、自分で自分の口を塞いでいるカイを促す。
こくんと頷いたカイは、相方を抱え上げてのしのしと歩くがくぽの後を、大人しくついて来た。
ちなみにがくぽは最近、成人男性二人でも、同時に肩に担いで立つコツを掴んだ。おそらくもう少ししたら、二人抱えたまま歩くコツも掴めるはずだと、踏んでいる。
なぜそんなコツを掴む必要があるのか、それはがくぽにしかわからないが。
寝室に着くと、がくぽはイトを丁寧に畳へ下ろした。
いつもの元気さもなく、へたんと座り込んだイトの傍らに、カイもへたんと座る。
気にしつつも、がくぽはまず押入れの前へ行き、三人分の布団を出した――徒労以外のなにものでもない。しかしなにかしらの意地とか意地とか意地とか、――まあ概ねそういったもので三人分出し、並べて敷く。
敷き終わったところで、カイがはたと顔を上げた。
「あ、がくぽ、お布団………」
「良い。ほら」
「ぁ……」
敷くのを手伝わなかったと慙愧の念を浮かべるカイを、がくぽは抱き上げた。肩に担ぐのではなく、子供にでもするように抱っこしてやって、布団まで運ぶ。
丁寧に下ろすと、再び戻って、今度はイトを同じように抱えて戻ってきた。
「がくぽ………」
「今日は、共に寝てやろうから。抱いてほしいと言うなら、抱いてもやろうし」
頭をわしゃわしゃと撫でて言ったがくぽに、カイはほわわんと目元を染めた。
「だく………」
「違う。ハグ」
「…………」
意味する先を即座に読んで釘を刺し、がくぽはぼんやりしているイト諸共、カイを布団に押しこんだ。
そのうえで、二人の間に入る――布団は三組、ぴったりくっつけて敷いたものの、それぞれは一人用布団だ。
そのうちの真ん中一組にのみ、体格に差はあれど、成人男性三人が収まっている。正直なところ、収まりきっていない。しかし誰ひとりとて、抗議の声を上げることはない。
がくぽは紐を引いて照明を消し、ぴたっとくっついてくるカイとイトの体に腕を回すと、抱きしめてやった。
「………あのさ、………あのさ」
「ああ」
真っ暗になってようやく、イトが口を開いた。がくぽの胸元をきゅううっと掴んで、頭をすり寄せる。やわらかな髪が首筋を撫でて、がくぽはくちびるを緩ませた。
「みったんて、………マスターのこと………」
おそらく、不得手な話題なのだろう。いつもいつもぱきっと明瞭に話すイトが、口篭もってなかなか言葉にならない。
イトの片手が伸びて、がくぽを挟んで反対側にいるカイの手を掴んだ。
がくぽの胸の上できゅっと手を握り合った二人は、そっと顔を上げた。暗闇にはつぶさに見えない、がくぽの顔へ揺らぐ瞳を向ける。
「えとね、がくぽ。みったんは、………マスターのこと、好き………なの?」
「………そうだな」
むつかしいことを訊いてくれると思いつつ、がくぽは瞼を下ろした。
マスター二人が『なに』をしようとしていたかは、さすがにカイとイトにもわかるだろう。『そういうこと』をするのは、好きな相手とだと。
しかし見た感じ、二人はいちゃいちゃらぶらぶと盛り上がった挙句、行為に雪崩れ込んでいたわけではなかった。
どちらかというと、ぷちっと修羅場。
「………好きなのだろうな、二人とも。互いに、互いが。好き過ぎて、どうしたらいいかわからなくなることも、ある」
「…………」
視線を感じながらも、がくぽは瞼を落としたままだった。
ややしてイトの体から力が抜け、再びがくぽの首筋にすりりと頭をすり寄せる。
「神威がくぽって、ちょっとかっこいい」
イトの言葉にカイは、がくぽの体に伸し掛かるように身を乗り出した。
「えー、いっちゃん!ちょっとじゃないよ!がくぽ、とってもすっごく、かっこいーよ!」
いつもと同じ無邪気な言葉に、がくぽはくちびるを笑ませた。