「先生!…………カイト先生!!」
「あっれ、がくぽー?うーっわ、やだなあ。大学で俺のことせんせ呼びって、誰のイヤガラセかと思ったら、がくぽなの?」
「嫌がらせなんですか?!」
のぞめるつはものたたかふもの
がくぽが大声で呼びながら駆け寄ったのは、自分の家庭教師であるカイトだ。
がくぽにとっては紛うことなく、『先生』で合っている。今日訪れた大学内においては、一介の学生に過ぎないとしても。
家庭教師としてがくぽの家を訪れるときとは違って、本業である大学生中のカイトは、普段着の上に白衣を引っ掛けている。
白衣といってもあちこち染みだらけで、一見汚い。
とはいえ、洗濯していないから汚れているという感じではない。おそらく洗っても落ちない、薬品の染みなのだろう。
「ま、いーからいーから。そんで?なにしてんの、がくぽ。飛び級入学でもしたの」
「学校見学です」
教え子の反応になど一向に構わず、カイトは惚けたことを言う。
即行で否定したが、これが本気なのか茶化しているのかが、がくぽには未だにわからない。がくぽくんはマジメだからねーなどとご本人は言うが、そういう問題ではない気がする。
「見学。ふぅん。冷やかし?それとも、本命?」
「本命です」
「へえ?学部なに?」
「文学部の……史学科に行きたいんです」
しらりとした顔で問いを重ねるカイトにきびきびと答えてから、がくぽは眉をひそめ、わずかに首を傾げた。
「俺、中学のときに、ここの史学科の教授の講演会に行ってお話してからずっと、教授の下で学びたいと思っていて――家庭教師を頼むときにも、校風とかいろいろな話も聞きたいから、この大学に通っている方でって、お願いしたんですが……」
「あー、ん。覚えてないこともない、かな……。うちのがっこ指定で、教科が教えられるのが、俺ともうひとりなんだけどって。んで、男の子だし、俺のほうが通うのも近いし、先に声かけたーとか」
わずかに上目遣いになって記憶をさらってから、カイトは複雑な表情のがくぽに視線を戻し、にんまりと笑った。
「どーせだからそういうときは、大好きなカイトせんせとおんなじ学校に行きたいんですって言うんだよ、がくぽ」
「仮に俺がそう言ったら、そういう選び方するひとキライ、そんな程度の動機で来ないでって、言いますよね」
「言うね」
「………………」
あっさりと頷くカイトに、がくぽは眉間に手を当てた。
弄ばれている。
「ちなみにもう一人は、胸ばいんで腰きゅっの、美人女教師だったよ」
「先生でよかったです」
残念だったね、とでも続けそうなカイトの言葉を遮り、がくぽは言い切った。
眉間に当てていた手を離し、得体の知れない笑みを浮かべている年上の恋人を、臆することなく見つめる。
「俺の先生が、先生で、よかったです。教授に感謝することが、もうひとつ増えました。カイト先生に巡り会えたのも、教授の下で学ぶという目標があればこそですから」
「まっじめっ」
がくぽが言う間に笑みを消し、ぶすっと膨れたカイトは、短く吐き出す。
がりがりと頭を掻きつつ荒っぽくため息をつくと、その手を素早くがくぽに伸ばし、胸座を掴んだ。
「せんせ………っいっ」
驚くがくぽが抵抗するより先に、くちびるがさっと奪われる。
大学の構内だ。人通りが少ない場所ではあるが、まったくないわけではない。
がくぽにとっては未だ異境だが、カイトにとっては生活圏。
そんなところで、同性とくちびるを交わすなど――
カイトは不遜に鼻を鳴らし、慌てるがくぽに背を向けると、拳を天に突き上げるように大きく勢いよく伸びをした。
「もー、ぜっっったいっっ!!合格させてやるからねっ、がくぽっ!!」