ちゃるちうとりくぇ
「あ、実がなった」
森の中を踊るように進んでいたカイトがつぶやき、手を伸べる。けもの道に差し掛かるように枝を撓めていた木へ、微笑んだ。
「……そう?ありがとう。じゃあ、もらうね」
つぶやくと、カイトは彷徨うように枝へと手を遣った。なにかを探るように枝の下を回った手が出てくると、そこには熟した実が握られている。
「『イタダキマス』」
カイトは微妙な語感でもう一度木に向かって言うと、後ろに立つがくぽを振り返った。今採ったばかりの実を、満面の笑みとともに差し出す。
「『たべて』って!」
「ありがとうございます」
渡された木の実を、がくぽは肩に負っていた籠に受け取る。
まずは仲介してくれたカイトに礼を述べ、それから実を分け与えてくれた木へも、軽く会釈して謝意を表した。
「……恵みに感謝します」
がくぽには、木の言葉はわからない。通じる言葉も知らない。
けれども気持ちを通じさせることはできる、と――これは、『彼ら』の言葉を聞くうたと花の神も保証してくれたことだ。
その、木々や獣たちの言葉を聞き、話し、そして力与えるうたをうたう神たるカイト――の伴侶は『食事をする』ということが、どうやら森中に行き渡ったらしい。
ここ最近、カイトの日課に付き合って森の中を歩いていると、頻繁に『声』を掛けられ、恵みを分け与えてもらえるようになった。
主に木や草といった植物だ。獣や魚が粛々として、行く手の道に体を横たえているということは、まだない。
さすがにそんなことがあったら、がくぽでも怖い。逃げるなら死ねという東の教えはあれ、即座に菜食主義に転向しそうだ。
とにかくそうやって、実や葉、花といったものを先々で与えられることが増えた。
初めのころ、がくぽはカイトの日課に付き合うときは剣のみを携えていたが、ここのところは蔓で編んだ籠も持ち歩くようになっていた。さもないと貰い物で両手が塞がり、肝心のときに剣を持てないからだ。
それはつまり、受けられる恵みの豊かさを示してもいる。
「♪」
「………」
本格的に咽喉を開いてうたうというでもなく、ご機嫌さを表すように軽く鼻を鳴らしながら、カイトは踊るように歩く。
後について歩きながら、がくぽはそっと、森の中を見回した。
初夏だが、ここは世界の北の果て、寒冷な地域だ。空気は澄んで冷たく、余程動きでもしない限り汗がにじむこともない。
この季節はどの地域であっても食糧が豊富なものだが、最果ての北ともなると、いくら木々が生い茂る森とはいえ――
北の森で暮らし始めた当初、そんなふうに思っていた自分を、がくぽは覚えている。
カイトはあれこれと差し入れてくれたが、がくぽの目には他の地域ほどには豊かに見えなかった。一日分の食糧を確保することも、かなりの苦労だった。
今は違う。
『相手』が恵んでくれるということもあるが、がくぽの目が、『世界』が変わった。
「カイト殿。花が……」
「ん?」
ふと目に留まった景色を口にしたがくぽに、先に行っていたカイトが振り返る。
視線の先を追って、ふわりと微笑んだ。
「うん。咲いた!」
「ええ。去年より増えましたね」
「うん!」
がくぽは剣一筋、イクサ場を駆けて来た剣士だ。食べられる食べられないの区別程度にしか植物の知識などなく、逐一の花の名は知らない。
いや、名を知らないだけではない。
そこに咲いていることすら、知らなかった。気がつかなかった。まったく、見えなかった。
今もまた、花の名は知らない。
知らないが、そこに咲き、生きていることに気がついた。目に入り、気を遣るようになった。
それは剣の主と定め、生涯の伴侶とまで愛した相手を得てからだ。
カイトが花の神であることも大きいが、なによりもがくぽに精神的な余裕が出来たことが、大きい。
『主』を求め得られず、窮々として視野が狭まり、挙句狂いにまで堕ちた過去と、なによりも愛する伴侶にして主を得られ、愛するだけでなく愛される僥倖に恵まれた今と。
精神的な圧迫から解放され、カイトとともに歩いた北の森は驚くほど光に溢れ、恵み豊かな場所だったのだと、気がついた。
今まで自分はいったい、歩きながらなにを見ていたのかと、呆然とするほどに。
「おととしは数が減って、心配しましたが……」
「うん、ん?………ああ、ほんとだ。いいの?………ああ、そっか。うん。じゃあ、ちょっとだけね」
がくぽと会話しつつも、カイトは掛けられた『声』に応えて屈む。小さな紫の花を咲かせる草を慎重に探って、何枚か葉をむしった。
「はい!『気がついてくれたから、ごほうび』って!」
「………はい」
にっこり笑って差し出された葉を、がくぽもまた、笑って受け取る。今年は旺盛に茂る足元の草に向かい、受け取った葉を振った。
「いただきます」
「『イタダキマス』!」
がくぽの言葉を復唱して、カイトは足を鳴らす。たんたんと大地を叩いて、顔が上向き、咽喉が開いた。
「♪」
迸るのは、うただ。がくぽには知らない言葉、わからない詞。
けれど、気持ちは通じるのだと、――
天に昇り、降り注ぐ慈しみとなって還る歓喜のうたを追うように空を見上げ、がくぽは微笑んだ。
空を分け、隠す枝に新芽が見える。小さな花が咲き、未だ固い実が熟す日を待っているのが。
小さな小さな恵みの、小さな小さな営みのひとつひとつが、きちんと目に入り、言祝ぐことが出来る。大きな恵みとなって、豊かに己を満たす。
「カイト殿」
「うん!」
ややしてうたが止むと、がくぽは光を帯びて立つようなカイトへ微笑みかけた。
「愛しています、私の<神>」