サルサルヴィアの指輪
カイはきゅっと手を握り締めると、自分の相方を見つめた。
起動してからこちら、ほとんどの時間を共に過ごし、ツーカーの仲とすら言われる。
隠しごとをしたこともなければ、互いに騙しあったこともない。たまに小さな喧嘩はあっても、恨みつらみ憎み妬み――大きな負の感情とはまったく無縁で、ただ楽しくやってきた。
けれど今回、もしかしたら初めて、争うことになるかもしれない。
いやだと、思う。
イトと争うなんて、絶対にいやだ、と。
けれど、同じかそれ以上の声で、叫ぶ想いがある。
どうしても、どうしても、と。
「カイ?」
相方の常になく緊張した様子に気がついたイトが、きょとんと瞳を見張る。
大事なのだ。
叫ぶ想いに負けてしまっても、イトが大事なことに、変わりはない――変わりはない、のに。
カイは瞳を揺らがせて、部屋の中を見回した。
本来の主は、不在だ。自分のマスターの手伝いをするとかで、リビングにいる。仕事の邪魔になるからと、カイとイトは自分たちから、リビングを辞してきた。
「カイ、どした?」
「ぅ、ん。えと、あのね、いっちゃん」
イトと話をするなら、『彼』がいない間にしなければならない。仲の良い二人を、うれしそうに見守っているのが常の彼だ。喧嘩などをしているところを見せれば、心配するだろう。
理由を聞いて、その原因を知れば――
「あ、のねっ、いっちゃんっ!僕、がくぽのことっ、好きなのっ」
「ほえ?」
唐突な言葉に、イトのほうは瞳を瞬かせ、カイをまじまじと見つめた。きょとんと、首を傾げる。
「神威がくぽのことなら、おれも好きだよ?」
「そ、そーなん、だけどっ!」
無邪気に言われて、カイはぎゅっと拳を握った。
知っている。イトも、彼が――がくぽが、好きだ。
知っている――
「僕、ぼく、がくぽと、ケッコンしたいのっ!」
「………っっ!!」
意味がわかって、イトが瞳を見張る。その体がぎしりと固まったのを視界の端に入れつつ、カイは真正面からは見られないまま、叫んだ。
「がくぽと、ケッコンしたいっていう意味で、がくぽのこと、好きなのっ!」
「か、カイ」
狼狽えるイトに、カイはぎゅっと目を閉じた。
「いっちゃんのこと好きなのは、変わらないよ?!変わらないけど、がくぽのこと、好きになっちゃったのっ!ケッコンしたいっていう、意味で!」
「か…………」
もはや言葉も継げず、イトはひたすらにカイを見つめた。
カイのほうも身を固め、ぎゅっと目を閉じてイトの言葉を待つ。
しばらく沈黙が流れ、ややしてイトの体から力が抜けた。がっくりと、肩を落として俯く。
「…………いー、……よ。別に。………お、れも、神威がくぽの、こと、好き……だけど………カイのことも、好き、だし。………うん」
つぶやいて、イトは顔を上げた。俯いているカイが見えないのをわかっていて、それでもにっこりと笑う。
「カイ、カイ、な?コクハク、しろよ。神威がくぽもカイのこと、ぜったいに嫌ってない。ううん、ぜっったいに好きだ。だいじょーぶだから、な?」
「い、いっちゃ………」
潤む瞳を上げたカイに、イトは珍しくも兄のようにやさしく、頼もしく微笑んだ。
「ひとを好きになるのって、ワルイコトじゃないんだぞ、カイ。そんなふーに、ワルイコトしてるって顔したら、だめだ。そんなの、神威がくぽにも、シツレイだ」
「でも、いっちゃ……」
「おれにも、シツレイだ」
「………」
ぐすんと洟を啜ったカイの頭を、イトはいいこいいこと撫でてやる。
「神威がくぽが好きでも、おれは、カイのことも、好きだ。ちゃんと好きなまんまだ。ふたりがふーふになったって、変わんないぞ。な?」
「いっちゃん………」
うるうると見つめるカイに、さらにイトがなにか言おうとした、瞬間。
部屋の扉が、かたりと開いた。
「カイ、イト、いるか?マスターがしょげていたぞ。……ああ、俺のマスターのほうだが。二人ともそう、気を遣うなと…………ん?」
話題の主が、ずかずかと部屋に入りかけて、室内に満ちる微妙な空気に足を止めた。
「………?」
なにかしらいやんな予感を覚えて、がくぽは首筋に手をやる。こきりと首を鳴らしてから、そっとカイとイトに近づいた。
「どうした?」
畳に膝をつきながら訊くと、カイとイトは顔を見合わせた。イトが力強く頷き、促すようにカイの背を軽く叩く。
「カイ?イト?」
「あのねっ、がくぽ………っ」
眉をひそめるがくぽへ、カイはわずかに身を乗り出した。
こくんと唾液を飲み込むと、潤む瞳でがくぽを見つめる。
「僕、ぼくねっ!がくぽのこと、好きなのっ!僕のお嫁さんになってくださいっ!!」
「なにっ?!」
「えええええっ?!」
カイの告白にがくぽも驚いて仰け反ったが、事前に知っていたはずのイトも驚いた声を上げ、相方へと身を乗り出した。
「か、カイっ?!え、ちょ、ケッコンしたいって、『奥さん』にしたいってことなの?!」
「ん、ぅんっ。えと、そーだけど?」
相方の剣幕に気圧されてわずかに後ろへとにじりながらも、カイは素直に頷いた。
「だって僕もう、いっちゃんのお嫁さんだもの。いっちゃんのお嫁さんと、がくぽのお嫁さん、二人のお嫁さんにはなれないでしょ?だからがくぽのことお嫁さんにして、旦那さんになるの」
「なっ?!カイ、待て己」
二重三重と上塗りされていく驚愕に、がくぽは慌てて叫ぶ。
しかしその叫びをまったく相手にせず、非常に晴れ晴れとした顔になったイトが叫んだ。
「なんだぁ!よかったぁ!!んじゃ、なんもモンダイないじゃん、カイ!だっておれ、神威がくぽの奥さんになろうと思ってたんだもん。ほら、おれはもう、カイの旦那さんだしさ!」
「イトっ?!」
驚愕が以下略。
――奥さん候補で旦那さん候補の狼狽に、構ってくれる旦那さん候補と奥さん候補ではない。
カイとイトはすべての蟠りが解けた、非常に清々しい様子で手を握り合った。
「よか、よかったよぉお、いっちゃん!僕、ぼく、もうね………っ」
「んっ、ぅんぅんぅん!ばかだな、カイ、泣くなってば!ぜんっぜんモンダイないってわかったんだし、泣くなって!」
「己ら…………っっ」
置いてけぼりを食らっている奥さん候補で旦那さん候補は、畳に沈み込みたいのを懸命に堪えていた。
最初から最後まで、話がさっぱり見えないのだが、もしかして。
理解不能の世界に足を踏み入れた、いやんな予感を抱くがくぽに、手を取り合ったカイとイトが、にっこり笑って向き直った。
「あのね、がくぽっ!僕のお嫁さんになって」
「そんで、おれのこと奥さんにしろ、神威がくぽっ!」
――似通っているようで、まったく違う要求を二つとも呑めと迫られて、がくぽはついに土下座状態となった。
おばかさんたちの不思議世界にときめきがマックスを突き破って、もうどうしたらいいのか、わからない。