傾いた、古い、見世物小屋。
掛けられた看板は変わることなく、「世ノマコト、カタリマス」――そんな、陳腐な言葉を信じた訳でもない。
カタリ神
「語ろうか、物語を」
狭く昏い小屋の中、人非ざる鮮やかな色彩を纏った其れは、座敷の半分に寝そべって、在った。
灯心ひとつしかないにも関わらず、其れが人非ざる鮮やかな色彩を纏っていることが、目にはっきりと映った。
暗闇にあって眩しいような色を纏う其れは、艶やかに笑って、土間に立ち尽くす我れに言葉を零す。
「騙ろうか、真の物語を。歪み、撓み、曲げられ、そして真へと還る物語を」
人非ざる色を纏った其れは、何処までも艶やかにつやめかしく笑う。
「対価は、対価は何ぞ」
「やれやれ!」
訊いた我れに、其れは軽く天を仰いだ。
「話が早くて助かることだよ。それとも其れは、何かの知恵かね?」
呆れたように言って、再び笑う。
「そう、人の世の知恵には『タダより高いものはない』というのが在ったね。それから、そう――『安物買いの銭失い』。
と言うことは、知恵者の汝れには、高くふっかけたほうが安心して貰えるのかい?」
嘲るようでもあり、嘆くようでもある声音に、我れは首を振る。
「高かれ悪かれの品も在る。世を満たすのは、悪意と悪念だ。良かれ安かれがもっとも望ましかろう」
「やれやれ!」
答えた我れに、其れはまたも軽く天を仰いだ。
「強欲なことだよ!人というのは、此れだから………」
ひとくさり腐してから、其れは我れに視線を戻し、一際艶やかに笑った。
「良かろ。今回ばかりだよ。知恵者の汝れだ。敬意を表して、特別に、値引いてやろ」
密やかな、ささやき。
とっておきの話を持ちかける商人の如き。
何処までも人離れして艶やかな笑みに寸暇見惚れ、それから我れは肩を竦めた。
「誰れにでも、そう言うのであろう」
そうやって、大したものでもないのを、ご大層に売りつけるのが商売人と言うものだ。
其れが商売人か如何かは兎も角として、此処は見世物小屋であり――他の小屋と違って、入口で見料を取られなかった。
つまり、此処での取引こそが、見世物の値段を決めるすべてなのだろう。
故に、此れは見世物でもあり、商売人として我れに何事かを売りつけようとしてもいる。
「賢い御仁だ」
悪びれもせずに其れは答えて、笑みを湛えたまま、立ち尽くす我れを見る。
「否定されることを求めて訊いている訳ではないね。其れが世の真実だと解っている」
呟いて、其れは愛する者でも見るときのように、瞳を細めて我れを見た。
「でもたまには、騙されておやり。騙されぬ汝れを人は敬おうが、愛しはせぬ。愛されたいなら、騙されておやり。嘘も虚栄も含めて、赦しておやり」
諭すようでもあり、悲嘆に暮れているようでもある其れの物言いに、何故か心が騒いだ。
反駁を思いつくより先に、其れはまた口を開く。
「愛だ恋だなんて、所詮は嘘と虚栄で造られたマボロシの上に成る、マヤカシさ。真の上にだけ成る愛など無い。
常に騙し騙され、其れを赦して受け容れて、ようやく成るのが世の愛と言うものさ」
我れの脳裏に、過る影がある。去来する、言葉が。
有り得ないことだが、不可思議なことでもない気がして、我れは其れを見た。
似ても似つかぬのに、今や如何してか、彼女の面影を宿す其れを。
「其れが彼女の愛を得られぬ我れへの教訓か。だとしたら対価を払う程でもない。詰まらぬの一言だ」
言い捨てた我れに、其れは高らかに笑った。
「愛を得られぬのは、汝れではない。汝れの愛は永遠に得られぬと、絶望したのは、女のほうさ」
今やまるきり彼女の面と声と為って、其れは言う。
「汝れの求める愛を供しきれぬが、汝れへの想いも捨てや切れぬ。
相反する心に耐えられなかったのは、女のほうさ」
彼女の面が、彼女は決して浮かべなかった表情を浮かべて我れを詰る。
答えは解っている気がして、敢えて問うた。
「なにゆえに、汝れが、其れを知る」
彼女の面が崩れ、再び其れは其れの面となって、艶やかに笑った。
「喰ろうたからさ」
緋紅の舌が、愉しげに覗く。
「汝れへの愛に絶望した女は、我れに身を捧げた。故に喰ろうてやったさ。望みどおりにな」
彼女の面と、其れの面が交差し、交錯する。
我れは其れの舌を見つめていた。
今は駄言を吐き、そしてかつては彼女の血と肉を舐め啜ったであろう、舌を。
「――対価は。対価は、何ぞ」
再び訊いた我れに、其れは笑った。
「汝れは賢い。正しくね。騙られた物語を、真に還す方法を知っている。後出しは好かないが、其れが望みなら、まあ良かろ」
「ほざけ」
吐き捨てた我れに、其れは艶やかに咲き開いた。
「二人して、我れの血と為り肉と成る。其れも又、真の愛と言うものさ」