まやうぇる
「え………っ」
カイトは表情に困惑を混ぜ、最愛の伴侶にして守り役たるがくぽを見た。ことりと、首を傾げる。
「え、と、……そんなに、お酒、のみたかった、の?その、サルとたたかう、くらい……?」
「違います!!」
予想は出来たが納得はしかねる解釈に、がくぽは即座に否定を叫んだ。そうしながら、カイトの背後をちらりと睨む。
カイトの背後にあるのは、寝台だ。夜にはがくぽとカイトで抱き合って眠る。
昼間である今、その寝台には『娘』が転がっていて、そして声もなく爆笑していた。宙を向き、じたばたと足をばたつかせ、腹を叩いてという、悶絶の大爆笑だ。
年頃の娘がはしたない。
――という話もあるが、がくぽが睨んだのは東の出身らしい、含羞のしつけからではない。
がくぽを嵌め、『サル』と戦わざるを得ない状況に陥れたのが、この『娘』、リンなのだ。
しかし眼前のがくぽに夢中のカイトは、声を立てておらずとも騒がしい気配の背後にまったく気を遣らない。
だからと、カイトが薄情だという話ではない。がくぽの現状だ。
がくぽは鍛え抜かれた剣士だが、もうひとつ言うなら非常に容貌優れた、いわば美丈夫だった。
その優れた容貌だ。
戦った相手はサルで、いかにがくぽが優秀な剣士とはいえ、人間相手と同等とはいかなかった。
深くはないが、避けきれなかった爪痕が顔のあちこちに赤く蚯蚓腫れとして残り、非常に男前な――もちろんカイトは出会い頭に、『おや、オトコマエ度が上がったじゃん、ニンゲン』などと嗤ったりはしない。
少々離れた間に、傷だらけとなって戻った伴侶の姿に、気を失いそうなほどの衝撃を受けた。
そして当然のように放たれた、いったいどうしたのかという。
それに対するがくぽの答えが、サルと戦いましたという――
それも『戦利品』として、酒をカイトに渡しての発言だ。それはまあ、カイトならずとも誤解はする。
が。
「がくぽ?っわっ?!」
「『祝い』なんだってよ」
カイトが訊くと同時に、その脇からにゅっと顔と口を出したのは『息子』、レンだ。こちらはリンとは違い、呆れたような、憐れむような目でちらりと『父親』を見る。
が、がくぽが反応するより先にカイトへ目を戻し、脇から顔を突っこんだまま、肩を竦めた。
「ぱぁぱぁを、まぁまぁのオトコとして認めてやんぜって。ケッコン祝い?とか、そんなん」
「けっこんいわい」
「ええ、まあ………らしい、です」
きょとんとくり返すカイトに、がくぽは歯切れ悪く頷いた。
なぜといって、がくぽはサルがなにを言ったかわかっていない。通訳は謀った娘で、娘の言葉を信任したのは、今回は謀ってはいないが、父親よりも彼女寄りの息子だ。
ので、怪しいといえば怪しいが、疑う余地があるでもない。なにしろ差し出してきたのは実際戦ったサルで、通訳されればそうかと、納得するようなそぶりではあった。
「その、酒なら………神への供物として、一般的ですし。あなたでも、呑めるのでは、ないかと……それに、あなたと、……その、親しげなアレが、祝いだと、寄越すわけですから、……」
きょときょとんとして、カイトは気まずげながくぽと、差し出された酒を見比べる。
『酒』と言ってはいるが、器は木の実だ。推測するに、天然で中身の発酵が進んだ結果の産物だろう。ために、人間が作る『酒』とは趣が異なる。
が、それでも匂いを嗅げば確かに酒精が香るし、木の実の特性か、かなり強そうだ。
「あのね、リン、知ってるわ!ぱぁぱぁの、東のほうの習慣なのよ、まぁまぁ!ケッコンシキでね、ふーふふたりで、誓いのお酒のむの!えっとね、なんていったかなあ?!たしかね……!」
「っっ!」
唐突に爆笑から立ち直ったリンが、がばりと寝台に起き上がって叫ぶ。がくぽは引きつって、腰を浮かせた。
そういえば失念していたが、がくぽの娘も息子も『生まれる前』にふらふらと世界中を彷徨っており、やたらと人間の慣習に詳しかった。
がくぽが今回、普段は飲食をしないとわかっているカイトに酒を薦めてしまうのも『そこ』に由来しているのだが、無理強いをしたいわけではない。
から、カイトが断りやすいようにと説明しないまま、歯切れ悪く薦めていたものを――
「そう!ギキョウダイノサカズキ!!そうよ!舌かみそう!!」
――惜しかった。
レンは未だカイトの脇に突っこんでいた顔をすぽっと抜くと、寝台を振り仰いだ。手を打つ姉妹へ、首を傾げる。
「そうだっけ?」
「そうよ!!」
「違う!固めの盃、もしくは三々九度だ!」
自信たっぷりのリンに、がくぽは苦々しく訂正を入れた。
傍観者と化していたカイトが、ぽつりとつぶやく。
「そう、なんだ……」
「っ!」
躱したはずの刃を、自ら――
がくぽは額を押さえた。
父親を謀って嵌めるは、それでいながら世間知らずで無邪気な箱入りぶりで翻弄するは、――子育てとは、娘の相手とは、かくも難しい。
父親の苦悩を背負うことでなにかしらから逃避するがくぽの下に、カイトがにゅっと顔を突っこんできた。きらきらとした瞳で、がくぽを見つめる。
「えと、あの、あの、ね………?そしたら、この、おさけ……がくぽと、のんだら……おれ、がくぽのおくさん?およめさん?ほんとにほんとの……」
「カイト殿」
ぽぽっと目元を染めて確認するカイトに、がくぽは反射的に手を伸ばした。腰を抱いて胸へと引き寄せると、甘える光を宿して熱っぽく見つめてくるカイトの瞳を真顔で覗き込む。
「本当もなにも、そのようなことをせずとも、すでにあなたは私の伴侶です。最愛の、これ以上もこれ以下もない、比べるべくもなくただひとりの、愛する方です。お疑いですか?」
「ぅうん」
ぷるぷると首を横に振って、カイトはがくぽへ顔を寄せる。ちゅっとくちびるに吸いつくと、殊更に上目になって、生真面目な伴侶へ笑いかけた。
「でも、ケッコンシキ、したい。がくぽと……。して、……おれ、ちゃんと、がくぽのおよめさんに、して?」
「あ。ぱぁぱぁが死んだ。今日も」
「馴れないのね、ぱぁぱぁ……未だにまぁまぁで萌え死ぬんだわ……」
ひそひそとつぶやく息子と娘の言葉は、実のところしっかりとがくぽの耳に届いていた。
いたが、時として子供のしつけ以上に重要なことがある。
がくぽはカイトを抱く腕に力をこめると、甘える瞳にくちびるを落とし、微笑んだ。
「私としたことが、あなたとのけじめをきちんとつけておらず、そのうえ不安にさせていたとは……今からでも赦していただけるなら、もちろん」
「んっ」
くすぐったいと歪んだカイトの頬を撫で、がくぽは触れる寸前でくちびるを止めるとささやいた。
「私と結婚してくださいますか、カイト殿?私の唯一の伴侶として、………いえ。およめさんに、なってくださいますか?」