「きょぉはキケン日だから、だぁめ☆」
恋人に『夜のお誘い』をしたならば、そういう理由でお断りされた。
藍に似たる環輪
がくぽはきょとんぱちくりとして少し考え、頷いた。
「なんだ。ゲリ腹だったのか」
「もぉ、がくぽ…」
ところは寝室だ。就寝直前の薄明りのなか、ベッドに座って向き合う相手へ、がくぽは非常に淡々と応えた。否、訊いた。
対して、向き合って座る相手、同棲中の恋人で、むしろ生涯の伴侶と思い決めている、カイトだ。拒絶の理由を告げたときと同じ、どこか悪戯っ気を含んで愛らしい笑みまま、がくぽへと両手を伸ばした。
美貌の情人の両頬をつまむと、ためらいもなく思いきり、捻り上げる。
「言い方」
「………ふみまへんれひた」
――実のところがくぽは恋人のこういったところが、とても好きだった。つまり、愛らしいけれどドス黒い笑顔とか、思わず第三者を探すほど唐突に出すドスの利いた低い声だとか、加減なく捻り上げられて与えられるほんとうに容赦のない痛みだとか。
もはや全身が性感帯と化すレベルで、ときめく。
が、もちろんそんなことを素直に表せば、相手を本気で怒らせることくらいは、さすがにわかる。
だからがくぽは軽く首を振り、耐え難いほどに盛り上がったときめきもごっくん、呑みこんだ。
ついでに捻り上げるカイトの指も外して――その程度の動きで外してくれたカイトへ顔を寄せ、額を合わせる。
「……熱はないな。水分はちゃんと摂っているのか?薬は?」
「摂ってるよ。ってか、そこまでじゃないし。ちょっと今日は、できれば刺激したくないかなって、程度で」
単純に体調を気遣う問いには、カイトも素直に答えた。少し困ったように笑いながら、身を引いて額を離す。
その手が軽く、自分の下腹を撫でた。なんの気ないしぐさだが、無意識下で庇う動きでもある。
カイト曰くの『キケン日』とは、一般的な、ことに女性が使う意味と同等ではない。それこそ、こちらのほうこそ『言い方』というものだが。
同性、男同士であり、本来はそういう目的ではない場所を愛情確認の代替としているがために生じることがある、『キケン日』――
普段、溺愛に任せて無理を強いている場所が負担に軋んでいるという、要するに、体調が思わしくないという申告だ。
それでも今日、ことここに至るまで、カイトはがくぽに体調の悪さを感じさせなかった。
だから言う通りに、今のところ、重篤な症状ではないのだろう。ここで無理せず安静にすれば、きっとすぐに回復できるほどの。
だとしても、知ってしまった今、カイトの表情は笑っていても暗く、青白く沈んで見えて、がくぽの心は絞られた。就寝直前で照明を絞っており、薄明りの下ということがきっと大きいのだと、思いはしても――
「……まあ、いい」
言ってもらうまで労わってやれなかった慚愧の念もなにもかも、言葉とともに腹から追い出し、がくぽはベッドから降りた。
「がくぽ?」
ほんとうに大丈夫だからと、念を押そうとするカイトを振り返って、がくぽは小さく首を横に振った。
「だとしても、湯たんぽくらい抱いておいてもいいだろう?この間も、ずいぶん楽そうだった。すぐ戻るから…」
言いさして、がくぽはわずかに考える間を挟み、カイトへ目を戻した。
「ひとりのほうが、いいか?そのほうが落ち着くなら……」
ついでといった調子で訊かれたことに、カイトはぱちりと瞬く。薄明りの下でもわかる不可解を宿し、この位置関係であればわざわざする必要もないのに、それでも覗きこむような姿勢となって、がくぽを見た。
「それ、がくぽは今夜、ソファで寝るよってこと?」
「そうだな」
ゲストルームもないのだから当然の選択だと頷くと、カイトは吹き出した。華奢な体をぷるぷると震わせて笑いを堪えながら、ころんとベッドに転がる。
きっと照明の加減だ。それでも、先よりはずいぶん顔色も戻って明るく、カイトはがくぽを見た。
「どんなにあったかい湯たんぽがあったって、がくぽがいっしょじゃなかったら、冷え冷えなんだから。ほんとにオナカこわしちゃうよ?」
言うと、カイトはもそもそと動いて布団を被った。顔の半ばまで隠してくるまると、がくぽを見やり、手を振る。
「待ってるから。………おやすみのちゅーは、しよう?」
「わかった。すぐ戻る」
くぐもって届いたおねだりにがくぽも吹き出すと、カイトへ手を振り返し、キッチンへ足を急がせた。