おうちへかえろう

生徒指導室

素っ気ない字体のプレートを、通りがかったがくぽがなんの気もなく眺めた瞬間だ。ちょうどその室内からカイトが、教師と連れ立って出てきた。

示し合わせたわけではない、完全に単なる偶然だが、しかしだから、場所だ。『生徒指導室』――

三者三様、なんとも言えずについ見合って、しばらく。

カイトはがくぽと、がくぽが眺めていた教室の用途を表すプレートとを見比べ、小さくため息をついた。

ともに出てきた教師へ、す、と片手を差し出す。

「めーちゃん、鍵。この子に、ここは君の『おうち』じゃないんだよって、教えるから」

「おい」

ずいぶん失礼なと声を上げたがくぽだが、それ以上、続けられなかった。カイトに話しかけられたほう、『めーちゃん』と呼ばれた教師の反応のほうが、激しかったからだ。

「『先生』『貸してください』カイトあんたね、親しき仲にも礼儀ありよいとこったぁいえ、ちょっとは気を遣いなさい!」

がみがみと言い聞かせつつ、しかし彼女は差し出されたカイトの手に、素直に鍵を渡した。

渡してから、改めてといった様子でがくぽを見て、カイトと同じように、教室の用途を示すプレートへ視線をやる。

こっくり、頷いた。ふっと、がくぽを見据える。

「そうね。『ホーム』じゃないんだからね。『ナニ』もするんじゃあ、ないわよ」

低くはないが腹に伸し掛かるような重い声で言って、彼女はしかし、あっさり背を向けて去っていった。

小柄ながら気迫に満ちた背を睨みつけたがくぽだが、圧されたら返すという、ごく反射的なものだ。とりあえず、彼女と戦う気はなかった。

この一連の彼女の言動から、どうにも『関係』が筒抜けだと、しかし今のところ味方ではあるようだと読み取っていたからだ。

カイトとは、教師と生徒であるが、いとこであるとも言っていた。だがそれ以上によく、通じている――

「世界征服の相談でもしていたのか」

見送って、ぼそりとこぼしたがくぽを、カイトは呆れたように見た。

「それさ、がくぽ、めーちゃんに言わないでよ『そんな効率悪いこと企むと思われてるなんて、ばかにするにもほどがある!』って、ぜっっったい、怒るから」

「……ふん」

教室の扉を開きつつの忠告に、がくぽは瞳を細め、鼻を鳴らした。

ただ親しいだけでなく、カイトはずいぶん、彼女を信頼している――油断すると、掬われるかもしれない。

「で、どう、がくぽまさか『なつかしい』とか、言いださないよね?」

先に入ったカイトは、窓にかかっていたカーテンを開きつつ、からかうようにがくぽを振り返る。

確かに以前の学校まで、がくぽはこの名前の教室の悪しき常連だった。

ただしこの学校に入り直してからは、すぐに生徒会室へ呼ばれ、以降、会長預かりの身となったから、一度も来たことがないのだが――

軽く内装を確かめていたがくぽは、そんなカイトをことさら呆れたように見返してやった。

「インテリアが違う、広さが違う、見える景色が違う――これだけ違って、なつかしいもなにもあるか」

「うん、あのね、がくぽまずまともに比較できるってとこがどうなのって、俺は思うんだけど?」

「あ?」

呆れたふうを装ったがくぽへ、返ってきたのは嘘偽りのない呆れを含んだ声だった。

少し考え、がくぽもそうかと思い至る。

通常、滅多なことでは足を踏み入れない性質の教室だ。物珍しさを覚えるなり、拍子抜けするなりすることはあれ、比較できるほど熟知しているほうが少ないだろう。

もちろん、一度見た大抵のものを覚える記憶力をがくぽが持っているにしてもだ。

「ちっ……」

「舌打ち!」

しくじったと、ごく素直に舌打ちをこぼしたがくぽに、カイトは声高く笑った。

笑いながらがくぽの前へやって来ると、ことさら屈んで上目遣いとなり、悪戯っぽく訊く。

「まあ、とにかく……『おうち』じゃないってことは、理解した?」

「そんなもの」

これにはすぐ嘲笑いを返し、がくぽは素早くカイトを抱えこんだ。カイトが抵抗を思いつく前に、顔を寄せる。

「もとより、疑いもない。俺の『ホーム』は、おまえだけだ」

カイトのほうこそ理解していなかったのかと、訊くように、詰るように――

けれど答えを待つことはなく、がくぽはカイトのくちびるに貪りついた。