「みったん、おかえりなさーいっ!」

「みったん、カレー粉詰め替え用、買ってきてくれたぁ?!」

買い物から帰って来てキッチンに直行したミトトシの元へ、明るい声とともにやって来たのはカイとイトだ。

マシテック&ロイド

居候開始の翌日から、台所仕事はミトトシからカイとイトに移譲された。ここ最近ミトトシは、買い物はしても料理を作ることはしていない。

そのミトトシだが、シンクへと買ってきた食材を出しつつ、振り返ってカイとイトへ微笑みかけた。

「すみません、カイ、イト――今日の夕飯なんですが、私が作っても構いませんか?」

やわらかな問いかけに、カイとイトはきょとんと顔を見合わせた。てとてととミトトシの傍らへ来ると、挟んで両脇に立つ。

「………いい、けど」

「どしたの、みったん?」

微妙な不安を覗かせる二人に、ミトトシはきつめの顔だちをやさしく綻ばせ、シンクに並べた食材を指差した。

「ちょっと、新しい料理を教えてもらいまして………作ってみたいんです」

「あたらしい……」

ミトトシの言葉をくり返し、カイはちょこりと首を傾げた。

「女のひと?」

「いえ、同僚で………」

「女のひと?」

「…………………」

重ねて訊いたのは、イトだ。

まったく同じ機種であるカイとイトだが、普段は個性の差が出てきちんと見分けがつく。しかし今はまるきり同じ表情としぐさで首を傾げ、無心にミトトシを見つめていた。

正直愛らしい。

思考が吹っ飛ぶ勢いで愛らしいが、どうしても無視出来ない疑問が、ないこともない。

なぜ同じ質問を重ねるのか。それも内容が――

「男ですよ。同僚で………熊のような男です」

正直に答えたミトトシだが、カイとイトは新たな疑問を得たらしい。ぱちくりと瞳を瞬かせ、ミトトシを挟んで身を乗り出し、困惑の表情を交わした。

「クマなのに、新しいお料理、教えてくれるの?」

「クマが教えるくらいだから、サバイバル料理……?」

「いえ………」

シンクに並べられた食材は、間違ってもサバイバル行きになりそうはない。自分たちも料理をするだけあって、カイとイトにもそれくらいわかる。

が、わかるからなおのこと、わからなくなることもある。

食材と自分とを見比べて困惑しているカイとイトの頭を、ミトトシは苦笑しながら撫でた。

「ちょっと、奥方に恵まれなかった男なんです。すでに離婚しましたが、いろいろとあってまあ、未だに料理の腕が衰えません。むしろ研鑽を積んでいて、こうしてたまに、面白いものを教えてくれます。今回教わったのは、ブラックタイガーのパイ包み焼きなんですが……今日はそれに、サラダとスープを添えて、デザートにはメロンを……」

「へえ………」

「最近のクマすごい………」

――イトはなにかしら、非常に誤解している可能性がある。そしてイトが誤解している以上、カイもなにかしら誤解している可能性があった。

だからと深くツッコむことはせず、ミトトシは再度カイとイトに笑みを向けた。

「そういうわけですから、今日は――」

「あ、じゃあ僕、お手伝いします!」

「んっ、おれも新しい料理、覚えたいし!」

「構いませんが……」

意外に気遣いさんなのが、カイとイトだ。もうひとつ言うなら、向学心も旺盛だ。

キッチンは広く、成人した男三人でも余裕で動き回れる。カイもイトも普段からやっているだけに、傍にいて邪魔になるということもない。

そうとはいえ。

「――たまには、『お休み』をあげたかったんですが」

聞こえないほどの声でつぶやき、ミトトシは小さくため息をこぼした。

「みったん?」

「だめじゃま?」

気は遣ったが誤解させたカイとイトに、ミトトシは笑いながら首を振った。

「いいえ。ただ、どうして二人ともそう、私に料理を教えた相手を気にするのかと思いまして。女のひとだとなにか、まずいですか?」

「…………」

「…………」

笑いながら訊いたミトトシを挟んで、カイとイトは読み難い感情を宿した瞳を交わした。ひとの表情というより、ねこのしぐさによく似ている。

そういえばカイとイトをモデルとした、こねこの絵本シリーズがあった――ミトトシは思い出して、瞳を細めた。

おそらくは描いた相手もまた、こういった二人のしぐさややりとりを見て、同じことを感じた。感じて、感じたまま素直に――

「そういうやつだ。昔から、いつまで経っても……」

つぶやいてから気を取り直し、ミトトシは両脇を締める『お手伝いさん』の間から抜け出した。エプロンを取り出して掛けつつ、未だに顔を見合わせているカイとイトへ声を飛ばす。

「カイ、小鍋にお湯を沸かして――イトは、お米を」

「まずいよね………クマなら、だいじょうぶ?」

「相手による。クマでも、もしかしたらまずいかもしれないし」

「クマでも?!………みったん、すごいね………!」

「うん、すごい……」

「カイイト?」

なにかしらの誤解が、果てしのない場所へと到達しかけている。

ロイド保護官として磨かれた本能が危機を察知し、ミトトシは笑顔を維持しつつも声に力を込め、カイとイトを呼んだ。

読み切れない感情に瞳を揺らがせる二人は、ミトトシに向き直るとそっくり同じしぐさで首を傾げた。

「「みったんの浮気相手だったら、困る」」

「ぅわっ、きっっ?!」

諸々複合的な意味での精神的パンチが極まり、ミトトシの体は揺らいだ。食器棚に後頭部を打ちつけたが、構ってくれるカイとイトではない。

「お料理教えてくれるんだもの、親しいひとでしょ?」

「親しいひとが女のひとだったら、可能性が高くなる」

「でもみったん、男のマスターのこと、押し倒すし………」

「料理教えてくれるクマでも、もしかしてアリの可能性が」

「ちょ、か、いっ!」

言葉にならないままあたふたとするミトトシに、カイとイトは眉をひそめた。憂う顔になると、そっと寄り添って手を繋ぐ。

きゅっと力を込めて互いに縋ると、ミトトシをじっと見つめた。

「ていうか」

「そもそもな?」

「「みったんて、マスターのこと、好き?」」

「っっ」

直截であるのは、KAITOシリーズの美点のひとつだ。少なくとも、ミトトシは美点として数える。向けられた場合に、例えば瀕死の状態に陥ったとしてもだ。

精神的に瀕死の状態に陥ったミトトシと、寄り添い合うカイとイトが沈黙のままに対峙すること、永遠のような数秒――

「親切極まりない回収屋が来てやったぞ、マスター」

「あ、がくぽっ!」

「もー、しょーがないな、神威がくぽっ!」

キッチンの戸口から響いた声に、カイとイトの表情はぱっと明るく華やいだ。握っていた手を解くと、声の主へと駆け寄る。

「ほんっと寂しがりの甘えんぼだなっ、神威がくぽはっごはん作る間も待てないのかっ!」

「しょーがないよ、いっちゃんだって旦那さんと奥さんが、二人とも傍にいないんだよ?!ぇへっ、でもかわいーい、がくぽっ!」

「己らは………っ!」

ぎゅっと抱きついた二人を受け止めつつも、がくぽの表情はひくりと引きつる。

ツッコミどころ満載だ。いつものことだが、口がひとつでは足らない。

ついでに言うと、ちゅっちゅちゅっちゅと交互にくちびるが塞がれて、そういった意味でも――

「がくぽ………」

「回収していってやるから、マスター。気を強く持って料理に励め。食材を無駄にするな?」

「本当に親切極まりなくて、サムライの鑑ですよ、おまえは!」

複雑な表情で吐き出し、ミトトシは軽く天を仰いだ。

確かにこのままでは、まともな料理など作れない。

わかっていないカイとイトは、がくぽの腕に囲い込まれたまま瞳を瞬かせた。きょとんとしつつ微妙な不安を宿して、抱きしめる相手を見上げる。

「でもがくぽ、お手伝い………」

「そうだよ、いくらおまえがさびしくっても……」

「そこから離れろ、イト。しかし仕方ないので言い切ってやるが、寂し過ぎてまったく我慢できないので、今日は俺の傍で俺を甘やかし倒せ、二人とも!」

自棄を極めて反って威風堂々と宣言したがくぽに、ミトトシはそっと涙を拭った。

「本当にサムライの鑑です、がくぽ………ナス料理を一品、足しておくことにしましょう」

メニューを追加しつつつぶやいてから、ミトトシは笑みを浮かべた。

『寂しがりで甘えんぼ』の奥さんで旦那さんにしがみついたまま、それでもミトトシを気にして踏み切れないでいるカイとイトに頷いてみせる。

「お願いできますか、カイ、イト寂しがりの甘えんぼさんの相手をするほうが、料理よりもずっと大変ですが」

「大変じゃないよだって僕、寂しがりで甘えんぼの奥さんのこと、ほんとにかわいいもの!」

「大変だけど、別にいーんだ。だっておれ、寂しがりで甘えんぼの旦那さんでも、愛してるもんな!」

カイとイトを抱いたまま、がくぽはうっそりと顔を背けた。

「三人三様で、あとでなにかしらのことを覚えていろ………」

それでもその手が、離れることはない。

ミトトシは言葉にしないまま、瞳を細めた。

なんだかんだと言って、がくぽが寂しいのは本当だろう。たかが料理を作っている間だけでも、離れているのは苦痛だ。

甘やかし倒せというのは、紛れもない本音の吐露。

そしてカイとイトが、そんながくぽがかわいくて堪らず、愛しているというのも、紛れもない――

「カイ、イト」

がくぽに促されるまま、キッチンを後にしようとしていたカイとイトに、ミトトシはシンクからいくつか食材を取り出してみせた。

今日、作ろうと思っていたメニューだ。メインは、同僚に教えてもらったブラックタイガーのパイ包み焼き。それにもろもろ、サラダやスープを添えて、デザートにはメロン――

「海斗の好物を単純に言うと、『大きい』エビなんですが………その他にも、別にエビではなくてもいいんですが、パイ包み焼きと、メロンのゼリーが好きです」

「えでも」

「なにそれ、知らないよ?!」

共に暮らし、マスターである海斗の好みを学習しながら料理を覚えてきたカイとイトだ。だが、海斗の口から今の好物を聞いたことなどない。

揺らぐ瞳を丸くしたカイとイトに、並べた食材をさっと指で示して、ミトトシは軽く肩を竦めた。

「手間暇かかるうえ、高いですから」

簡潔明瞭な説明に、目を丸くしたカイとイトは顔を見合わせた。

すぐに笑いほどけると、愉しげに両手を掲げてハイタッチする。

「「なっとく!!」」

――声を揃えて叫ぶ顔は、非常に晴れ晴れとして明るかった。