「おやすみ、がくぽ」

「………ああ。おやすみ、カイ」

「おやすみっ、神威がくぽっ」

「おやすみ、イト」

栄光の吊り橋

いやんな感じに、すべてのことが日常としてスルーされる方向に行っている。

思いつつも、がくぽはいやんな感じにスルーして深く考えず、両脇に横になったカイとイト、二人からの『おやすみ』のキスを受け取った。

いやんな感じにスルーして考えることをやめているが、カイとイトがする『おやすみ』のキスは、くちびるに与えられる。

二人が属するKAITOシリーズには、デフォルトで挨拶のキスがインプットされている。挨拶のキスだ。くちびるにするキスは、挨拶のキスとは言わない。

だが、がくぽはツッコむことなく大人しく布団に横たわり、カイとイトが降らせるキスを受け取る。

そのカイとイトが、布団を三組敷いたにも関わらず、真ん中のがくぽの布団に潜り込んでいることとか、もはやツッコミ出すと咽喉が枯れて潰れたうえ、精根尽き果てる。

尽き果てたので、がくぽは黙って、シングル布団に潜りこんで来るカイとイトの背中に腕を回す。

「…………ん、とね、がくぽ?」

「んなんだ」

キスするためにわずかに体を起こしているカイが、横たわるがくぽを覗き込む。

身長差のせいで、見下ろすことが多い相手だ。こうして見上げると、また違った感慨もある。総括すると『愛らしい』となるので、上から見ようが下から見ようが、抱く感慨にあまり意味はない。

がくぽは背中に回していた手を後頭部に回し、さらりとした感触の短い髪を軽く梳いてやった。

くすぐるような手つきに、カイは瞬間的に瞳を細める。まるきり、ねこだ。

鳴らす咽喉が聞こえるような風情で、カイはことんと首を傾げた。

「あ、のねがくぽ、から、……ちゅう、くれないの?」

「…………」

「あー、そだね。いっつもおれたちからしか、ちゅうしてない。神威がくぽから、ちゅうもらったこと、ない」

「…………」

相方の言葉に、イトも無邪気に頷く。

――ふふふふh、そこにツッコむようになったか。二人とも大きくなって。

さっくり躊躇いなく逃避に走ったがくぽに構わず、カイとイトは体の上で顔を見合わせ、こくこくと頷いた。

「ねしてほしーよね、いっちゃん?」

「うんっ。お返しほしー!」

頷き合ってから、二人は再びがくぽへと視線を戻した。

――うむ、二人とも花嫁衣裳がよく似合っているぞ、旦那様の言うことをよく聞いて愛されろよ。

――って待て、誰のための花嫁衣裳だ?!旦那様ってどこの馬の骨だこるぁっ!!

逃避の果てに行った挙句、かえって泥沼に嵌まったがくぽに、カイはうるるんと熱っぽく瞳を潤ませた。

「………あのね、がくぽ。僕ね、………また、あのちゅう、………してほしい、な」

「…………」

あのちゅう――というのはおそらく、初めて会ったときにしたべろちゅうこと、ディープキス。

がくぽからしたキスは、あれ一度だ。照合するまでもなく、指される先はそれしかない。

だがいいか、べろちゅう、ディープキスだ。

カイとイトが、そういう仲でもないのに交わす、くちびるを触れ合わせるだけのキスよりもっと、『そういう仲』でもない、それも男同士で気安く交わすものではない。

頭を撫でる手を止めたがくぽは、わずかに眉をひそめた。

「………して欲しいのか」

「うん」

カイは無邪気に頷く。

がくぽがもう傍らにいるイトへ視線を向けると、こちらも無邪気に頷いた。

「はぢめてだったからすんごいびっくりしたけど、今度はへーき心配しなくていーから!」

「………」

なんの心配をしていると思われているのか。

相変わらず明後日でおばかさんな誤解と、とんちんかんな気遣いだ。体の各所が無駄にときめく。ましてや今は、『夜』だ。

自覚なしのおばかさん好きは、カイの頭を撫でていた手を離し、眉間を押さえた。

「あー………あのキスは、な。寝る前の、こういう時間にする、キスではない」

「え、そーなの?」

「時間があんの?!」

――どうしよう、二人ともあまりに無邪気で無垢で、おばかさんだ。ときめきが倍々どん。

がくぽはぐりぐりと眉間を揉み、声には出さずに『武家諸法度』と唱えてみた。効果はなかった。

いくら科学の発展を高らかに謳おうと、現在に至っても絶対の精神安定法などというものは確立していない。人間が誇るものなど、所詮はその程度なのだ。

「じゃあ、いつならいいの?」

「ほんのちょっとも、だめなん?」

「あー………」

カイもイトもどうしてそう、がくぽからのキスを――それも、べろちゅうを欲しがるのか。

無邪気で無垢でおばかさんにしても、ものには限度が。

ときめき最高潮に達する自分を誤魔化しつつ、がくぽは眉間を揉んでいた手を伸ばした。

胸元近くに垂れ下がる紐を引っ張る。

「おやすみ、カイ、イト」

「え、ゃっ、わっ!」

「ゃ、ゃああっ!」

照明の消灯用の紐を、本来よりもう少し長いものと取り替えて、横たわったままでも手が届くところにまで延長させてある。

前触れなく照明が消され、突如暗闇に放り込まれたカイとイトは悲鳴を上げた。大慌てでぱふっと体を寝かせると、がくぽにぎゅうっと縋りついてくる。

多少、悪いことをしたかなとは思いつつ、これ以上に誤魔化すためのいい方法も、咄嗟には浮かばない。

きゅうきゅうとしがみついてくる体二つに腕を回し、がくぽは宥めるようにやさしく、背中を叩いてやった。

「………ん、ぅ、えと」

ややして暗闇に慣れると、カイはまた、体を起こした。イトのほうは、しがみついたがくぽの体を辿って長い髪を掴み、軽く引っ張る。

「もー、神威がくぽはーっ…………ん?」

「…………んと」

イトの上げる抗議の声は、途中で止んだ。

暗闇の中、なにか――ねこが水を飲むような、毛づくろいでもするような、音が。

「ん………っっ」

「…………カイえと?」

「ん、んー…………ぅ。うまく、できなぃ…………」

「カイ………なにしてんの?」

雨戸まで閉めているから、部屋の中は本当に暗い。いくらロイドの目でも、間近のものすらよく見えない。

がくぽの体に半ば乗り上がっているイトは、しぱしぱと瞳を瞬かせ、相方がいるはずの辺りを見つめた。

その相方、カイはというと、イトの視線と外れたところにいた。がくぽの顔に、顔を寄せている。

正確には、くちびるに、くちびるを。

舌を伸ばして舐め、反射で開いたそこにわずかに押し込んだものの、カイにはディープキスの経験も知識もない。この間のと、思うことは思うのだが、ねこがミルクを舐めているようで、なにかが違う。

「いっちゃぁんん………やり方、わかんないー」

「えなんの…………はあ、あー!」

すべて言葉にされずとも、さすがは双子(註:違う)だ。イトはすぐに、カイの言いたいことと、していたことを察した。

これが他の相手だと――がくぽも含めて――、さっぱり察することなく、『なに言ってんのか、わかんない』と放り投げるのだが。

しかし察することと、その答えがわかっていることは、また別だ。

「って、おれに訊かれたって、わかんないよー。おれだって、やったことないもんこの間の、神威がくぽとのやつが、はぢめてだしっ」

結局のところ、『わかんない!』と放り投げたイトに、今日はカイも引かずに食いついて行った。どうにもがくぽとのべろちゅうに、かなりの思い入れとこだわりがあるらしい。

「えー。思い出してよ、いっちゃん。いっちゃんのほうが、僕とのも見てたし、わかるでしょ」

「ムリ言うなってばだってもうあれ、アタマもカラダも、ふわんふわんのとろんとろんになっちゃって、最後はどろどろだよ?!ログがまともに働かないって!」

「そんなん、僕だってそーだしもう、とろとろのふにゃふにゃになっちゃって、ぜんぜん」

体の上で交わされる会話に、がくぽは二人の背に添わせた手を離し、眉間を押さえた。

がくぽの反応に構うことなく、暗闇にもお互いを見ようと、カイとイトはこつんと額を突き合わせる。

「んー。じゃあ、こうするまず、僕といっちゃんでやってみて」

「ああ、そっか。二人の記憶を合わせたら」

「ねじゃあ、んきゃっ?!」

「んわっ?!」

その瞬間にがくぽは二人の頭を掴んで、引き離した。さらに自分も体を跳ね起こすと、カイを布団に転がして伸し掛かる。

「がく……………っんんっ、んぅっ?!んんんーーーーーーっっ?!」

「え、え、カイカイ?!どし、どした………あ、あ、デンキでん………」

慌てながら、イトはわたわたと手を振り回し、照明に繋がる紐を探す。

紐が掠ったところでしかし、その手は振り払われた。

「えちょ」

「大人しくしておけ、イト。己もすぐに、してやる」

手を振り払ったがくぽが、いつもとは違う、ひどく抑えた低い声で言う。

言われるが、なんのことか、慌てるイトにはさっぱりわからない。

「えして、してえ、神……」

「大人しくしておけ」

「ぁ、はい」

常にない雰囲気と迫力に、思わずいいこの返事をし、イトは布団の上で正座して固まった。

「カイ」

「ぁ、がく…………んぅっ、ぁ、ぁ…………っ」

ぴちゃぴちゃと、ねこが水を飲むような音がしばらく響き。

「ん、ぁ、…………はぁう…………」

カイの、蕩けきった声が上がる。

がくぽは体を起こすと、正座して固まっているイトへと向き直った。後頭部を掴み、ぐいと引き寄せる。

「か、かむ………」

「口を開け」

「ん、んぁ…………ひぁっ、ぁあぅ…………っ」

開いたイトのくちびるに、がくぽのくちびるが触れる。触れたのみならず、押し込まれる舌――

「……………は、ぁ、あ…………ぅあ」

ややして離れると、イトはくったりと布団に頽れた。

がくぽは手を伸ばすと、枕元の小さな照明を点ける。

仄明かりの中、濃厚なキスでとろんとろんにツブれたカイとイトが、並んで横たわっていた。ほんわりと染まった頬といい、熱っぽく潤んだ瞳といい――

「ぁ、…………が……くぽ……」

「か、神威………がく…ぽ………?」

舌足らずに、いつも以上に甘ったるく呼ばれ、がくぽは濡れたくちびるを舐めた。

「………まあ、したいならしてやるが。ひとの体に火を点けた責任は、十全に取ってもらうぞ、己ら?」

声はいつもと違って滴るような重さと甘さを含み、カイもイトもどういう意味かと問うこともできず、陶然とがくぽに見入った。