「がくぽ、時間を取れますか?ちょっと折り入って、話があるのですが………」
「話………か?」
いつにも増して真面目な顔でミトトシに呼ばれ、がくぽはわずかに眉をひそめた。
もっとも完璧な数式-01-
ミトトシが真面目な顔であることは、珍しくない。基本的に、ミトトシは真面目だ。几帳面な性質とも言い換えられる。
どんなことあれ、現在共に暮らす『カイト』三人衆のように、弾け飛んで騒ぐことはない。
「――喩えの相手が悪かった感が否めん」
考えて即座に、がくぽは自分へとツッコんだ。
たとえミトトシほどの真面目ならずとも、あの三人ほどに弾け飛んで騒ぐことは、常人には至難の業だ。なにしろ時たま、なにかでネジが飛ぶほど浮かれた挙句のことではなく、それが彼らの日常テンションだ。
いかに陽気とはいえ、そこまでの人間はそうそういない。
「がくぽ?」
視線をナナメにしてツッコミを入れたがくぽに、ミトトシは首を傾げた。
ツッコミを入れたのは、口に出さない自分の思考だ。ミトトシにつぶさに通じるわけもない。
「ああ………まあ」
がくぽはニホン人らしく曖昧に笑って誤魔化し、それよりもと、ミトトシへ逆に首を傾げてみせた。
「改まって、なんだ?場所を移したほうがいいか?」
「そうですね………出来れば」
がくぽがミトトシに声を掛けられたのは、廊下だ。日課のひとつである風呂掃除を終えて、リビングに向かおうとしていたところだった。
世間話や、ちょっとした頼みごとなら、廊下での立ち話で十分だろう。
しかし『折り入って』と改めて言われたものが、誰がどう聞くかわからない廊下での立ち話でいいとは、思えない。
とはいえ、現在この家に暮らすのはがくぽとミトトシの主従二人に、先にも述べた『カイト』三人衆――マスター:海斗と、そのロイドで、まったく同型機のKAITO二人――の五人だけだ。
なにをどう考えても、あの三人に聞かれてまずい話というのが、想定できない。
それだけ腹を割った間柄だというより、つまり、キャラクタの問題だ。
オブラートに包んで玉虫色に言葉を濁せば、『カイト』三人衆は三人ともが、明後日な思考回路の持ち主だった。まったく遠慮せずにはっきり言えば、おばかさん。
主従や個々人で方向性の差はあるが、三人が三人ともに強烈な――溺愛せずにはおれない、突飛な思考の持ち主なのだ。
溺愛せずにはおれないので、現在がくぽにはうっかり、旦那と嫁がいる。三人衆のうち、まったく同型機のロイド、KAITO二人だ。
仲の良いKAITO二人は、大好きながくぽのことも仲良く共有し、――片一方ががくぽの旦那を自称し、もう片方が嫁を自称している。補記すると、二人はすでにお互いを旦那と嫁としたうえで、がくぽの旦那と嫁に納まっている。
つまり、そういうキャラクタだ。
この三人にどういう話をどう聞かれたところで、通常想定される反応は返ってこない。言い切れる。
明後日な方向に飛んで、笑劇的かつ喜劇的な悲劇が起こることだけは予測出来るが、いったいどういうふうに笑劇的で喜劇な悲劇に転がるか、詳細なシナリオを先読みすることは至難だ。
ある意味ではなにをどう聞かれたところでまずいが、別の意味ではまったくもって警戒の必要がない。
が、なにを話す気なのか、がくぽにわかっているわけでもない。ミトトシが――マスターが聞かれたくないというなら、素直に従うだけだ。
首を巡らせて、がくぽは顎で部屋を示していった。
「どこがいい?リビングだとおそらく、カイとイトがいるが……」
「書斎にしましょう。いえ、次には話すことになるのですが、――私のロイドはおまえです、がくぽ。まずはおまえに話すのが、筋というものでしょう」
「………わかった」
言われるがまま書斎へ足を向けながら、がくぽは眉をひそめた。
あまりいい話という予感が、しない。
先にも言ったカイとイトのキャラクタなら、もちろんミトトシも十分に理解している。
肝心の保護対象であるロイドからすら引かれ、話が通じなくなるほどロイドを溺愛するロイド保護官のミトトシにとって、むしろ二人の反応は天からの賜りもの。垂らさないが、鼻血ものだ。垂らさないが。
だからがくぽも交えた三人に一度に話すのが、ここ最近のミトトシで――
それが、別個に分ける。
まったく意味がないわけがない。
その、ないわけがない『意味』は――
「………緊張させましたね、すみません」
書斎に入って、新しく得た家族の数だけ増えたスツールに銘々座ったところで、ミトトシが苦笑した。伸ばされた手が、すぐ傍に座ったがくぽの前髪を梳き上げ、やわらかに頭を撫でる。
幼子への所作だ。矜持の高いがくぽの好むものではない。
「――いい。気にするな。俺の肝が小さい」
邪険に振り払うのがいつものがくぽだが、ミトトシがそうする理由もわかる今は、眉をひそめるだけで耐えた。
心地いいと思った。
厭な予感に委縮した神経が慰撫され、和らげられた。
撫でられてそんなふうに感じるようでは、幼子扱いされるのも仕方がない。
大人しく撫でられるに任せたがくぽの髪を掻き混ぜ、整えて、ミトトシは手を離した。
表情を彩るのは、やわらかでやさしい笑みだ。
「海斗たちのことです」
「………ああ」
穏やかな表情で口調でも、言葉は明瞭にして明確で、誤魔化しがない。
がくぽは反対にさっと強張りながら、懸命にミトトシを見つめた。
「おまえも覚えているでしょうが……。あの三人は、元々住んでいたアパートを火事で焼け出されて、うちに緊急避難してきました。いろいろありましたが、また『三人で暮らせる家』が見つかるまではということで、仮住まいとしてうちに――」
「………」
「海斗の収入やあれこれ等の問題があって、新居探しはずいぶん、難航しました。その間におまえはカイとイト、あの子たちとずいぶん、仲良くなったようですが………」
「………」
「ええと、つまり……………………」
言葉を尻すぼみに消えさせ、口を噤んだミトトシは、ゆっくりと眉間に手を当てた。皺の寄ったそこを、軽く揉んでため息を吐き出す。
「がくぽ、がくぽ……私のかわいいサムライマン!しっかりしなさい。おまえ、せっかく美人なのに、――なんていう顔をしているんですか!」
「……………」
嘆かれても、がくぽはまったく反応出来なかった。いつもはすっと鋭く切れている花色の瞳も、薄く引き伸ばされた艶やかなくちびるも、まん丸くして固まっている。まるで土偶か埴輪か、ムンクの有名画のような無残な壊れようだ。
完全に虚を突かれていた。
がくぽは敏い。最新型ゆえのスペックの高さによらず、精神プログラムのつくりが繊細にして緻密で、もはやプログラムとは思えないほどに機微を読む。
ミトトシは結論を言っていないが、がくぽにはわかった。
わかったうえで、虚を突かれて呆然としていた。
忘れていた。
うっかりどころではない――完全に、完璧に、完膚なきまでにきっぱりと、失念していた。
『カイト』三人衆は、『家族』ではなかったのだ。この家に、定着したわけではなかった。
居候、いや、間借り人だ。この家は、仮宿としただけ。
新居が見つかるまでの。
そして、こういう話の切り出し方をされたということは、つまり。
「探して、いたのか…………未だに、ま」
「だめぇえええええええ!!」
「やだぁあああああああ!!」
――がくぽがなんとか声を押し出したところで、どんな話でも笑劇的に喜劇でしかない悲劇に作り変える天才たちが、書斎へと転がりこんできた。