コサック与作メリケンサック

玄関に立ったイトは、見送りに来たカイの手をぎゅっと握った。心配で堪らないと、狂おしく相方を見つめる。

「いいか、カイおれとマスターが出かけたら、すぐに玄関のカギを閉めるんだぞ二個とも閉めて、チェーンまでちゃんと掛けるんだからな?!」

――この家の主玄関には、鍵が二つ付いている。そのうえでさらに、チェーンロックもあるという厳重ぶりだ。

それを三個とも閉めろと言い聞かせられたカイといえば、ちょっと困ったように笑いつつも、素直に頷いた。

「うん。だいじょーぶ。ちゃんと、カギ閉めるよ」

請け合ったが、それでイトが安心することはなかった。

さらにぎゅううっと力を込めてカイの手を握り、泣きそうな顔にまでなる。

「だれが来ても、開けたらだめだからなインターフォンが鳴っても、『だれもいません』って言って、ぜっっったいに、扉を開けるなよ?!」

――わあ、このおばかさんめ。

共に見送りに来ていたがくぽはつい、ときめいた。

心配なのはわかるが、やはりイトだ。ずれている。

普段なら、容赦なくツッコんでいるところだ。しかし今日のがくぽは自分で口を塞ぎ、なんとかツッコミを堪えた。

イトがマスターである海斗と、二人でお出かけだ。

海斗とカイとイトと三人揃っているか、さもなければカイと二人でいることが圧倒的に多いイトだ。

海斗とイトの二人で組み合わせたうえ、カイを置いていくというのは、非常に珍しい。

それでもどうしても、今日は海斗とイトの二人でお出かけで、カイはお留守番――とはいえもちろん、一人ではない。

共に見送りに来ていることからもわかるように、がくぽがいる。

未だに居候中の、『カイト』三人衆だ。

二人が出かけたところでカイが一人になることはなく、がくぽがいる。

無邪気すぎて、ここに来るまでどうやって生活していたのかと、思わず懊悩する三人に比べれば、遥かに世間ずれしたがくぽが。

そうまでして『留守番の心得』を吹き込まなくても、大抵のことはがくぽがなんとかするのだが――

とはいえ滅多にない、カイと離れ離れで外に出かけるという事態に、むしろイトのほうが不安を募らせて、安心が欲しい気持ちはわかる。

わかるから、がくぽはツッコみたいのを堪えていた、のだが。

「いいか、『イトだよ、あけてー』とか、裏声使って言われても、おれじゃないからな開けたらだめだぞ?!」

「うん、いっちゃん。僕、いっちゃんといっちゃんじゃないひとの声、ちゃんと区別つくよ」

「あとな、小麦粉で白くした手を見せて、『イトの手だよー』とか言われても」

「待たんかこら!」

放っておいたら、話がどうにもならない方向へ転がっていた。彼らのクオリティに、ブレも加減もない。

あまりにも素敵おばかさんぶりにときめきが止まらないがくぽだが、放っておけることでもない。

「どこのなにと混同している?!大体、俺もいるというのに」

思わず身を乗り出して頭を掴んだがくぽを、イトは顔をしかめて見上げた。

「あのな、神威がくぽ。おれが心配なのはむしろ、おまえのほうだからな!」

「なんだと?!」

まさかこの奇矯な心配が、さらに自分の身にまで降りかかって来るとは思わなかった。

頭を掴んだまま、それでもわずかに身を引いたがくぽへ、イトは生真面目な瞳を向ける。

「カイはいーんだよ、ほんとは。心配いらないんだ。だって自分がヨワイって、ちゃんと自覚してるから用心深く考えるし、動くし。でも、神威がくぽはちがうだろ。自分のこと強いって思ってるから、ちょっとくらいの無茶なら、まあいーやって、しちゃうだろ。だからおまえのほうがぜっったい、心配なんだよ!」

「………っ」

「ぶっふっ!」

唖然として言葉にならないがくぽに対し、イトの後ろでお別れが済むのを待っていた海斗が吹き出す。

反射で睨んだがくぽにも怖気ることなく、海斗は笑いながらぷらぷらと手を振った。

「けっこー、当たってるって、がっくん!」

「………っ」

思いきり渋面になったがくぽの髪を掴み、イトは軽く引いて自分へと顔を向けさせる。

「こら、神威がくぽ。奥さんの言うことは、ちゃんと聞け」

「誰が奥さんだ。…………ん、こら」

素直に屈んだがくぽのくちびるに、イトはちゅっとキスをする。海斗の目の前だ。

自分ががくぽのマスター:ミトトシと『そういう仲』であるため、ロイドたちに関しても鷹揚な海斗だ。

しかし問題は、そこだけでもなく、より以上に。

「いいか、奥さんがいない間はちゃんと、旦那さんの言うこと聞いてるんだぞカイがだめって言ったら、ぜったいに玄関、開けたらだめだからな!」

「…………いい加減、俺一人に妻と夫が両方いるとかいう状況の意味不明さに、気がついてくれ」

聞こえないほどの小さな声で、がくぽは慨嘆する。

妻が二人いるとか、夫が二人いるとか、そのどちらかならまだ、理解が及ぶ。たとえその『妻』が二人とも、男だとしても。もしくは二人いる『夫』が、『妻』に抱かれて貫かれているとしても。

しかし現状、がくぽには妻と夫がいることになっていた。どちらも男で、どちらもがくぽの下に敷かれて以下略。

がくぽを脱力させたイトは、カイの頬にキスをして、海斗とともに出て行った。

「ぇっと……」

カイはイトに言われたように、鍵を二つとも閉める。そのうえで、これまた言われた通りにチェーンロックもきっちり掛けた。

「んっ!」

施錠万全を確認すると、カイはなにやら力強く頷いた。

くるんと振り返ると、腕まくりする。

「よっしっやるぞっっ!!」

「カイ?」

なにを急にやる気を漲らせているのかと、目を丸くした奥さん――がくぽに構わず、カイはぱたぱたとキッチンに駆け込んだ。

「カイおい」

追いかけたがくぽの目の前で、カイは冷蔵庫から山ほど、食材を取り出した。シンクに並べると、あるものは洗って皮を剥き、あるものは葉の何枚かを取り外す。

「…………」

目を丸くしているがくぽに構うことなく、カイは山ほど取り出した食材を次から次へと下拵えしていった。

食材をざっと見たところ、作られるメニューは五、六…………際限なく増えていく。

イトも海斗も、今出かけたばかりだ。宿泊してくるわけではないが、帰りは遅い。

ミトトシはもちろん仕事中で、こちらも帰る時間にはまだ、ほど遠い。

確かにこれだけの料理を作るとなれば、それなりに時間が掛かる。いつものようにイトと二人で分担するわけでもなく、カイ一人で作るのだし、早めに始めたほうがいいとはいえ――

「いかんな」

がくぽは渋面になると、片手をやって口元を押さえた。

男ばかり、五人の所帯だ。食欲も旺盛で、五人ともによく食べよく飲む。

それにしても、作られていくものの量はあまりに多い。

いつもなら居候の自分たちを引け目にして、最大限に食材の無駄を防ぎながら、料理をするカイとイトだ。

おばかさんな言動も多々見られる二人だが、ここの計算はかなりシビアで、しかも正確だ。最新型で情報処理の高さを謳われるがくぽですら、敵わない。

だというのに今日のカイは、普段の慎ましさをすっかり忘れている。

忘れている――と、いうより。

「カイ!」

「っわっ?!」

呼んでも気がつかないだろうと踏んで、がくぽは声を掛けると同時に、強引にカイの体を抱きこんだ。

「ん、わっ?!え、あ、がく、がくぽ………」

「落ち着け」

「えうん、だいじょぶ。びっくりしてない」

「違う」

とんちんかんなことを言うカイを胸に抱きこみ、がくぽは痛いくらいにきつく締め上げた。

「が、がくぽ?」

「もう少し、落ち着け。イトは数時間すれば、帰る。危ないところに行くわけでもない。そしてお主の傍には、俺がいる。わかるか?」

「え、ぅん。えと、…………うん」

「よし」

抱き込まれたままわずかに首を上下させたカイに、がくぽも頷いた。

腕の力を緩めると、カイの体を反転させる。キッチンと向き合わせると、後ろから抱き込んだ状態で肩に顎を乗せた。

「一寸見ろ。自分がなにをしていたか、わかるか?」

「えと……………えっと、…………ごはん、つくってた」

「ああ。それで?」

「えと………」

相方のイトとは違い、カイの話し方は常に穏やかで、やわらかい。

だがそうではなく、不安定に語尾を揺らがせて、カイはキッチンを眺めた。

ややしてカイの体からがっくりと力が抜け、がくぽに凭れる。崩れそうな体を反転させて再び胸に抱きこむと、がくぽはカイの耳朶にくちびるを寄せた。

「落ち着いたか?」

「ん。ぅん………はい。ごめんなさ、………」

謝ろうとしたカイのくちびるを己のくちびるで軽く塞ぎ、がくぽはやさしく微笑んだ。

「疲れて帰ってきた相手に、旨いものを食わせてやりたかったのだろういいことだ」

「で、も………」

「いいことだ、カイ。お主のその心栄えは、なによりも尊い」

「………」

瞳を潤ませて見つめるカイのくちびるをもう一度吸い、がくぽは腕を離した。

「………ほら、続きをやれ。傍で見ていてやるから」

「…………うん」

仄かに頬を染めて素直に頷くと、カイは自分からがくぽのくちびるに軽くキスをした。

すぐに離れるとキッチンに向き直り、むむむっとわずかに考えこむ。

しかし長くもなく、再び動き出したカイを見て、がくぽは後ろへと下がった。扉口に立つと、壁に凭れてカイを眺める。

無闇ながむしゃらさもなく、不安定さも見えなくなったカイの動きは滑らかで、むしろ美しいとすら言えた。