君に届かない

カイトが朝食の支度をしている間に、がくぽが部屋のあちこちから洗濯物をかき集め、洗濯機を回しておく。

そしてとにもかくにもの腹ごしらえが済んだなら、がくぽとカイトと手分けして食器を片づけ、洗濯物を干し、あるいは掃除機をかけて――

昼食用にサンドイッチ、夕食用に具だくさんのスープと、あとはオーブンで焼くだけのカット野菜と漬け肉まで用意して、時間はなんと、午前十時。

リビングに、昨日のうちに買いこんでおいたお菓子と、たっぷりのお湯を沸かし入れたポット、それにティーバッグやインスタントコーヒーの瓶などの、セルフお茶セットをセッティングして――

「さてこれから一日ぐだぐだすんぞ、すてきなほーりでーの始まりです………って、ときに、ね?」

兆すどころでなく、カナヅチでがんがんに叩かれているも同然の頭痛を覚えつつ、カイトはにっこり笑った。

にっこり笑って、リビングの大部分を占める大きなソファ――その大きなソファにごろんと転がる駄犬もとい、がくぽを見る。

ソファがいかに大きくとも、所詮は庶民向けアパートメントのリビングに収まるサイズだ。

成人男性が転がれば、そのほとんどの面積が埋まる。もうひとりがくつろぐスペースなど、まるでない。

――が、しかし、カイトが頭痛を覚えているのは、がくぽが『だめわんこ』らしく、のへのへとソファを占有しているからではなかった。

むしろ占有していて欲しかった。そうすれば迷いもなく、叱るだけで済む。

そう、正確に言ってがくぽは、ソファを『占有』したわけではなかった。

ソファにごろんと転がったうえで、カイトへ向かって大きく両手を広げる。それもにこにこ笑いながら――ちょっと目がつぶれそうなほどのご機嫌ぶりで、にこにこにこにこにこにこにこにこと。

これをとてもかわいらしげに言うなら、『きてきてー』だ。

なぜわざわざかわいらしげに言わなければならないのかはまったくわからないが、否、そうでもしなければ、とてもではないが許容限度を超えるあれこれがあるからだが――

「ナニしてんのかなっ、したいのかなっ、がくぽっ」

「椅子だ!」

堪えきれずに叫んだカイトへ、がくぽはわずかな逡巡もなく、衒いもなく、躊躇いもなく、むしろ誇らかに宣言した。

「俺は今日、椅子だ、カイト。気にせず座れそして一日中、俺の上でぐだぐだしろなんなら、寝てもいい。俺のことなら心配はいらないぞ。乱歩の『人間椅子』をより深く味わいつつ、読みこむ予定だから」

「たぶんそうだろうなって思ったよっ!!」

がくぽの言い分を皆まで聞かずに叫び返し、カイトは大きくため息をついた。それこそ、内臓すべてまで出そうなほどの、深く、大きなため息だ。

「あぁあもう、ぐだぐだしたかった……ぐだぐだ………あんっっっなに気合い入れて、準備したのに………」

ため息とともに吐きだし、カイトは恨めしく、ソファに転がる駄犬もとい、恋人を見た。

きらきらだ。

きらっきらだ。

きっらきっらだ。

もうまぶしい。ほんとうにまぶしい。目がつぶれる。

否、つぶれた。

そう、『つぶれた』ので。

「しょーーーがないっなっ!!」

思いきると、カイトは勢いよく、がくぽの腹に腰を落とした。すぐさま伸べられていた手が回って、ぎゅうこときつく、抱きしめられる。

大喜びで擦りついてくる駄犬改め、失格めの人間『椅子』な恋人にわやくちゃにされつつ、カイトは再び、ため息をこぼした。

「がくぽが乱歩読むなら、俺は今日、太宰でも読んでようかなあ………それともいっそ、澁澤かなあ………あ、なんか、意外に選択肢いっぱいある………うん、いっぱいあるだけ、だけど、ね……………」