もっとも完璧な数式-03-

重なり合い、安らかな眠りを貪るこねことこいぬの口元は、仄かに笑っているようにも見えた。

その笑みは、幸福だ。

そして、幸福に染まって眠る三匹を見守るのは――

「『カイとイトのかいぬしのおにぃさんにも、あたらしいかぞくができました。なまえは、みぃ。こいぬのガクの、かいぬしのおねぇさんです』」

「納得いかないことが、ひとつある」

穏やかに読み上げる海斗の後ろに立ったミトトシが、掲げられた紙を指でぴしりと弾いた。

「どうして私のほうが『妻』なんだ。それから前々から思っていたが、飼い主と言うな。単に『こねこのカイとイトのおにぃさん』、『こいぬのガクのおねぇさん』とでも言え」

「一個じゃないんだけど、みぃぜんっぜんそれ、一個じゃないよ?!」

立て続く文句に悲鳴を上げてから、海斗は首を仰け反らせてミトトシを見た。不満に、きゅっと顔をしかめる。

「だってそもそも、カイとイトの飼い主が『おにぃさん』で、ずっと話を進めてきちゃっててさ児童書で同性愛はまだ、時勢的に無理ですハードル高い以上にチョモランマ超えてますどこの世界の魔王であらせられますかって、担当さんに頭下げられちゃうしそのうえみぃのこと女の子にしてみたら、我ながらケッサクものにかわいいのもうこのワンピとか、ここ最近になく力が入って!」

まくし立てながらぺいぺいと、自分が描いた絵を叩いて示す海斗に、ミトトシは壮絶に眉をひそめた。海斗へぐいっと顔を寄せると、間近で睨みつける。

「わからん大体にしておまえ、このシリーズって人間はぼやかして、輪郭程度にしか描かないだろうが力の入ったワンピも、かわいいと主張するおねぇさんな私も、さっぱり詳細が汲み取れないぞ!」

「なに言ってんの?!ほんとみぃって、粗雑うっかり力入れすぎちゃって、担当さんなんか、うみひとせんせってほんとは、女の子描くほうが好きでしょうとまで言ったのに?!」

「超次元会話を私以外と交わすな妬くから!!」

「ヤキモチ妬いたみぃにお仕置きされるのも好きっ!」

「あー…………」

――転がるロイド三体から乖離し、マスター二人はなにかしらのことを喧々諤々とやり始めた。なにかしらだ。がくぽに詳細は理解できない。

詳細が、理解できない。

思考がうまく働かず、おそらくは明確に示された答えが、読みきれない。

がくぽは手を伸ばし、半身を起こした状態で同じく固まっているカイとイトの頭を撫でた。

やわらかで、やさしい手触りの髪だ。がっしりと力任せに掴むのも、こうして丁寧に梳いて撫でてやるのも、どちらもがくぽの手には心地よさだけがある。

呆然と固まっていたカイとイトだが、撫でられてふわりと目元が和らいだ。まさにねこそのもので瞳が細くなり、表情が甘く綻ぶ。

ごろごろと鳴る咽喉が聞こえそうな様態に、がくぽの表情も綻び、蕩けた。

引きつっていたくちびるがあえかな笑みを刻み、がくぽとカイとイトは喧々諤々とやり合っているマスター二人へ、揃って顔を向けた。

「「「マスター」」」

「んっわ、なにこれかわいい?!スケッチ!!やばい泣く鼻から血なみだ、ちょぉ大量流す!!」

「ご褒美も過ぎると、夕食が無闇とご馳走になりますよ、三人とも?!今ならおねだりし放題ですむしろしてください!!」

狼狽えて支離滅裂なことを叫ぶマスターたちに、ロイド三人はきゅうっと抱きしめ合い、とっておきに愛らしく微笑んだ。

「ひき肉茄子のはさみ揚げに揚げ浸しにカレーサラダとぬか漬けとみそ汁だ!」

「みったん手作りバニラアイスといちごアイスとヨーグルトアイス!」

「ぜんぶ一リットルパックな!!」

間髪入れることなく即断で叫んだロイド三人に、海斗とミトトシは震え上がって仰け反った。

「うっわ、迷いも淀みもないよ、この子たち?!」

「なんたる素直さもはや断るという選択肢が地上から完全に消滅です!」

感心しきりの海斗と、感激しきりのミトトシと――

一度は、互いへの溺愛が過ぎてかえって、崩壊した関係の二人だ。

納得のいかないままに離別し、再び交わることがあるのかわからない道をそれぞれ歩む過程で、家族を得た。

家族を得て、一途に過ぎた愛情は分散された。

分散されたことで、離別を選択するしかないほどの愛情の歪みは正され、ようやく道は再び通じ――

とっておきに愛らしく微笑んだがくぽとカイとイトは顔を見合わせ、笑った。カイとイトはそのままちゅっと、互いにくちびるを交わす。

がくぽの両手が笑みは愛らしいままに二人の頭を掴んだが、動きを止めることは出来なかった。

カイとイトのくちびるがちゅっちゅと、がくぽのくちびるにも降る。

ちゅっちゅちゅっちゅと、雨のように――

「ところでそのご馳走とやらは、なんの祝い膳だ、マスター?」

降りしきるキスの雨に言葉を途切れさせながら訊いたがくぽに、ミトトシはわずかに苦笑した。軽く肩を竦め、書斎に常備されるようになったスケッチブックに色鉛筆を走らせている海斗の頭を撫でる。

屈むと、夢中になって絵を描く恋人のつむじに小さなキスを落とした。

「『家族』が増えた、お祝いです、がくぽ。私のかわいいサムライマン――私と、おまえに。二人が二人とも、この先の生に手を携え歩く愛しいものを得て、同じ家に暮らすことが決まった。その、お祝いのご馳走ですよ」

自信に満ちて言い切ったミトトシは、莞爾と微笑んだ。起動してからというもの、ミトトシのここまで穏やかにして確たる幸福な笑みを、がくぽは見たことがない。

こねこのように甘えて胸に擦りつくカイとイトの頭を撫でながら、がくぽもまた、笑い返した。

「今さらだな未だにそんなことを言っているなど、まったく、色事となると途端に不器用で鈍くなるのだな、マスターは!」

「だぁいじょうぶだよ」

「ん、まぁかせろっ」

撫でられるねこそのものの、陶然と蕩けた表情で、カイとイトががくぽに続いた。

「だって、マスターたちがちょっとニブくても、僕たちがいるもん」

「おれとカイはがくぽの奥さんで旦那さんで夫婦だけど、マスターたちも家族だからな!」

言って、カイとイトの瞳は悪戯に輝いた。

「迷うなら、いっしょに迷ってあげるし」

「泣くんなら、いっしょに泣いてやるし」

「立ち止まるなら、共に止まってやろう。時に手も引いて、導いてやろうさ」

がくぽが続け、三人は朗らかに笑った。

「「「それがロイドで、家族ってものだし!」」」