「たぁだいまぁー………」
「おかえり、カイト。………カイト?」
出掛けていたカイトを玄関で迎えたがくぽは、眉をひそめた。
元気がない。
Kiss 2 Ears
確かカイトは、アパートメントの隣の部屋に住む、老婦人のところに行っていただけのはずだ。近所の『奥さん』たちが集まってお茶会を開いていて、カイトももれなく招かれて。
それ自体は初めてのことでもないし、よくあることだ。
もっとも年少であるカイトは、奥さま方全員から殊更にかわいがられていて、がくぽがやきもきするほど。
だから今さら、苛められたということもないだろうに――
「どうした?」
募る不安を押し殺しつつ訊いたがくぽに、カイトは微妙な表情を向けた。口ごもり、結局ため息をつく。
「カイト」
「ローラおばーちゃんがさ。補聴器買ったんだって」
「あ?」
カイトの答えが瞬間的に意味不明で、がくぽは瞳を瞬かせる。
隣に住む老婦人が補聴器を買ったから――なんだと。
不機嫌の理由になりそうな気が、しない。
「………ああ。そういえば聞こえが悪くなったとか、こぼしていたな。会話がスムースになったか?」
はぐらかされているにしてもなんにしても、会話が繋がることから先に進む。
問い質したい己を堪えて応じたがくぽを見ることなく、カイトは肩を竦めた。
「そもそも、苦労したことない。俺にこっちの言葉がしゃべれなかったとき以外」
「ああ………」
いつものカイトらしくもなく、微妙に投げやりな受け答えだ。
さらに不安を募らせるがくぽに構わず、カイトはすたすたと部屋の中に入り、リビングに置かれたソファにぽへんと腰を落とした。
そこでまた、疲れ切ったため息をつき、べったりとソファに懐く。
「カイト……っ」
追いかけて、不安を堪え切れない声を上げたがくぽを見ることなく、カイトは吐き捨てた。
「それはそれはもう、聞こえが良くなって、毎日天国だって」
「………」
「『お隣のベッドルームの音も、素晴らしくよく聞こえるのよ。もう毎晩毎晩、若返るわ!』」
「っ!」
おそらく、言われたままをきれいに再現してみせたのだろう。これまでの流れをまったく無視して、カイトの口調は朗らかで、声は明るく弾んでいた。
しかしその内容に、がくぽはびしりと固まる。
彼女の『お隣』のベッドルームといったら――
怠そうに体を起こしたカイトは、固まっているがくぽを情けない顔で見た。
「あのさ、がくぽ。ベッドルームの場所、変えられない?そうでなければ、せめて、防音工事しよ……!」