ナノグラム春曲丼

小皿にくちびるを寄せ、カイはよそられたものを軽く啜った。

しばらく舌の上で転がし、じっくり味わう間を挟んで、その顔が愛らしく笑み崩れる。

「んっ、おいしいっちゃん、おいしく出来てるよ天才ねっ」

「んっ、やたっ!」

キッチンに並んで立ったカイとイトは、非常に愛らしく笑い合う。

まったく同じ機種の二人だが、微妙な性格の差が出て、笑顔ひとつとってもわずかに違う。

初めは、彼らのマスターも含めて三つ子かと震撼したがくぽだが、最近はどんなふうであってもきちんと、見分けがつくようになった。

馴染んでみれば、三人は三人ともまったく違う。似ていることは確かだが、いわば『兄弟』の相似性の範疇だ。

どちらにしても、カイとイトがうれしそうに笑い合う光景というものは、不快ではない。

和む。

――場合と、和まない場合とが、ある。

「待てこら、己ら」

「んゃっ?!」

「わっ?!」

えへへと、愛らしく笑うカイとイトの間に割って入ったがくぽは、のみならず、二人の頭をがっしりと掴んだ。

きりきりと締め上げつつ、もがくカイとイトを渋面で見下ろす。

「そういう仲でもないのにくちびるを交わすなと、幾度言えば学習するのだ、己ら」

「んっ、んっ、んーっがく、がくぽっ、いたいよぉおっ」

「はなせったら、ばかぁっ神威がくぽのばかぢからぁっ!!」

「………」

話にならなかった。

がくぽは諦めて、二人の頭から手を離す。しかし油断なく、事あらば即座に頭を掴めるように身構えた。

鍋の中のお味見をしたカイは、相棒をただ褒めるだけに止まらなかった。

おいしいと言いながら、イトのくちびるにちゅっと。

対するイトのほうも、ガッツポーズしつつ、カイのくちびるにお返しでちゅっと。

――いつからの習慣か知らないが、少なくともがくぽが出会った当初から、カイとイトは互いのくちびるへのキスが当たり前だった。

確かに二人が属するKAITOシリーズには、デフォルトで挨拶のキスの習慣がある。ただしあくまでも、『挨拶』だ。くちびるにするキスは、挨拶とは言わないはずだ。

だからといって、この二人が『そういう仲』かというと、それは違うらしい。

仲はいいが、そうではない、と。

ないと言うのだが、彼らは頻繁にちゅっちゅとする。

見過ごせないのは、がくぽだ。毎回まいかい注意するのだが――

「そうそう容易く、くちびるを赦すなと」

「あっ、がくぽ、がくぽ、ごめんねっ?!」

「ん……ああそーいうことか!」

がくぽが皆まで言わぬうちに、カイは申し訳なさそうな顔になり、イトはきらりんと瞳を輝かせた。

申し訳なさそうなカイのほうは即座に伸び上がり、ついでにがくぽの髪を掴んで軽く引っ張ることで屈ませて、近づいたくちびるにちゅっとキスをする。

イトのほうは、盛大ににやにやと笑っていた。

「もー。神威がくぽはほんっとに、ヤキモチ妬きの甘ったれさんだなっ別におれたちおまえのこと、はぶんちょになんかしてないのにっ」

「待てこらイト、ちが…………」

がくぽが皆まで言うことは永久に出来ず、カイが離れたくちびるを、今度はイトが塞ぐ。

塞ぐといっても、カイもイトも、ちゅっちゅと音を立てて表面に触れるだけ。かわいいものだ。

「ね、がくぽ、がくぽ。スネないで。僕たち、がくぽにもちゃんと、ちゅっちゅするんだから」

「そーだぞ、神威がくぽ。今だっておまえがすぐ横にいたら、ぜったいにおれもカイも、ちゅっちゅしてたんだから」

「だよ。今はちょっと、いっちゃんしかいなかったから、いっちゃんだけだったけど……」

「ほんっと、ヘンなとこでヤキモチ妬きの甘ったれさんで、困るな、神威がくぽ!」

口々に言いながら、二人はちゅっちゅちゅっちゅと、がくぽのくちびるに交互にキスをくり返す。

果てしなく誤解で、違う。

がくぽは萎えた気力を奮い立たせ、つい、二人の腰を抱いてしまった腕を上げた。がっしと頭を掴むと引き離し、ちゅっちゅと際限なくくり返されるキスを止める。

「んっ、がくぽっ?」

「ちょ、痛いってばっ」

「違う。ひとの話を聞け、己ら」

あまり締め上げると話にならないので力加減に気をつけつつ、がくぽは勢いを失って言う。

違うとは言うものの、二人にキスされたことで機嫌が上向いている自分が。自分を裏切ってくれる自分が。自分の敵自分が。

「あ、そか。わかった、僕」

「え、なになに、カイ」

力があまり入っていないので、落ち着けばカイもイトもそうそう普段と変わらない。首を動かすときに多少、不自由を感じている程度だ。

イトと顔を向き合わせると、カイはほわわんと頬を染めた。

「ほら、がくぽのちゅうって………だから」

「ん、んっなにわかんない、なに、カイ?!」

「だから………いっちゃん、思い出して。がくぽのちゅうって、……」

「んぁっ、わかったっ!!べろちゅうかっ!!」

話題が果てしなく、泥舟な方向へと転がっていく気配がした。

がくぽが引きつって、頭を掴む手にわずかに力を込めたにも関わらず、カイとイトは額を突き合せて頷く。

「そっか。神威がくぽ、べろちゅうじゃないと、ちゅうって思わないんだ!」

「だよ、きっと!」

「ちが………」

気力が際限なく吸い取られていく。

ああもうこのおばかさんたちかわいいかわいいおばかさんたちめこねくりまわしたいこましたい。

ぐるぐる回る思考と戦うがくぽに、ほんわりほわわんと頬を染めたカイが、熱っぽく潤む瞳を向けた。

「………えと。いー、よ僕、がくぽだったら、べろちゅう、する」

「………」

思いきり、傾きかけた。

そのがくぽに、イトはしたり顔で頷いた。こちらもわずかに頬が赤く、瞳が熱っぽい。

「ひとにはひとのちゅうがある………神威がくぽには神威がくぽのちゅうがあるってことだよなしょーがないから、おれたちが合わせてやるし!」

「お願いですから私の話を聞いていただけませんかお二人とも!」

敬語になった。

果てしなく脱力し、気力が萎えたがくぽでは、これ以上二人に抗しきれるものではなかった。

なによりカイもイトも、共にかわいい。誤解の仕方があまりにおばかさんで、向かう先が完全に見当違いであることが、がくぽのアレ的な好みを容赦なく突いてしまって、ときめきが止まらない。

肩を落とすと、がくぽは頭を掴んだまま軽く手を振り、顎でコンロを示した。

「鍋が焦げるぞ」

「えっ?!」

「わっ、やばっ!!」

話題を逸らすことはうまくいき、カイとイトは慌てて、火にかけっぱなしの鍋に向き直った。

素直に頭から手を離してやり、がくぽは一歩退く。

「ど、どうどう、いっちゃんだいじょうぶ?!」

「ん、ん、待ってまって………!」

「…………」

慌てふためいて鍋の中身を確認する二人を眺めつつ、がくぽは口元を押さえた。

疼く舌と、同じ意味で疼く下半身と――

「なんだったか――『御法度』確かいずこかの『俺』が、気を落ち着かせるために最適な呪文だと……」

再燃した恋に溺れ気味なマスターに、引きずられている感は否めない。それにしてもカイとイトに対する思考の傾向がおかしいとは、自覚しているがくぽだ。

下手をすると、勢い任せに押し倒してしまいそうな。それも、カイとイト、二人ともに。

「…………平家物語の暗誦も良いと、聞いた記憶があるな」

自分に対して動揺著しいがくぽは、多少、カイとイトへの警戒が疎かになっていた。

鍋の無事を確認して悦び合ったカイとイトは、立ち尽くしたまま茫洋と考えに沈むがくぽに、瞳を瞬かせる。

額を突き合わせると、こしょこしょこしょとナイショ話をした。

「ね」

「ん」

こっくんと頷くと、イトは再び鍋に向き直り、味見皿にスープをよそう。

「ん?」

ここ最近馴染みとなりつつある、いやんな予感を覚えて我に返ったがくぽの目の前に、カイとイトが立っていた。

味見皿を仲良く捧げ持った二人は、にっこり、満面の笑みを浮かべる。

「「はい、だんなさまぁvvvお味見どうぞ☆」」

「……っっ」

ぐらりとよろめいて後ろへと下がり、がくぽは軽く天を仰いだ。

ノックダウンさせられる日も近いかもしれないと、すでに完璧にノックアウトされた状態で、考えた。