じゃじゃ馬ならし
「で、これが始めの飛行機のチケットだ。直行便ではないから途中で乗り継ぐんだが、次のフライトまで少し、時間、が……」
カイトの部屋だ。
役所に行った帰りだと言って訪れたがくぽは、向かい合ってベッドに座ったカイトの前に、鞄から取り出した書類を並べていった。同時に、簡単な説明も加えていく。
が、その説明は中途半端に切れた。迷いもなく、複雑な書類を区分けていた手も止まる。
だというのに、目の前の相手が先を促すことはない。それどころか、がくぽの態度への疑問や、様子を窺う言葉すらも。
いつもなら、打てば響く以上に打たずとも鳴り渡る福音にも似たカイトが、書類を前にがくぽが説明を始めてからは、口を噤んだままだ。途方に暮れたような揺らぐ瞳で、がくぽの手先を見つめるだけ――
がくぽはこぼれかけたため息を、なんとか呑みこんだ。
代わりのように堪えきれずこぼれる、問い。
「不安か」
がくぽとカイトがこれから行くのは、単なる観光旅行ではない。
名目は海外留学だが、実際は移住に近く、しかも『本当に』留学するのはがくぽだけだ。カイトは現地に行ってから、身の振り方を決めるという――
いくら若さという武器があっても、こうして準備を進めれば進めるほど、先の見通せなさが染みてくる。
共に連れ行くことを望んだのはがくぽでも、ついて行くと最終的に決めたのはカイトだ。そうだとしてもあまりにも――
「不安か、カイト」
「んっ、ぁ、ふあんっ?」
返らない答えがそもそも『答え』だったが、がくぽはそれでも問いを重ねた。そうまでしてカイトはようやく、ぼんやり翳っていた顔を上げる。
虚ろだった瞳が、ぱっと開いて光を取り戻した。
「ふあんふあん、……不安?ああうんまあ、不安、ね?不安。不安だよね、不安じゃん。そうじゃん?」
カイトの発する声はさばけて明るく、表情にも軽快さが戻った。
だとしてもきっぱり告げられ重ねられる『不安』の言葉だ。がくぽはくっと、くちびるを噛んだ。
「んー♪」
その胸に、カイトはぴょんこと飛びこんで来る――非常にご丁寧かつ器用に、間を妨げていた書類やらチケットやらをすべて、ベッド下に蹴り落として。
「おい」
「不安だからさ?ぎゅーってしてよ、がくぽ。『俺がいるだろ』って。『俺がいっしょなのに、なにが不安だ』って」
――だがこれは『俺がいる』、否、『いた』からこそ、生じた不安ではないのか。もしも俺が、『いなければ』……
「………ああ」
浮かんだ反論は飲みこんで気がつかないふりをし、がくぽは言われるがまま、懐くカイトを抱きしめた。
「んはっ!」
抱くと、微妙に強張っていたカイトの体が解けていくのがわかる。力をこめてきつくきつく抱けば抱くほど、――反発するどころか、やわらかに。
甘やかに、カイトは解けてがくぽに体を預ける。
「………幸せに、するからな。必ず」
「えー、ナニソレがくぽっ!プロポーズかっ」
ついこぼした言葉に、カイトが明るく笑う。まさか本気だとは、思いもしていないふうだ。
だががくぽには、強くつよく希う望みがあり、欲するものも想いもあって決意もし、それこそ全身全霊で企みながら――最後の最後に怖気て、未だカイトに告げていない腹の内が、ある。
それは、この期に及んですらもやはり、口にできず、――
がくぽはカイトの頭に力なく、己の頭を預けた。ため息に紛れるように、つぶやく。
「そうかもな」
「そこは言い切れ!ウソでも言い切れ!まったくもー、……しょーがないわんこなんだからな、君はほんとに!」
曖昧な答えにも明るく笑い、カイトは縋るように抱くがくぽの体に腕を回し、力強く抱き返した。
首を伸ばし、顎にちゅっと音を立ててキスすると、強い意志を宿した瞳でがくぽを見つめる。
「俺のシヤワセには、俺のおばかかわいーわんこのシヤワセも必要不可欠の絶対条件――だなんてことはもちろん、今さら言うまでもないよね?だってなんだかんだ言っても、がくぽはほんとーは、頭がいいんだし。まあ、だからあんまり、そこんとこの心配とか不安はないんだけどねー、俺は?」