こちらに来てからというもの、神経質なほどの天気予報のチェックと、折り畳み傘の持ち歩きを止めた。
こちらの国の人間が、雨に濡れることに唖然とするほど鷹揚だったということもあるが、いちばんの理由は――
愛篭傘
「カイト、待たせた!」
「あ、がくぽー!おっかえりー♪」
大学構内にまで入ることはなく、ちょうど雨が凌げるエントランスの庇の下に、傘を持ったカイトが待っていた。
駆け寄るがくぽへと、笑顔で手を振る。
そう、傘を持たなくなった、いちばんの理由。
愛するひとが、傘を手に迎えに来てくれるようになったから――
「いつものように、中に入って来ればいいのに」
雨が降り出してしばらくして、カイトからメールが来た。
大学に迎えに行く、エントランスで待っている、と。
ずいぶん待たせただろうと頬を撫でるがくぽに笑い、カイトはその腕に飛びつくように腕を絡める。
「エントランスで待ってるほーが、『奥さん』ぽいじゃん!」
「なんだその思い込み!」
腐しながらもがくぽも笑い、カイトから傘を受け取った。腕を組んでぴったり寄り添うと、雨の中へと歩みだす。
わずかに濡れる肩を気にすることもなく、カイトは楽しそうにがくぽを見上げた。
「ほんとこっちって、傘差してるひと、少ないよね。日本人は神経質だとか言われたけどさ、もったいないと思わない?せっかくこうやって、『相合傘』っていう、いちゃいちゃイベントが愉しめるチャンスなのに!」
言っている途中で信号が赤になり、二人の足はぴたりと止まる。
「………そうだな」
絡まった腕をわずかに解いてカイトの腰を抱いたがくぽは、笑みを刷いたくちびるを寄せた。
抱き寄せられるままに素直に縋りついたカイトも、わずかに爪先立って、がくぽのくちびるを受け止める。
「ん………ん、んん……ふ、ぁ……」
「は……」
軽く触れ合うことで始まったキスは、すぐに深くなり、濃密になった。
いつもなら公道でそこまではしないが、今日は大きな傘が重なり合う顔を隠してくれる。
完全に抱き合ってキスに溺れた二人は、信号が変わったことも気がつかなかった。
しかし夢中になり過ぎたことで、傘を持つ手が疎かになる。走り出した車からの風に煽られて傘が傾き、熱を持ったお互いに文字通り、水を差した。
「んっわ………っ」
「っと………」
顔にかかった水滴にびくりと跳ねたカイトの体と、落ちる傘を器用に両方拾い上げ、がくぽは小さく嘆息した。
もう一度きちんと傘を差し直すと、縋りつくような格好のカイトと笑い合う。
「失敗☆」
「だな。続きは家で」
名残惜しくカイトのこめかみにキスを落とし、がくぽはそのまま腰を抱いて歩き出した。
カイトも腰に腕を回して軽く凭れ、傘を持つがくぽの手をさらりと撫でる。
「続きもいいけど、うち帰ったらまず、あったかいもの飲んで、体あっためよ?なに飲みたい?」
訊かれてわずかに考え、がくぽは楽しそうに跳ねるカイトのつむじを眺めた。
「ホットミルク」
「えー?なにそれ、めっずらし。がくぽがほっ……っのがくぽ!それおやぢネタ!!おやぢネタだからねっ?!」
「お互いに、これ以上なく暖かくなるだろう?!」
耳まで赤く染めてがなるカイトの腰をさらに抱き寄せ、がくぽは声高く笑った。