反撃のユーディス
珍しくもカイは、ぷんすかぷんことしていた。肩幅に足を開いて仁王立ちし、腰に両手を当てて胸を逸らし睥睨するという、本気のお怒りモードだ。
感情が激しやすいイトともかく、KAITOシリーズのおっとりぽややんとした部分だけを抜き出したようなカイがこういった怒り方をすることは、滅多にない。以前に、これまで見たことがない。
そんな本気のお怒りモードで、カイはぷんぷんと口を開いた。
「がくぽ、あのね?ニホンでは、奥さんはふたり、持てないんだよ。ひとりは『奥さん』だけど、もうひとりは『愛人』になっちゃうんだからね!」
「ぅっ!」
――そんな、カイの滅多にない様子だけが理由で原因でもなく、対していたがくぽは咽喉を鳴らして引きつった。
一方、片割れのいつにない様子に呑まれていたのは、イトだ。
「あ、ぁうぁう、ぁぅう…か、カイ……かむ…がく………っ」
感情表現が派手で、我が儘いっぱい主張しているように見えるイトだが、実は極端なほど争いごとが苦手だった。万事おっとりさんに見えるカイのほうが、意外に闘争家だ。
とにもかくにもイトは極端レベルで争いごとが苦手なので、こうなると対峙する二人をおろおろと見比べるしかできない。ましてや今回、対峙している二人が二人とも、イトにとって大事な相手だ。
そもそもイトにとってカイは大事な片割れだが、同時にかわいい嫁、奥さんでもある。
そしてがくぽといえば、イトにとってはべったべたに甘やかすべき旦那さま、溺愛する夫だ。
つまりそこが問題だった。いつものことだが。
そう、いつものことだが懲りることなく、ここが問題視された。誰にといえば、カイにとっては愛すべき奥さんで、イトにとっては甘やかすべき旦那さんである、がくぽに。
特に用事がない日の常で、がくぽとカイとイトは自然とリビングに集った。そして初めは単純にいちゃいちゃと、もとい、仲良く過ごしていたのだ。
それが会話の流れの妙で、気がつけば『常識派』であるがくぽが懊悩著しく頭を抱える羽目に陥り――
「だからな、己ら……いい加減、この状況はどうにかならぬのか。嫁と夫が各ひとりずつそれぞれひとりずつ嫁と夫がおるという、このな。ひと言で説明し難い、言い表し難い、このな、このっ………っ!!」
ひと言では説明し難く言い表し難いので、なんとかひと言で説明しようと試みたがくぽは結局、説明する言葉を見失って絶句した。
「だいじょぶ、がくぽ?」
「だめじゃん、たぶん?」
――そして、この話が今日も今日とて蒸し返された当初は、カイとイトも普段と変わらなかったのだ。
一応大事なことなのでくり返しておくが、カイにとってがくぽはかわいいかわいい奥さんで、イトにとってはべったべったに甘やかすべき旦那さんだ。
しかしてこのふたりは常に、常識人ぶりを発揮した挙句に懊悩し、混乱するがくぽへは、非常にドライに対応した。
まともに付き合っていられるものかと、投げているわけではない。
がくぽの言う『常識』がまったくさっぱり理解できず、いわば宇宙語を聞いているのと変わらないため、発言内容に対して対応のしようもなければ反応のしようもないのだ。現実は常に想定より残酷で過酷だ。
そうやって常に旦那さんと奥さん双方から理解が得られない、苦労性な嫁で夫ながくぽは、ついこぼした。
「そもそもな、嫁がふたりいるという状況ならまだしも――」
実のところ、がくぽはさらになにかぶつくさとこぼそうとしていたのだが、ここでカイが反応した。音にして喩えるなら、『かっちーーーーーんっ』だろうか。
がくぽの説く『常識論』は、カイとイトにとっては概ねさっぱりきれいに理解不能の塊ではあるのだが、ごくたまに、聞き取れる単語がないわけではない。あくまでも『聞き取れる』の程度であって、『理解できる』までは、やる気がないのだが。
その、聞き取れた単語だ。聞き取ってしまった、主張半ばの中途半端な単語だ。
珍しいほどあからさまにカイの表情は強張り、眦が吊り上がった。それまではソファに座るがくぽの膝元に大人しく懐いていたのだが、ふわりと離れる。
馴染みの感触が離れたことで口を噤み、なんの気なしに視線をやったがくぽは、切れ長の瞳を丸くした。仁王立ちし、腰に手を当て胸を逸らして睥睨してくるのは――
「がくぽ、あのね……?」
――フリダシに戻る。もとい、冒頭に戻る。
「がくぽはね、じゃあぼくといっちゃんのどっちに、ヒカゲモノになってほしいわけ?ふたりとも正妻で本妻ですとか、ニホンの法律上はぜっったいにムリなんだからね。あとぼくは、いくらがくぽがぼくのかわいいおよめさんでも、ぼくの大事な旦那さまをヒカゲモノにするようなひとに、いっちゃんをおよめさんとして上げる気はないから!!」
「ぅうっ!!」
「か、カイぃ……っ」
――重ねて言うが現状、日本国の法律に於いては『重婚』そのものを認めていない。
ひとりの夫が同時にふたりの妻を迎えることも出来ないが、夫と妻を同時に持つことも、認めてはいないのだ。
しかして今この場に在るものに、そこのところの一般常識を説くことができるものも、その勇を持つものもいなかった。
ぷんすかぷんけと怒るカイは、ひたすら唸って引くばかりのがくぽに、びしりとトドメの人差し指を突きつける。
「で、がくぽ!ぼくといっちゃんの、どっちが2号さんで、どっちがおめかけさんなのっ?」
「ぅううっ!!」
「ぇええええっ!!」
カイが指と共に突きつけた『最後通牒』に、がくぽは長い髪の毛をざわめかせ、逆立てた。同時に、対立する二人をおろおろと見比べるばかりだったイトが叫ぶ。
「お、おれっ、おれと、カイっ……!どっちもいちばんじゃ、ないの?!どっちかが2号さんで、どっちかはおめかけさんなのっ?!」
「否、待て、イトっ……!」
がくぽが慌ててイトを抑えにかかったが、遅い。加えて言うなら、弱い。
自爆型おばかちゃんであるイトの自爆速度と威力たるや、常識人を気取った挙句に優柔不断で甘ったれの『旦那さん』であるがくぽの想定など遥かに超えている。とても抑えきれるものではない。
というところで、ご協力を仰ぎたいのが――
「じゃ、ないの!ぼくといっちゃんはがくぽにとって、2号さんかおめかけさんなの!!」
「ちがっ、かぃ」
しかし今回、いつもならいっしょにイトを抑えてくれるカイが、むしろ煽った。
なによりも信頼する相方の言うことだ。イトはすっかり信用しきり、――
ところでひとつ気になることを補記しておくと、残念極まりないことだが、がくぽには正妻、もしくは本妻と呼べる、『奥さん』はいなくなったようだ。
カイの問いは選択肢が二つだが、その二つとは『2号さん』か『お妾さん』だ。どちらがどちらと選んでも、どちらも『奥さん』、正妻にはならない仕様となっている。
まあ、優柔不断なことをやりながら責任転嫁にばかり励んでいると、大事なものをすべて失くすという、いいご教訓ではあるわけだが――
「で、がくぽ!どっちがどっち?!2号さんはどっちで、おめかけさんはどっちなの?!」
「か、神威がくぽっ……!ぅ、お、おれのこと、いーからっ……っ!かい、カイにフビンなこと、するな……っ!!」
滅多になくお怒りモードで、鞭打ち女王と化したカイと。
滅多に見せない、健気かつ薄幸傾向な体質をだだ漏らしで取り縋るイトと。
とてもいつものことだが、両脇からやいのやいのと詰められ、がくぽが取れる方策はもはや、ひとつしかなかった。
白旗の掲揚だ。
「い、イトがっ………」
がっくりとうなだれたがくぽは、ぷるぷるぴるぴると止められず震えながら、左手を宣誓の形に上げた。
「イトは、俺の妻で、………カイが、俺の夫で…………イトの妻はカイでカイの夫はイトで、相違ございませんっ……………っ」