しょちけつぁる
野辺に座り、剣の手入れをしていたがくぽの傍らに、カイトがへちゃりと座りこんだ。
やわらかに笑む視線をちらりと投げたがくぽを、カイトは揺らぐ瞳で見返す。手に持ったままの剣と、がくぽが口に咥える布切れとを、不思議そうに見比べた。
「………まだ?」
「いいえ。もうすぐに、終わりますから……次は、どこへ行きますか?それとも、しばらく休んで……」
咥えていた布を取って訊いたがくぽに、カイトはちょこりと首を傾げた。視線を逃してもごもごと口の中で言葉を転がし、その結果があまり芳しくなかったものか、きゅっと顔をしかめる。
隠しごとをするような仲でもなく、されるようなことも滅多にない。ましてやがくぽを慮って言葉を呑みこむなど、あってはならない。
――というのが、剣の主に全霊を懸ける東の剣士たるがくぽの、まったく譲れない矜持であり、悪癖だった。
日を弾いて輝く刃紋をちらりと見やると、がくぽは手入れを終わらせ、剣を鞘に戻した。傍らに置くと、わずかににじってカイトへ体を向ける。
「カイト殿」
「あのね?」
がくぽがなにか言うより先に、待っていたかのようにカイトが身を寄せてきた。
がくぽの膝にふわりと手を乗せると、体を屈めて下になり、殊更な上目遣いで見つめてくる。
「今、ここにいるがくぽは、おれの『剣士』のがくぽ?それとも、おれの『だんなさま』の、がくぽ………?」
「っっ!」
座っていたことは、誰にとっても幸運だった。もしも立っていたなら、がくぽはよろめいた挙句、無様にも地面に膝をついていただろう。
地に膝をつくなら死ねと叩き込まれている、東の剣士だ。理由ともあれ、脊髄反射で死にかける。
そうなればカイトは泣くだろうし、剣の主を己の失態で泣かせたとなれば、がくぽはまた死にたくなるしで、出口なき素敵悪循環に陥ったはずだ。
しかしがくぽは座っていて、腰も落ちていれば胡坐も掻いている。実際には、体をわずかに揺らがせるだけで済んだ。
ところでがくぽがなににそれほど衝撃を受けたかといえば、ほのかに拗ねたような、照れたような表情でカイトが吐き出した、『だんなさま』という呼称だ。
確かにがくぽはカイトの伴侶だし、閨における役柄的にも言えば、そうだ。
とはいえ男同士、ましてやカイトはがくぽにとっては上位者に当たる神で、そして剣の主だ。
伴侶であるという意識や、子供たちから『父親』と呼ばれるのとは別に、まさか自分を『カイトの旦那様』だと思ったことなどなく。
だというのに、こうして実際に呼ばれたときの、心臓が破裂するかという、ときめき具合。
脳みそが吹っ飛ぶかと、いや、吹っ飛んだのではないかという――
「………ね?どっち、がくぽ………」
「私はいつでも、あなたの剣士ですが」
窺う瞳のカイトをやわらかに抱き寄せながら、がくぽは微笑んだ。
「同時に常に、あなたの伴侶のつもりです。どちらかと……ん」
がくぽの答えを皆まで聞かず、カイトはちゅっと音を立て、くちびるをついばんだ。ちゅっちゅと触れて離れてをくり返し、焦れたように、強請るように、とろりとくちびるを舐める。
「おれ今、剣士いらない」
「か……」
微妙に衝撃を受けるがくぽの首に腕を回し、カイトはきゅっと力を込めた。すりりと、擦りつく。
「だんなさまが、ほしい。………ね?」
「………」
切れ長の瞳を見張ったがくぽに、カイトはつんとくちびるを尖らせる。拗ねたような照れたような、それ以上に、蠱惑的に誘う罠にも似た。
見入って答えないがくぽにきゅっと縋りつき、カイトはくちびるを寄せた。
「だんなさま、ちょうだい………がくぽ。おれのおなか、だんなさまで、いっぱいにして?」
「カイト」
「んっ」
おねだりに、がくぽが笑う。呼ぶ声は熱にどろりと蕩け、カイトはびくりと身を震わせた。
すでに浮かされたような表情のカイトを覗き込み、がくぽは肌の透ける薄衣の下に手を滑り込ませる。火傷しそうな熱さに引きつり、反射的に逃げようとする体をきつく抱え込んで、くちびるを寄せた。
「お望みのままに、カイト………あなたが望むだけ、望む以上に。あなたの夫を、貪り食らわせてやりましょう」
耳朶を食んで欲を吹き込むと、カイトはがくぽの首に回した腕に、震えながらもきゅっと力を込めて縋りついてきた。